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作品名:反復の時 作者:くーろん

第30回   30
人の現存在が最初に変化する時がその人の初期の終わりである。それとは別に人生の節目というものがある。
人生の節目とは異なり、初期の終わりはその人にしかわからない自分の在り方が変化した時に体験する実感である。
節足動物の脱皮のような苦しみを伴うことなく気がついたときに初期の終わりは訪れて終わったことを認識する。
人は初期の終わりに際して、失われようとしている自身の古い現存在の在り方をノスタルジックに固執してささやかな抵抗をするが、自分では古い現存在は失われたということを十分に認識している。初期の終わりに気がついた時にはすでに初期の終わりは過去になっている。

合格発表日は朝から冷え込んでいたが、室人は10時に貼り出される合格掲示板を見るために出かけた。
外は曇りで薄暗かった。室人は電車で4つ先の駅で降りて駅から10分ぐらい徒歩でその高校に向かった。
校庭に行くと、すでに発表を見るために来ている受験生が多くいたが、高々とそびえ立った掲示板にはまだ何も貼られていなかった。
ちらりと校舎の時計を見るとまだ15分前だった。
天気は悪く辺りは益々暗くなって、先ほどから時々霙のようなものを顔に感じる。そして、霙混じりの雪がちらちらと降り始めた。室人は傘を持っていたが、ずっと立っていた。
10時になると、長い梯子と合格者のポスターを持った数人の学校の職員が現われ、舞い始めて粉雪の中で梯子に登って掲示板にポスターを貼り始めた。
職員はてこずりながら少ない人数でその作業をやっていたので、室人はすぐに自分の番号がどこにあるかわからなかった。
雪が降り始める中で掲示板に自分の番号と名前を捜す。雪の降り注ぐ中にたくさんの期待と不安に満ちた顔と目がそこにあった。室人もその中の一人だった。
室人は寒さの中で細かい多くの番号を目で追いながら、ついにその中に自分の名前を見つけた時にほっと安堵した。
あちこちで歓声が上がっているのが聞こえた。
室人のクラスメートも何人か来ていて発表前に少し話したりしていたがその時にはいなかった。
室人は余裕ができたので掲示板をざっと見ていくと同級生も何人か出ていた。そして、彼女つまり白鳥さんの名前も出ているのを見つけた。
しかしながら、室人の配属は彼女とは別の高校だった。

その高校の校門を出る頃には雪がかなり強く降っていたが、舗道にはこれから発表を見に行くたくさんの学生や帰る学生で混雑していた。
駅もだいぶ混雑していると予想される。
室人は遠回りをして商店街に一軒の書店があったので雑誌の立ち読みをすることにした。しばらくすると傘をさして歩く人が見えなくなったので、書店を出てみると雪は止んで明るくなっていた。駅へ続く人混みもおさまって学生も少なくなっていた。
彼は駅に向かい改札に入り階段を上がってホームに出た。

すると、そこに白鳥可奈子が一人、長椅子に腰掛けていた。
大きなホームではなかったが、電車を待っているのは数人だけだった。
彼は彼女から数メートルのところに立っていた。
彼女は制服にコートを着て座っていた。
彼女は彼の方は見ずに折りたたみ傘をたたんでいた。
その時の彼女はまさに何かを待っているかのようだった。
彼が彼女に何かを言うこと、つまり告白するのを待っているように彼には思えた。
何かを受け入れようとしている女性的な受動性に満ちているように思えた。
ホームの屋根の合い間からは陽が差し込んできて暖かくなってきたせいかホームの屋根にできた氷柱が解け始めて水滴がポタリポタリと線路に流れるように落ち続けていた。

彼女はマフラを外してたたみ始めた。
同級生の二人の女子が彼女に声をかけたが、彼女は生返事をしただけだったので、二人は彼女を通り過ぎていってしまった。

彼にとっては絶好のチャンスがその時来ていた。
幸運の女神がこの状況を用意してくれたとしか思えない。
幸運という追い風が確かにその時に静かに彼の前を吹いていたと思う。
彼は彼女を見て何か話しかけようとしたが、彼女のほうを見れば、見るほど、話しかけることができない。
勇気がないからか。そうかもしれない。しかし、何かひっかかるものがあった。
それはこの状況を壊したくなかったのかもしれない。室人はその時に自分の初期の終わりに気がついた。

その時、電車がホームに入ってきた。そして彼女の前でドアが開いた。
ドアの方を向いた彼女の横顔がその時泣きそうになった。
彼女は立ち上がると真っ直ぐにドアの方に歩いていった。
彼は彼女の後ろ姿を見ていた。レインシューズを履いていた足が見えた。
彼はなぜ彼女が泣きそうな顔をしたかわかる。
彼は彼女に何か悪いことをしてきたのかもしれないという自責の念がよぎった。
彼女は彼の方を向いてシートに座ったが、少し疲れたようで目は呆然としていて彼はまったく眼中にないように見えた。
ベルが鳴り車掌の点呼の声が聞こえる。
今ならば、まだ間に合う。
電車に駆け込んで、彼女と話す。
「合格おめでとう、ぼくたち別の高校になっちゃったね、でも、ぼくたち家も近くだし、いつでも会えるよ、ちょうど今書店で見ていたらシエークスピアの作品が映画化されて今度近くの映画館でも上映されるそうだ、一緒に見に行かない?」
室人はそうすべきだったのかもしれない。
そうすればすべてが変わっていたのかもしれない。彼のその後と人生も。
しかし、その時に彼を押しとどめたのは初期の終わりだった。
しかし、彼はけたたましく鳴るベルが止み静かにドアが閉まっていくのを黙った見ていた。
電車は動き出した。
彼女が彼のほうを見ることはなかった。

彼は彼女が座っていた長椅子にドスンと座りこむと頭をかかえて俯き、しばらくじっとしていた。
3つぐらい電車をやり過ごした後、おもむろに起き上がると電車に乗り帰宅した。

こうして室人の初期の終わりは終わった。


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