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作品名:反復の時 作者:くーろん

第3回   3
谷田貝室人は世界が遠く離れていくのを感じていた。暗く深い穴に、深く、深く、深くどこまでも限りなく身体が落ちていくように感じられるが、実はその感覚すら信じられらない。遠くから聞こえてくるテニスボールの音、これは夢だろう、自分は夢を見ているのだろうと思ったが、感覚すら信じられないこの状態で、これは本当に自分の感覚だろうか、誰か他人の感覚だろうか、自分はまだ存在しているのだろうか、という疑念が一瞬過ぎった。やがて、穴に落ちてゆくという感覚すら薄れてくると、室人は真っ暗闇に立っていた。向こうからテニスボールの音が聞こえてくる。室人は音が聞こえてくるほうへと一歩踏み出した。そして、音のする方へとゆっくり一歩ずつ闇の中を歩いていった。闇の中で壁のようなものに突き当たった。壁に扉のようなものがあるのがわかった。扉を 力一杯押すと、眩しい光と鮮やかな情景が室人の目に飛び込んできた。彼はどうやら昔の中学校の教室にいて窓の外を見ているようだ、そしてテニスボールの音は中庭のテニスコートから聞こえてきたようだ。そうだ遠い昔にこんな日があったことを覚えている。新緑の春、新学期だった。中学3年になったばかりでクラス替えで新しいクラスになっていた。何て気持ちが軽いのか、自分は昔はこんなに気持ちが軽かったのかということをはじめて知った。いつの頃からか気持ちが重くなっていったのか。新緑に萌える樹木の木の葉の一枚一枚が陽光を受け春のそよ風でキラキラと光るように揺らめく。樹木を見ていると、向こうに何かが存在していると信じている自分に気がついた。そうか、自分は多くのことを信じていた、もうすっかり忘れ去られた昔の自分の感覚がこのようなものだったのかということが鮮やかに蘇ってきた。

人は成長し人生を生きる過程で挫折、苦しみ、裏切りなどを経験することで信じる気持ち、純粋な気持ちを失っていく。その結果、人は過去に起きたことに縛られ、疑い深くなり、新しいことに挑戦してみようという冒険心も失っていく。一切のものは疑われ、無味乾燥なものに思われ、やがて果てしない諦めの気持ちだけが永遠に続く。諦めの気持ちとは希望を持たないことである。樹木を見ていて、向こうに何かが存在していると希望を持って信じている昔の自分はもういないのである。本来の生き生きとして自己への回帰を反復と言う。だとすれば、反復することは夢の中でしか起きないものなのだろうか? しかし、その時の室人にとってその問題はどうでもよいと思えた。彼の意識は未来を向いていたからだ。


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