試験官の開始の合図で、鳥が一斉にはばたくように伏せた答案用紙をもどす音が大講堂に響いた。室人もその中にいた。何とか詰め込んだ知識で試験に臨んでいた。
人の平均寿命は確かに伸びてきた。 戦争が日常であり平和が非日常であったギリシャ人の平均寿命が二十歳ぐらいだったと言われている。裁判で死刑判決が下り、悪法も法なりと言って毒杯を呷ったソクラテスは七十歳ぐらいだったから、ギリシャ時代では希にみる高齢者で、現在に置き換えてみると、百歳を超える長寿者でもあったのであろう。 戦国時代の日本人が五十歳で、その中で、織田信長が49歳で、晩年に顕著な老化が記されている秀吉が61歳で、異例の長寿を全うした家康でも75歳まで生きたと言うから、確かに敦盛に唄われる「人生五十年、、」というのは現実味のある当時の人の平均寿命であったと思われる。
八十年を超えるであろう今日の人の一生において入学試験は少なからずその後のその人の人生にも深く影響するものである。 その人の人生が入学試験と言う一日で左右され、場合によっては決められてしまうとすればやはり運命的なものであろう。
マキャベリが「君主論」の最後に人の運命について記している。 入学試験には確かに運、不運に左右されることがある。 しかしながら、マキャベリの言うように運命の女神がその人に起こるであろう事の半分を決定しているとしても、やはり残りの半分を決める権利はその人の自由意志に委ねられていると考えるのが妥当である。 運命との駆け引きは入試の一日だけではなくすでに受験勉強を続けてきた中で行われてきたと言うことだ。 入試の一日はその最後の仕上げと言える。その日の運が悪ければ、桶狭間の戦いの今川義元のように討ち死にすることもあるし、運が良ければ、織田信長のように十倍の今川軍に勝ってその後の天下取りの道を開く者もいる。
室人は数学の問題は予想外で少し焦ったが、難問を避けながら点数を稼いで、難問の一つは部分点を稼ぐことに徹して、比較的結論が見えそうな問題を解いて、答案の中心の華とし採点者に評価を問うこととした。
そして運命の日が来た。合格発表日。
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