室人は受験があるというのに机に向かって本を開いても以前はストレートに入って行けたものが、何かが引っかかったようでだめだ。成績も伸び悩んでいた。皆が一所懸命にやって、昨日より今日、今日より明日、というように成長している状況で、一人だけ伸び悩むということは追い抜かれていくということを意味する。最初は少し皆の走るペースが早く感じられ、一人に抜かれ、二人目にも抜かれる。 最初は焦って自分のペースを上げるが抜かれるとやる気を失くす。どんどん抜かれていくともうどうでもよくなっていく。勉強をしなくなるのはこうして始まるのだろう。 進学は諦めて進路を変えることを室人は一人で考えたりした。 適当に勉強して人のお金に要領よく集って生きていくだけの世渡りは自分にはできないように思える。 しかし、真夏の炎天下に大粒の汗を出しながら重労働をし、真冬の極寒の早朝には重労働をしなければならない、人並みの生活ができるお金を仕事で得るためにはそうせざるを得ない。 きつい、汚い、危険な仕事をしなければ人並みには生きていけない。 重労働に耐えられるだろうか、 その日は終わってもその次の日が来る、何十年もその繰り返しという単調さにも耐えられるだろうか。 単純な重労働をすれば人は夕刻に仕事が終わっ後に次第に明日のことを考えようとしなくなる。 キツイ肉体労働から解放された身体は彼の脳に休息を要求している、あるいは身体に重労働の疲労が残るようであれば、それを癒すために酒を飲む。酒が身体の疲労や痛みを忘れさせてくれる。 酒を飲むのはホワイトカラーも同じかもしれないが、ホワイトカラーはその日の頭にくる精神的ストレスを癒すために酒を飲み会社や仕事の愚痴を言う。 会社や仕事の愚痴を言えるのは自分にとってより良い明日を考える余裕があるからできることだ。肉体労働者にはそんな余裕はない、疲れた身体が彼の頭にもうこれ以上は何も考えずにや休ませてくれと言っているからだ。 明日のことを考えることを止めて生きるのも嫌だが、毎日を不平不満で明日は良くなろうと儚い希望を持って生きるのも嫌だな。 どこかに退屈をしない程度に楽に働いて、ほどほどの金も得られる、そんないい仕事はないかなあ、と思ったりした。それは無いだろうし、もし有ったとしたら、すでに高い求人倍率で、その仕事にありつくことはほとんど不可能と言うことだろう。誰もが考えることは同じということだ。
そんなことを思っているうちに、「現実的なものは理性的である、理性的なものは現実的である」という哲学者ヘーゲルの言葉通りの現実に室人は直面した。 最終志望校を決める模擬試験で彼は志望校には合格できないという結果が出た。志望校のランクを落とさざるを得ない。 受験が迫ってきて、室人も焦りを感じて受験勉強に打ち込むことになった。 険しい坂道を自分の頭を最大限に酷使してどこまでも登っていく。 疲れる、疲れる、疲れる、そして、少し休む。たくさんは休めない、まだ終わっていないからだ。 この少し休んでいる時間ほど孤独で苦しく不安な時間はない。 カーテンを少しずらして、外を見ると冬の寒空に月が見える。 風があるのか小枝が震えるように揺れている。 彼女も一人で勉強しているんだろうか、とふと思った。 そして、また机に向かった。
そして、入試の日は来た。
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