閉店後にすぐに麻衣は通りへと出て駅のほうへと向かって早足に歩いていた。人通りは多くなかったが、自分より少し前を先ほどのあの男が歩いているのに気がついた。男はふらふらとよろめきながら歩いていた。あの人はまだ帰らずに近くにいたのか、預金を全額引き出してこれからどうするのかしらという思いが麻衣を横切った。男は立ち止まると最後の力をふりしぼるように天を見上げると、「可、、、、可、、、、可、、、可奈子、、、」と言った。次の瞬間に突然男がドシンという大きな音で前のめりに転倒した。男が倒れたことに麻衣は驚いて倒れた男に駆け寄った。
男は頭を強く打ったようで血を流している。相当な量の出血をして、気を失っているようだった。麻衣は、病人がいます!!怪我をして頭から血を流しています!! 誰か早く救急車を呼んでくださいと周囲の通行人に叫んだ。一人の通行人がよしわかったとばかりにすぐに携帯電話で救急車を呼んでくれているのがわかった。麻衣が男の出血を懸命に止めようとしたが止血できない。麻衣が座り、男を見ていると、男はかすかに意識が回復してきた。かすみのかかったような視野の中でぼんやりながら浮き上がってきた麻衣を見ながら「可、、可奈子、、、可、、、可奈子、、、可、、可奈子、、、」とうわ言のように弱弱しい声で呼んだ。男はぼんやりと浮き上がった女の姿と顔を見ながら、「私違います、私は麻衣です、、、麻衣です、、、」と言う声を聞き取ることができた。やがて男は可奈子ではなく麻衣であることを認識すると「ああ、先ほどの受付窓口にいた人ですね、、、、ぼくは、、、ぼくは、、何か夢をみていたようだ」と言った。意識がもどった男を見て麻衣が「しっかりしてください、誰か連絡する人はいますか」と言った。男は「ぼくは身寄りはありません、だから連絡先はありません」と言った。麻衣は救急車に早く来てほしいと思ったがすぐに来ないようだ。男が言った「ぼくはいつかはこんなふうにどこかで最期が来るんじゃないかと以前から思っていたんだ、、、それがいつの日かはわからなかったが、近々来るんじゃないかと最近は思うようなっていた、、、 そして、今日ここで死がおそってきたということだとわかった」。麻衣が男の言葉を打ち消すように強い調子で「大丈夫です、今すぐに救急車が来ますからしっかりしてください」と言った。男は麻衣には答えずに黙って少し微笑んだ。
静かな時間が流れていた。どこか遠くでビル工事の掘削ボーリングの音が聞こえる。男は自分の意識がまた薄れていくのを感じたのか、死ぬ前に言っておこうと思ったのか「麻衣さんと言いましたか、、、、ぼくは自分の最期がどんなものか今まで考えたことはありませんでしたが、あなたのような綺麗で優しい人に最期を看取ってもらえることになったことを偶然という神に感謝したい気持ちでいっぱいです、、ありがとう、、、ありがとう、、、」と言うと男の意識は急速に薄れ始め、麻衣の顔もかすんで遠ざかっていった。遠くの掘削ボーリングの音が聞こえるが、やがてそれも遠ざかっていこうとしていたが、ボーリング音はいつしかテニスコートでボールを打つ音へと男の薄れ始めた意識の中で変わってきた。しだい、しだいに、男は薄れ行く意識の中で夢に入っていった。昔の情景がテニスボールの音とともに蘇ってきた。
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