室人は不安の中にいた。下校時に可奈子と零人が二人で帰っているのにバッタリ出会って以来ずっと不安を感じるようになった。 二人はなぜ下校時に二人一緒に並んで歩いていたのか。二人はすでにひょっとしてカップルになっているのではないかと思うと悔しいという思いがしてきた。しかし、二人は偶々帰る方角が一緒になったので話しながら帰っていたのかもしれない、これは自分の思い過ごしだ、二人には何も起きていない、カップルとなるようなことは何も起きていない、自分は彼らがカップルであることを否定したいという気持ちも同時に起きてきた。しかし、本当に何もなかったのかと思うと一層不信へと心が振れた。こうしてシーソーゲームのように心が揺れ動くたびに二人の並んで歩いている姿が脳裏に蘇っては消えた。
特に可奈子の姿が何となく艶かしく思えた。室人は動物としての人間の生存本能に左右されていたのかもしれない。零人は可奈子と友達として話しているだけだったのかもれない。まだカップルにはなっていないのかもれない。もしそうだったとしても、ある事が彼を不安にさせた。室人は先日零人と昼休みの校庭で話しをした。その時零人が哲学的に生きている人間であることを室人は知った。室人は自分も哲学的に生きようとしていることでは彼と同じであることにその時気がついた。可奈子が零人と付き合うことは室人にとっては競合的なことに思える。可奈子がもし零人とカップルとなったとしても、二人がその後カップルを続けていくことができるかどうかはわからない。室人には何となく二人のカップルは長くは続かないように思える。もしそうして二人のカップルが解消したときに再び独りとなった可奈子に対して室人が新しいカップルとなることを提示できる可能性がある。しかしながら、その可能性は低くなる。なぜならば、可奈子が零人と言う哲学的な彼氏を受け入れた後にその関係が解消した後で再び同じように哲学的な彼氏である室人を受け入れるとは考えにくい。人間誰しも恋愛関係で別れと言う苦い経験をするとその次の恋愛の機会にはまったく別の性格の彼氏なり彼女なりを求めるものである。だから、室人にとって柳の下の二匹目のドジョウとなって可奈子の視野の中で再び自分が恋愛の対象である彼氏として意識されることはないように思える。もう一つの可能性としてカップルの解消の原因が可奈子が零人が提示した哲学にある場合である。可奈子は零人の提示した哲学を超える哲学を室人に求める。より狭い領域でより高次な哲学を可奈子に提示しなければならない。室人にはその可能性が低いと思われた。確たる哲学の優位性に自分が立っていると言う自信を実感できなかったし、可奈子の嗜好性によっても大きく左右される事柄である。だから、室人は焦りの中で不安を感じていた。競合しているという意識に可奈子の姿が性的に重なっていくにつれ、意識が嫉妬へと変わっていった。
室人はもがき苦しみながら嫉妬へと益々収束していく自分の意識の再分離を試みようとしていた。関連があるように思われるいくつかの事象が本当に関連があるのかどうか、自分の思い込みによってもたらされた仮象に過ぎないのではないかと。一つ事象と別の事象が別の階層に存在していて自分はその二つの事象を真上から見ていることで関連があると見ているが実は目の錯覚であって横から見ると別の階層に存在しているだけであり二つの事象には実は何ら関係性が存在していない。自分が見る角度によって2つの事象に関連性があると見えるということは感情移入であり真実の実体を見ていることではない。しかしながら、見る角度を変えるということは往々にして難しい。人間にとって自分の前に出現する表象はすでに固定された意識の前に出現しているからである。それらの事象が机に置かれたりんごのように手にとって見ることができる物であればりんごが腐っているかどうかも認識できる。しかし、もし病室でベットで寝ている人が机に置かれたリンゴの反対側の見えない部分が腐っているかどうかはわからない。今の室人はベットから起き上がることができない人と同じでりんごの見えない部分つまり零人が可奈子と一緒に帰っていたという事実を角度を変えて見ることができない。零人と可奈子に直接聞けば何かわかるかもしれないが、彼らが本当の事を言うとは限らない。結局、事象は室人の前で固定されてしまっている。しかし、室人はそれではダメだと思った。この閉ざされた閉鎖系の事象から自分の感情移入を除去せねばならない。室人は意識の階層分離を試みた。すべての事象を成立させている要因を一つ一つ慎重に抽出分離していき懐疑の目で要因を見ていこうとした。 こうして室人はは懸命に階層分離に取り組んだがどうしても分離できない要因があった。それはなぜあの日あの時あの場所の零人と可奈子がどう考えてもカップルのように思えるということであった。室人は意識の中からカップルではないという背理法による要因潰しを徹底的に試みたのだが二人がカップルであると言うイメージを拭い去ることはできなかった。
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