校門を出て少し右に曲がって歩くとそこに公園があった。 午後の公園には子供たちが空にでも届くような声を出してドッチボールをしていた。可奈子の前をドッチボールをしていた子供たちのボールが転がってきた。可奈子はボールを拾い上げると走ってきた子供の一人に投げてやった「私、この遊びあまり好きじゃない、ボールが当たったら痛いでしょう」と可奈子が零人に言った。
子供たちがボールを受け取り走り去ると公園は静寂になった。陽はすでに翳り始めていた。二人は公園の中を並んで歩いていた。やがて公園の沿道の立木の中に一際目立って天に向かって高々と伸びる一本の大木が二人の視界に入ってきた。 その大木の近くまで来たとき昨日の嵐のような風と落雷によって途中で幹が切断されたもう一本の大木があった。落雷は幹を貫通して根元まで達していた。そばには強風により折り曲げられ引き裂かれてた幹の片割れが痛々しく残骸として横たわっていた。 零人は昨日突風が吹き嵐で落雷があったことを知っていた。そして落雷を免れて強風に曲げられることなくさん然と立っている大木のほうの幹にそっと手をあてて言った「この木は昨日の落雷の恐怖を語ることなく独りで立っている。その気持ちは誰にももはや理解できないぐらい深い。明日には次の落雷が昨日の落雷のようにこの木を根元まで引き裂き倒すかもれない。ぼくは風雪に耐えながら、落雷の恐怖にも決して動揺することなく立っているこの大木を尊敬すら感じる。人間はこの大木に比べたら何と弱いことか。多くの人間がこの大木と同じ状況に置かれたら、天が突然もたらす頭上からの一撃が自分を引き裂き抹殺することを想像しただけで身震いし恐怖から恐れ慄くだろう」
零人が一所懸命に話しをするのを聞いていた可奈子は零人の声が何て素敵なのかと思った。それから彼の横顔が整っていてハンサムであった。 大木から少し離れると誰もいなくなった公園にポツリと置かれたブランコがあった。二人はブランコに座ることにした。
可奈子は零人が何かとてもカッコイイことを言っているように最初思えたが、人間が感情的になって動揺することなく大木のように生きるには何が必要であるかよくわからなかった。そして自分には理解できない世界があることを感じると同時に零人の自分の人生にまじめに取り組んで生きようとする人柄に好感を持った。
零人の方も自分の話しを素直に聞く可奈子の乙女の可憐さを気に入った。 しかし、零人は女の子にはいままでモテテきたし、何人もの女の子から告白もされたし、付き合ったりした。可奈子を見ていた零人は以前いた私立中学校のときのことを思い返し、「前の中学の時はあんなピアノ曲ぐらい上手に弾ける良家のお嬢さんはたくさんいたし、キレイな女の子だってたくさんいたのに、今の公立中学校では白鳥さんぐらいがマドンナみたいに同級生の男どもから言われているのであって、たいしたことないな」と心の中で思った。 その時、彼は自分自身に対する自信をの根拠を確認し、ここで口説いたら可奈子も自分の彼女になるだろうと思った。
「白鳥さん、、、」と零人が言った。
可奈子が彼のほうを見た、早川君って不良ッポイ目をしているけど何てハンサムなんだろう、と可奈子は内心思った。零人は皮膚の色が白い、色白のせいでこめかみから目の周辺に細かい青脈が浮き出ているのが見え、その青白い陰影が彼を魅力的に神秘的な雰囲気の美少年の顔にしていた。 可奈子も零人と同じぐらいに透き通るように色白であったし青白くなっており、それがその時の感情でまるでカメレオンかイカの皮膚のように変色した。そのことが可奈子を神秘的に見せて美少女のように見せていた。
可奈子が男子というものをどのように感じていたか、その当時自分の彼氏の理想をどのように構築していたかということを説明することは難しいことであるが、断片的な事象からそれを推理することにしよう。 彼女は鏡に映った自分の顔を見てそこにナルシスムを感じることがあった。ナルシスムとは何か、自分自身に性欲を感じるということと辞書などには書かれている。鏡に映った自分がもし男の子だったらどんな子だろうということである。ギリシャ神話に羊飼いの美少年ナルシスが水面に映った自身を見て美少女がそこにいると思い恋をして、敵わぬ恋と知り絶望して自殺するという話があるが、ナルシスが女だったら逆に美少年を水面に見るということがナルシスムである。
このようにして可奈子の脳裏に映る自身の姿が彼女の価値基準になっており、少なくてもその男の子より美少年でなければならないという理想が彼女の中にはあった。客観的に見て一人の人間が男として生まれるか女として生まれるかを人間美で比較すると同じではない。男として生まれるほうが1割ぐらいは美しい顔になる。これは生物学的には男性ホルモンの影響である。可奈子は、そのような美少年のような自分に置き換えてそこにナルシスムから来る女性独自の自惚れが1割ほど加算されることで自分を零人と等価であると判断していた。可奈子自身はそのような自分の理想の彼氏の成立に至ったプロセスを認識していたというわけでなく、自分自身の意識の水面下のプロセスを認識することなく感性的直感で零人のことをそのように判断した。 夕暮れが近づいていた、色あせてゆく風景の中でそびえる大木の枝葉から時々太陽が微笑みを返すかのようにブランコの二人の周辺を照らしていた。零人の顔が近づいてきた、可奈子の顔が接近してこのままいくとキスでもするのかというその時その瞬間が来た。神が人間に対して無限の時間と無限の空間の中に置いたかのように思われる瞬間である。
その時、可奈子はある思いから顔をそむけた。 可奈子は暗い顔になりその気持ちを相手に見せまいとして横を向いた。 零人は突然の夕立にでもあったような気持ちになり、なぜであるか理解できないという、気持ちと同時に自分を拒んだ女の子がいたという驚きを感じるだけだった。
可奈子がもし二十歳だったら、彼女はこの瞬間にキスを交わしていたかもしれない。 おそらく彼女の小市民的道徳が無意識に中学生ではまだ早いと思わせ彼女を拒ませたのかもしれない。彼女がそしなかったのはまだ中学生で子供の心により近かったからだと考えることもできる。しかし、実はそうではない、彼女がなぜそうしなかったかということは不可思議なことに思えるかもしれないが、それは彼女が零人のことをまだ表面的にしか知らなかったからだ。彼女は零人の顔だけでキスをする衝動よりは自分に対する自惚れのようなプライドが勝っていた。零人からキスを成立させるために二人のバランスを変化させる何かを可奈子は求め期待していた。 若い零人は彼女に自分の中を見渡しても彼女の期待に応えるようなものはすぐには見つけることができない。零人は焦燥感から自分の価値の再確認のための自己探索に走り、彼に男としての未来への投機性を呼び覚ましたまさにこの瞬間に彼女のことを好きになった。しかし、彼も強い理性で生きていたので、その場の衝動に任せてキスという行為の完遂のみを目的として追及しようとは思わずに平常心にもどった。
午後の日差しを通して大木の生い茂る枝葉が微風にゆらめき見え隠れするように二人の上に影を照らしながら静かに一瞬の時が二人の前を流れ過ぎた。 「私たち中学3年で受験もあるし、、、もう帰らなくては」と可奈子が言った。 零人は可奈子の言葉につられるように「ああそうだ」と言ってしまった。 そして二人は公園を後にして別れた。
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