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作品名:反復の時 作者:くーろん

第101回   101
室人がこの男と話したのは彼が哲学的人間だったからだと思っている。
それから、あのホテルであった事柄、具体的にはバージンベルトを外せなかった話などは口が裂けても言いたくなかった。それでもこの男の可奈子を思うある種の純粋な思考が今の室人自身には必要であった。
その時、外路でクラッカーを鳴らす音と数人の男女の歓声がした。クリスマスパーテイが終わって帰宅する若者だろうかと思った。どうやら、外の雪は小降りになりやがて雨となり止んだようだ。

室人は黙って男の話を聞いていたが、一瞬の静寂があったときに小さな声で言った。
「あなたは白鳥さんのことを一体何を知ってそんなに興奮したように話すのですか、、、、、」。

壁人「オレにとってオレに見える彼女がそのすべてであって真の姿だ。それ以外を問題にすることは重要だとは思えない」。

室人「でも、あなたはぼくが白鳥さんとあのホテルに行って出てくるまで何があったのかと気にして問い詰めるように訊く。あなたは時間的な長さや個別に生起する事象より本質を重視しているとも言う。矛盾していませんか」。

壁男は一瞬天を睨むとそこに暗い闇を見ただけのような失望感を目に漂わせた。

壁人「オレは彼女を愛している。それは真理でありその愛はあんたよりも深いと思っている。あんたにも愛があるでしょう。それはあんたのやり方での愛であるが、オレにはオレの生き方、オレの愛がある。それがあんたよりは深いとオレは信じている。だからオレはあんたの目の前にこのように現前して言葉によって一つの意志表示をしているわけだ」。

室人「白鳥可奈子はぼくの初恋の女性です。中学3年の時です。卒業してからも高校で付き合ったりしましたが、その後長い間、離れていました。しかし、偶然に再会して反復を経ることにより婚約へと至ろうとしています」。

室人は可奈子とはあのホテルでの一件で、婚約どころか破談になるのではと思っていたが、この男の前ではなぜか強気になって彼女との愛がうまく行っているように話した。

室人「あなたが誰よりも深く愛していると言っているのは現在の白鳥さんのことでしょう。あなたは昔の白鳥さんのことは何も知らないし知るすべもない。
一方のぼくと白鳥さんの関係はと言うと、白鳥さんは初恋の女性としてぼくには存在し、再会反復を経ることにより今日の愛へと至っている。ぼくの愛はこのようなものです。だからぼくの愛の方があなたよりは上だとは言いません。あなたにはあなたの愛のやり方があるということをぼくは否定しないからです。しかし、あなたにもぼくの愛を軽々しく自分の方が上だと言って欲しくないだけです」。

室人がここまで話したときに男は突然立ち上がり拳を握り締め言った。

「しかし、オレにはあんたを超えるものがあると言う信念を感じられる。それが何だとは言えないが、、、、、、。現在のオレは彼女の前に現前すべき存在とは思えない。オレは老いた病気の弱視の母親を介護しながら2人で古い家で暮らしている。オレは仕事を転々として暮らして、現在は失業中だ。この先人生が好転するとは思えないが、一つ予感できるのは彼女という一点を通じて人生が絶望から反転するのではないかということだ。彼女のみがオレの人生を立ち直らせてくれる、いきがいを感じさせられる女性ではないかと思う」。

室人「あなたは絶望の中に生きていると言っているが、彼女を愛しているという信念があると言う言葉はわかるような気がします。しかし、あなたの言葉をあなたの人間的極限状況の観点で見ると、絶望の中であなたは彼女に天使にでもなってくれることを期待している人にしか見えない。
しかし、ぼくは別の視点から、あなたが彼女という一点のみに集中していることを重視します。あなたは「絶望」を言葉や論理でいじくっている人でないということはわかります。つまり、あなたは絶望の中で毎日を生きている人だということがよくわかります。
すべてに絶望しているあなたは彼女の前での現存在としての自己までも否定して現存在がそこに現れないことを望んでいる。しかし、すべてを反転の瞬間に集約して期待するということは絶望しながらもあなたが生きているということを証明する。
つまり、あなたのすべての感性や思考以前にあなたが現実に生きているから起きることではないか。あなたの自信もあなたが生きていて存在する者だから生じるのではないか。自らの生きんとする意志を言葉で否定しても、あなたをここに生きている者として存在させている生命力は否定できない」。

壁人「あんたがいくら人間存在やその仕組みを説明してもそれがオレにとって意味があるのかどうかはわからない。オレという現存在に出現してくる表象の中でオレが感性として得られるものからのみオレは自分の世界を築く。反転が果たしてあんたの言うような理論的な反転であるのかどうかもわからない」。

壁人は椅子に座りこみ在らぬ方向を見ていた。

室人は男を正面に見て言った。


「あなたはぼくが彼女と一緒にホテルで何をしていたのか気にしてしるようです。ぼくがさきほど彼女をタクシーで見送った時、ホテルでの些細な心のすれ違いを今後引きずりながら、矛盾の中で現在の愛の段階で結ばれるということが本当の幸せではないと私には思えるからです。
彼女とぼくの間に矛盾があることを私は否定しません。
だから、高い段階への止揚が必要であり、その段階まで待ちたいのです。ぼくは彼女に私たちのこれまでの関係が損なわれないように兄妹のような愛でこれからもしばらくはいたいと言いました、、、、」

壁人はしばらく不思議そうに室人の顔をのぞきこんでいたが、何も言わずに座り直して在らぬ方向に目をやった。
壁人には可奈子と室人の間に起きた事実はわからない。しかし、室人の抽象的な言葉の中に真実に迫る思考の回路を嗅ぎ取る。それが、彼が愛するという彼女に迫る唯一の方法であり、彼にとっては救いであった。

それから室人は壁人の言葉を待たずに、壁人に別れを告げるとその場を立ち去ることにした。
壁人は下を向いたまま何かを考え込んでいるようでそこに座り続けて動こうともしない。おそらく、明日の朝には壁人はどこかで彼女を待っているのだろうか。室人はそんなふうに思えた。室人は壁人のある種の純粋さに赤面しながらも自分の座標原点を確認できたことに満足できて清々しさを覚えた、

室人が建物の外に出ると晴れた夜空が広がっていた。そこに満天の星が光っていた。まるで冷たく別れた可奈子から彼に光が投げかけられているように思えた。


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