カン──カン──カン──
「ここから先は二手に別れよう!」
レア達と共に駆けてきた二人の傭兵の片方が、うるさく鳴り響く鐘の音に負けじと声を張り上げた。
「あんた達はこの街に不案内だ。だから、この通りを行くといい。道に沿って真っ直ぐ進めば迷うことはないからな!」
傭兵は二つに分かれている街路の一方を指した。
「わかったわ!」
レアも大声で返した。
「気をつけて行けよ!」
「お互いにね!」
片手を上げた後、イノにうなずきかけて駆け出す。
通りに連なる家々から、住人がぞろぞろと姿を現しはじめている。周囲にただよう硝煙の臭い。家屋の群れの彼方に、夕空に立ち上る黒煙が見えている。
「みなさん今すぐ避難所へ向かってください! みなさん──」
レアの前方から、シケットの警備隊の格好をした人間が駆けてくる。自分より年下の男の子だ。緑を基調とした制服と鎧は新品同様で、まだ着慣れていない様子だった。きっと見習いなのだろう。避難を呼びかける声がうわずっている。
「君!」
すれちがう寸前にレアは相手の細い腕をつかんだ。兜を被った頭がぎょっとしてこちらを見た。
「今、この町の状況はどうなってるの?」
「わ、わからないんだよ」
自分を捕まえたのが女の子だと知った安心からか、見習いの少年は年相応の口調になった。
「今日の勤めが終わって、家に帰ったらさっきのすごい音がしたんだ。しばらくしたら先輩がすごい勢いで家に来て、『みんなを避難所に集めろ』って僕に言ったから……」
「その先輩ってのは、今何をしてるの?」
「正門の守りを固めるって言ってたよ。他の先輩達と一緒に」
「他の先輩も合わせて、正門を守るのは何人ぐらい?」
「し、知らない。でも、みんなを集め終わったら、僕も後から来いって言われてる」
「そう。ありがとう」
レアが手を放すと、少年は再びうわずった声で呼びかけを始めた。
「みなさん──」
二人は少年が来た方向へと街路を駆けだす。
「避難所は無事みたいだけど、警備隊はそう残ってないのかもしれないな」
イノがいった。
「たぶんね。でなきゃ、あんな子まで防衛戦に駆り出したりはしないわ」
「思ってた以上にやばいかもしれない。急ごう!」
外壁に覆われ、箱のような形をしている自由都市シケットは、塔を中心に大きく南北の二つに区切られていた。正門のある南側は主に市場を中心としたもので、レア達が飛び出してきた隊商宿もここにあった。北側は市民の住居や行政関係の施設が中心となっているようだ。
ヤヘナが訪ねていったのは市場らしい。隊商宿と同じ南側の区画で、距離もそう離れてはいない。しかし、そこは敵の主力が攻めてくるだろうと予測される正門の近くにある。守備に回った警備隊がどれほど持ちこたえられるかはわからない。市場が戦に巻きこまれる前にたどり着く必要があった。
見慣れぬ都市の石畳の上を、二人は駆け続ける。
「傭兵斡旋所が吹っ飛んだらしいじゃないか」
「警備隊の詰め所もだって?」
「役所もなくなっちゃったらしいぞ」
「いったいこの街はどうなっちまうんだよ?」
さっき呼び止めた少年と同じような見習いの警備隊員に、避難所へと先導される住人達が矢継ぎ早に声を浴びせている光景が、その中を突っ切るレアの目にいやでも入ってくる。雑多な質問の数々に答えることもままならず、おろおろしている見習いの表情が痛々しい。
ゆっくりと沈みゆく日の光と入れ替わるように、暗鬱とした混乱がしだいに小都市を覆っていくのが、レアには手に取るようにわかった。もくもくと夕空に立ち上っている黒煙の群れは、その象徴のようにさえ思える。
カン──カン──カン──
あちこちで鳴るやかましい鐘の音が、レアの気持ちをさらに焦らせる。
ヤヘナは無事だろうか? 市場の方角に黒煙は見えないため、爆発に巻き込まれたりはしていないはずだ。もっとも、爆発のあった時間に彼女が市場にいたのかどうかまではわからない。今のところ、隊商宿から市場へと続く通りにぞろぞろいる人々の中に、老婆の姿は見ていなかった。
ひょっとしたら、別れた傭兵達が向かった道をヤヘナは進んでいたのかもしれない。その場合は、彼らが老婆を保護してくれるだろう。自分達は無駄足を踏むことになるが、それはそれでかまわなかった。
レアは歯がみする。面倒事……怖れていた事態が起こってしまったのだ。
こんなことに関わっているべきでないのはわかっていた。地方のちっぽけな都市を襲っている盗賊よりも、ずっとずっと強大で怖ろしいものと自分達は戦おうとしているのだから。いまのうちに、隊商に預けっぱなしにしてある本来の服と装備に着替えて、シケットの北側にある門から、その先に広がる荒野へと出発すべきなのだ。
だが、レアにはできなかった。イノも同じだ。
苦況にいた自分達に手を差し伸べてくれたヤヘナ達。きっかけはこちらが助けたことによるものだが、それ以上のものを彼女達はあたえてくれた。そんな人達を見捨てて立ち去ることはできない。少なくとも、みんなの安全が保証されるまでは。
ヤヘナ──あの元気で優しいお婆さんが、こんなことに巻きこまれて死んだりでもしたら。
そう想像するだけで、レアには耐えられなかった。『浮ついたちょっかい』ばかりを言ってくるときは本当に頭にきたりもしたけれど、それでも彼女のことが好きだとホルに言った言葉は本心からのものだ。
ヤヘナと別れるときは、ちゃんと挨拶して別れたかった。お互い、もう二度と会うことはないかもしれないのだから。両親、ソウナ、サレナク、そしてアシェル……『ありがとう』すら言えない悲しい別れ方だけは、もう絶対にしたくはない。
カン──カン──カン──
やがて、通りの向こうに、大市場の半円の形をした門が見えてきた。地方の様々な特色をした服の人々が、ぞろぞろと門の外に固まっている。その近くでは、レアより年上らしき警備隊の青年が声を張り上げて避難を呼びかけていた。
そして、その人々の群れの中に──
「ヤヘナさん!」
レアは今まで出したことがないぐらいの大声で叫んだ。
「あれまあ。お嬢ちゃんと坊やじゃないかい」
駆け寄った二人を見て老婆は目を丸くした。その片手には、布でくるんだ小さな包みを持っている。周囲のピリピリした空気と無関係の、なんとも気の抜けた口調だ。
「『あれまあ』じゃないですよ……もう!」
息を整え、額の汗をぬぐって、レアはほっと胸をなで下ろした。
「二人仲良く街見物とね。ひょっとして、この街で所帯でも持つ気になったのかい?」
こんな状況だというのに、相も変わらずの好色げな笑み。
「ちがいます!」
さっきの安堵はどこへやら、一瞬、本気でイラっとしたレアだ。
「ヤヘナもさっきの爆発を見ただろ?」
イノが真顔で話しかけた。
「ああ。見たとも。おっかなかったね。んでもって……」
老婆の瞳が鋭くなった。
「今回ばかりは、この街もちょいとまずいことになるね」
「とりあえず、わたし達と避難所まで行きましょう。ホルも心配してます」
「あのバカ孫がかい?」
と、彼女はおどけた声を上げた。
「どうせ、あんた達に言われるまで、しこたま酒飲んであたしのことなんか忘れちまってたんだろう?」
図星だ。
「ま、それはいいよ。ところで、なんであんた達は、あたしのところに来たんだい。どこ行くかは知らないけど、『大事な旅』とやらがあるんだろう? こんな物騒なところは、とっとと出ちまった方がいいよ。いざ逃げられなくなったらバカみたいじゃないか。バカは孫だけでたくさんなんだよ。あたしは」
まるで、とんでもないイタズラをしでかした子供でも叱るような口調だった。でも、それは彼女が自分の身以上に、こちらを気遣ってくれている気持ちから出ている言葉なのだと、レアにはわかっていた。
「そうはいきません」
相手の瞳を見返していった。
「お別れするまで、わたし達は隊商の警護を務める人間なんですから。仕事はちゃんとさせてもらいます」
老婆は、しばらく渋い顔でレアを見上げていた。
そしてふっ、と唇の端をつり上げた。
「あきれたね。どこまで生真面目なお嬢ちゃんだろうね」
優しい声音。だからこそ、自分達のしたことは間違っていないと思うことができる。
カン──カン──カン──
「なんで、ここのみんなはグズグズしてるんだ?」
門の入り口に固まって警備隊の青年になにやら喰ってかかっている人々を見て、イノが疑問を口にした。強引に市場の中に戻っていく人間もいる。
「ま、みんな、あたしらと同じで大事な品物抱えて遠くから旅してきた連中だからね。それを市場に広げたままほったらかして逃げたりなんてしたくないのさ。飯の食い上げだからね。この家業の辛いとこだね」
でも、と声を上げたレアをさえぎるようにヤヘナ続けた。
「とりあえず、あたしらは行くとしようか。もうじきこの場所もまずくなるよ。なに、そうなりゃ飯の種より命の方が大事だって、ここにいる連中も気づくだろうさ」
三人が人々の群れから離れようとしたとき、連なる家屋の向こう側で爆音がとどろいた。
「ありゃあ……正門のある方だぞ!」誰かが叫んだ。
「突破されたのか?」
「いや。今のは大砲の音だ。警備隊が防壁にあるやつをぶっ放したんじゃないのか?」
さっきまでの騒ぎを忘れたかのように、人々は呆然と声を交わし合った。中には見えるはずもないのに、背伸びして家屋の連なりの先をうかがおうとする者もいる。
再び爆音がとどろいた。そして。
ヒュルヒュルという笛を吹くような奇妙な音を引き連れて、家屋の屋根をこえて巨大な鉄色の玉が現れた。だしぬけに飛びこんできた玉は、かたずを飲んで見守る人間達の頭上を通り過ぎ、市場の門の近くにあった建物の屋根をぶち破った。
耳をふさぎたくなるような破砕音。吹き上げられた板きれやら石の塊だのといった大量の破片が、紅の空にまき散らされる。
レアはとっさにヤヘナに覆いかぶさった。その自分を力強く包んでくれたのはイノだ。一塊になった自分達と周囲の人々に、吹き飛ばされた屋根の残骸が雨のように降りそそいだ。
悲鳴。肉の打たれる鈍い音。それらに気を向けることすらできないレアの足下のすぐ近くで、ごとん、と大きな衝撃がした。脇の下から見える石畳に、人の頭ぐらいの大きさをした石材の破片が落ちていた。全身に鳥肌が立った。
しばらくして、破片の雨はやんだ。
ゆっくりと頭を上げたレアのすぐ目の前に、イノの顔があった。背中に回されている彼の腕、互いの息が触れ合う距離で、二人はもうもうと煙を上げる周囲を見渡した。粉塵の舞う中、ぽかんと佇んでいる者。地面に倒れ伏している者。さっき無意味に背伸びをしようとしていた男が、破片に打たれた耳の辺りから大量に血を流しているのが見えた。
「いよいよ、まずい事になったね……」
二人の腕の下で、ヤヘナがつぶやいたとたん。
「正門が突破されたんだ!」
「警備隊はもうやられちまってるぞ!」
「連中、この街に大砲を撃ちこんでやがるんだ!」
叫びながら、わめきながら、我先にとこの場を離れようとする人の群れ。ヤヘナの言葉通り、金を生み出す商品よりも我が身の大事さに彼らはいっせいに気づいたのだ。だが、それはあまりにも突然に訪れすぎた。
再び笛を吹く音と共に、どこかで見えないところで家屋がぶち壊れる。それがますます人々の恐怖と混乱をあおる。
まるで決壊した堤防から溢れる洪水のように、市場の入り口から怒濤の勢いで流れてくる人の波は、声を張り上げる警備隊の青年も、門の近くにいたレア達三人をも容赦なく巻きこんだ。
どん、と肩にぶつかったのが誰かもわからぬまま、レアは自分を包んでいてくれていた力強さと暖かさから引きはがされた。
「レア!」と伸ばされる手。慌ててつかんだのも一瞬、それはあっけなく放れてしまった。転ばぬよう必死で脚を突っ張る身体を、後から後から続く人々の群れが押し流していく。色とりどりの着物の上にある彼らの顔。顔。顔。血走った目を見開き、定まらない視線のまま、ひたすら前へ前へと進もうとする死に物狂いの形相達。
「イノ! ヤヘナさん!」
必死で上げたレアの声は、周囲の悲鳴にかき消された。二人を捜そうとする視界は、押し寄せる見知らぬ顔達で埋め尽くされた。自らの意志とは関係のない方向に進まされている足の下で、ときどき、倒れている人間を踏みつけるグニャリとした感触があった。
恐怖が喉元までせり上がってきた。今もどこかに撃ちこまれ続けている大砲の音よりも、我を失っている人々に行き先もわからないまま押し流されていることの方が、ずっとずっと怖かった。このまま、もう二度とあの二人に会えない場所まで連れて行かれるような気がした。
見知らぬ人間達に押され、挟まれ、揉まれながら、レアは叫び続けた。自分が助けようとした老婆と。自分を助けると微笑んでくれた彼の名前を。
カン──と鐘の音が止んだ。
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