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作品名:ラフスルエンの樹 作者:新幸一

第74回   十三章 動きはじめた『獣』(3)
命令する声と、拒む声と、血の海に佇む男の姿の夢から、スヴェンは目を覚ました。

静かに身を起こす。となりでは、ドレクが夜具にくるまって寝ている。周囲の岩場に隠れるように起こしている小さな焚き火の反対側で、見張りをしていたカレノアが少しだけこちらを振り向いた。

頭上に輝く月を見る。その傾き具合。交代には丁度いい時間だ。

「すこし風に当たらせてくれ」

鎧を身につけた後で、スヴェンはカレノアに言った。大男は黙ってうなずく。

スヴェンは立ち上がると、岩場の影から外へとでた。とたんに夜風が顔をなでる。そこは周囲の森を見下ろせる小さな断崖の突端だった。

眼下に見える黒々とした木々に目をこらす。その彼方には、森を貫いて走る街道がぼんやりと見える。その途中にある村の明かりが、頭上の星々と同じぐらい小さく瞬いていた。

このどこかに、あの二人はいるのだろうか。自分達が、いや……自分が逃がしてしまったあの二人は。その失態に対する苦々しい思いが、スヴェンの胸を満たした。

光と音とでこちらの目を欺き、まんまと逃亡せしめた反逆者達の足取りは、あれ以降途絶えてしまった。すぐにでも再び捕まえられると思っていたが、その考えはどうやら甘かったようだ。

こちらに追われていることを知ってしまった反逆者達は、もうこれまでのように、あからさまに痕跡を残してはくれなかった。それどころか、細心の注意を払って自分達の後をつけられぬよう行動している。その術に長けたカレノアが認めるほどの巧妙さで。

もちろん、アイツにこんな真似ができるはずがない。もう一方のレアという娘の仕業だ。どうやら、あの娘はこちらの思っていた以上に厄介な存在だったらしい。

反逆者達の旅の進路は、二人が荷物を調達した村の宿場の親父から聞き出している。しかし、それは「北へ向かう」という大まかなものでしかない。あの親父は、レアという娘に荷物を用意してやったことは白状したものの、旅の目的地等の詳しいことは知らないらしかった。

視界に広がる世界。たった二人の人間をやみくもに追いかけるには、あまりにも広すぎる世界。

明日からは手を変えよう。そのための手段がないわけではない。

そう決意したスヴェンは、背を向けて岩場の影へと戻った。

「待たせたな。代わろう」

待機していたカレノアに声をかけ、焚き火の傍に腰を下ろした。

しかし、大男はすぐには動こうとしない。

「どうかしたのか?」

そうたずねたスヴェンに、やがて彼が口を開いた。

「お前は、あの少年達を追い続けるつもりか?」

「それが任務だ」

相手の質問に驚きつつも、はっきりといった。      

「俺はわからなくなった」

「どうしたっていうんだ? お前らしくもない」

静かに紡ぎだされた言葉に、スヴェンは首をかしげた。カレノアとの付き合いは「黒の部隊」に入る以前からと長いものだ。その間、彼が任務に対して疑問や愚痴めいたものを口にしたことなど聞いたことがなかった。今回も、自分やドレク以上に、かつての仲間であるアイツと戦うことを割り切っているのだと思っていた。

「確かに嫌な任務さ。身内を始末しなきゃならないなんてな。だが、命令である以上はやらなきゃならない。もちろん、最後の役目は俺が果たすさ……今度こそな」

アイツにとどめを刺すのは自分の役割だと、スヴェンは思っていた。仲間達の手を汚させたくはない。もっとも、その気負いが、あの無様な失敗を引き起こしてしまったのだが。

それでも、スヴェンは自身の手でやり遂げる気でいた。もう躊躇いは許されない。二度と。

しかし。

「それはわかっている」と、カレノアはいった。

「なら、何がわからないというんだ?」

「あの少年達が、何を為そうとしているかだ」

困惑顔のスヴェンに、岩に刻まれた細い亀裂のような眼を向け、カレノアは続けた。

「俺は、あの少年達が逃げているのだと思っていた。遠くの地に落ち延びるために旅をしているのだと。だがそれはちがった。彼らは逃げているのではない。戦おうとしている。出会ったときにそれを感じた」

「あの二人が何と戦おうとしてるっていうんだ。セラーダか? それとも『虫』か?」  

「わからない。だが、大きなものだ」

「『森の民』の勘ってやつか? バカバカしい」 

吐きすてるようにスヴェンはいった。淡々とした親友の不可解な言葉に、苛立ちすら覚えた。

「もし、それがわかったところで、俺達は任務を遂行しなきゃいけないんだぞ。まさか見逃してやれとでも言うつもりか? アイツが死んだという確実な証拠がなけりゃ、セラ・シリオスは絶対に納得しないだろう。お前はそれがわかってるのか?」

相手を問いつめる。だが、少しの沈黙の後、大男が返した言葉は別のものだった。

「俺は彼が怖ろしい」

「セラ・シリオスのことか?」

そうだ、とカレノアは言った。彼が『英雄』のことを口にしたのも初めてだ。

「最初に出会ったときから、俺は彼を怖ろしいと思った。だが、何故そう思えるのかはずっとわからなかった。あるのは、他の者には感じない違和感だけだ。それを形にする言葉を思いつくことができなかった。この間、あの少年達と戦うまでは」

「アイツが口にしたことでか?」

彼がうなずく。「少年は言っていた。『彼は誰も救おうとしていない』と。それでわかった。俺が彼に感じていた違和感の正体が」

その言葉はスヴェンも覚えている。だが深く考えようとしたことはない。果たさなければならない使命のために、「あいつ」の言葉に耳を傾けてはいけないのだと、そう自らに言い聞かせていたからだ。

「戦士は皆、何かを守るために為に戦っている。それが何かは人によって様々だが、それでも何かを守るために戦っているのは同じだ。お前が、俺達と……あの刀鍛冶の娘のために、今回の任務に望んでいるようにな」

刀鍛冶の娘、とはむろんクレナのことだ。

どきり、としてスヴェンは視線をそらせた。勘の鋭い親友には、どうやら見抜かれていたようだ。だが、過去に犯した罪のことまでは、彼にも話していない。そこまでは悟られていないとは思うが……。

カレノアは続ける。

「そして、セラ・シリオスも戦士だ。おそらく……誰も敵う者のいないほどの優れた戦士だ。だが、彼の力は何かを守るためのものではない。何かを滅ぼすためだけの力だ。その力を振るうに足る大きな何かを。俺はそれを感じて怖ろしいと思っていたんだ」

「考えすぎだ。それに……反逆者の言葉を真に受けるなんてどうかしてるぞ」

異を唱える自分の声が弱々しい。ネフィア討伐で行動を共にした『英雄』が見せた出来事の数々。いまだ理解に及ばないそれらに感じた寒々としたもの。親友の言葉が指すものがそれと同じものだというのなら、頭から否定することはできない。

『あいつは英雄なんかじゃない』──脳裏によみがえるアイツの言葉。振り払う。

なんだってこんなことを言い出すのか? スヴェンにはカレノアの真意がわからなかった。まさかこの任務を放棄するつもりなのか。それが何を意味するのかは、彼にだって十分わかっているはずなのに。

破滅。身近で現実的な破滅だ。

こちらが不審げな眼差しをしているのに気づいたのだろう。

「確かにどうかしてるな。すまない。忘れてくれ」

カレノアは小さく手を振った。そしてスヴェンを見た。

「心配しなくていい。何であろうとお前のやることには従う。信じてくれ」

相手の小さな瞳にのぞく優しげな光に、スヴェンは肩の力を抜いた。

「いまさら売り込まなくたってかまわんさ」

苦笑混じりに返した。

「それよりも、もう寝た方がいいぞ。二、三年分はしゃべったから疲れたろう?」 

こちらの軽口に、親友は無言で大きな肩を小さくすくめた。

カレノアが寝入った後、スヴェンの顔から笑みが消えた。その瞳は、目の前で瞬く炎をじっと見つめていた。


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