あの夢。いつもの夢。
訪れてきた死者達。光のない瞳。開くことのない唇。
謝り続けるわたし。幼い身体。か細い声。
幾度も繰り返し見てきた夢。
だが今夜はちがう。
父と母。そして五人の兵士達。少年。
新しい死者達。
わたしが殺した兵士達。わたしを好いたせいで死んでしまった少年。
そして。彼らの後ろに蠢いている影が見える。
しだいに形を成していく輪郭。
『嫌……!』
小さなわたしの後ろで、叫んでいるわたし。
『お願い! 出てこないで!』
人の姿に変わろうとしている二つの影。
それが誰の姿になるかを知っている。
だからわたしは悲鳴を上げている。泣いている。
大切だった二人。もういない二人。
わたしがなにもしなかった≠スめに死んだ二人。
これ以上は見たくない。耐えられない。
でも許されない。みんなみんなみんなみんな許してくれない。
なにもできないわたしを。悪いだけのわたしを。
『貴女には無理です』
響く穏やかな声。あの男が笑っている。
はっきりしていく二人の影。
胸を貫かれたあの人と。全身を血だらけにした彼と。
『お願い……お願いだから……』
声を上げて泣きじゃくるわたし。
『誰か……』
* * *
身体を揺すぶられ、レアははっと目を開いた。
間近で見下ろしているイノの顔。
反射的に身体が動き、レアは夜具ごと彼を蹴とばす。「うわっ」という声からとび退き、膝をついたままそばに置いてあった剣を素早く手にとった。
ガンガンと胸を打つ動悸。混乱している思考。今、自分がどこにいて何をしているのかすらわからなかった。
やがて肩で大きく息をしているうちに、しだいに周囲の状況がはっきりしてきた。
頭上にまたたく星空。一面に広がる平原。夜風になびく草花。パチパチとはぜる焚き火の音と光。自分が散らかした夜具と、そのとなりで尻もちをついているイノ。
眠っていた自分。見張りをしていた彼。レアはようやく、我が身の置かれた状況を把握することができた。
しかし、なぜ相手は寝ている自分に触れてきたのだろう。交代の時間には早く、危険な事態が起こったわけでもなさそうなのに。
(まさか……)
自分はろくに知りもしない『男』と二人きりで旅をしている──その事実を、レアは今さらのように思い出した。
「なんのつもりよ?」
剣をいつでも抜けるように握ったまま、彼に鋭い声と視線を向けた。
「いや。ひどくうなされてたから……それで起こしたんだけど」
申し訳なさそうに頭をかく相手の顔を、レアはしばらく警戒の眼差しで見つめる。
「ごめん。こんなにびっくりさせるとは思ってなかった」
謝るイノの様子は、『やましさ』を隠しているようには見えない。どうやら、無理やり起こして驚かせてしまったことを、本心から詫びているようだった。
レアは息をついて緊張を解いた。とたんに、悪夢の残滓が身体の内によみがえる。ぞくり、と全身に震えが走った
ひどくうなされていた──まさか泣いていたのだろうか。慌てて顔に手をやる。涙が流れていた様子はなかった。誰であろうと、そんな惨めな姿は絶対に見られたくない。
「まあ、それならいいけれど。わたしの方こそ……蹴とばしたりして悪かったわ」
平静を装った声でそういって、レアは焚き火のそばに腰を下ろした。
「休んでいいわよ。わたしが見張りを代わるから」
「代わるって、さっき寝入ったばかりじゃないか」
「いいわよ。今夜は……もう寝れそうにもないから」
夢。新たに加わっていく死者達。形を取りはじめていた『あの二人』の影。もしイノの手で起こされることがなかったら……。
眠れない。眠りたくない。できるものならこの先ずっと。
しかし、「見張りを代わる」と自分が言ったにもかかわらず、イノは焚き火のそばに腰を下ろしたまま動こうとはしなかった。
沈黙。草花のそよぐカサカサという音の彼方で、獣の遠吠えが聞こえた。
「あのさ……」
やがて、彼が意を決したように口を開いた。
「昔、何があったんだ? シリオスとの間に」
レアの身体がこわばる。それは、自分の過去を詮索しようとする言葉に対する情景反射のようなものだった。自然と口が引き結ばれる。
「まあ……話したくないならいいんだけど」
こちらの沈黙に、ためらいがちに手を振るイノの顔を見る。彼の肩にいる小さな『虫』と同じ不思議な緑色をした瞳。たんなる好奇心ではなく、心から気づかうような眼差し。
固まった心が揺れ動くのを感じた。
話してしまおうか──ふと、レアはそう思った。
不思議だった。これまでの自分なら、彼からの気づかいなんて屈辱としか受け取れなかっただろうに。いつかの庭園のときのように、今夜はどこか調子がおかしい。たぶん……あの夢を見たばかりで動揺しているせいかもしれない。
しかし、よくよく思えば、イノは二度も自分の命を救ってくれている。『虫』に襲われたときと、あの男に殺されそうになったときと。はたしてそれが、自分にとってよかったのかどうかはわからないが、少なくとも、命を救われた事実には変わりない。答えてあげる義務ぐらいあったっていいだろう。
それとも、ただ誰かに聞いてもらいたい気持ちがあるのかもしれない。
「あの男は……」
静かな決意が、頑なになっていたレアの口を開かせた。
「わたしの父と母を殺したの」
ゆっくりと。ゆっくりと。過去が滑り降りてくる。
「シリオスが?」
怪訝そうな顔をしているイノ。「セラーダの英雄」と、ただの人殺しとが結びつかないのだろう。それはレアも同じだった。両親の仇が、フィスルナ市民の尊敬を一身に集めている英雄シリオスだとは、実際に再会するまで考えもしなかった。
「ある男にとって父の存在が邪魔だったから……シリオスはその男に命令されただけよ。でも、『樹の子供』の話を聞いてからは、あいつにとっても父を除くことは重要だったのだと思うけど」
「ある男って誰のことなんだ?」
「あなたも知ってる人間よ。ガルナーク・セラ・アシュテナ。軍をたばねる将軍で、『聖戦』の実質的な指導者でもある」
将軍の名に、イノはますます困惑ぎみだ。
レアは一息ついた。そして苦いものを吐き出すようにいった。
「ガルナークは父の弟で、そして……わたしの叔父でもあるの」
「叔父って……」
その意味するところがわかったのだろう、イノの目が大きく開かれた。
「レアリエル・セラ・アシュテナ。それが、わたしの本当の名前」
その名を自ら口にしたのは、本当に久しぶりだ。まるで他人の名前のように聞こえた。
「セラ……」
「そう。わたしは『継承者』よ。そして、父の名はサリエウス。八年前の『アシュテナ卿暗殺事件』で殺された……。事件の名前ぐらいは、あなたも知っているでしょう?」
「それは知ってるけど……だけど、アシュテナ卿の一家は全員死んだって」
「世間ではそうなっちゃってるみたいね。でも、じっさいには一人娘だけ、こうしてまだ生きているの」
ポケットの中にある指輪を取り出す。花をかたどった白銀の紋章が、炎の明かりに静かに輝いた。アシュテナ家の家紋。過去と現在の自分を繋ぐ唯一の品。
もはや言葉もなく愕然としているイノ。無理もない。フィスルナの市民として育った彼にとって、『継承者』は神にも等しい絶対的な支配者を意味する。こうして肩を並べて話をしていること自体、現実には考えられない状況だろう。ましてやその相手は、八年前に首都全体を騒動に巻きこんだ暗殺事件の生き残りなのだ。
「今さらかしこまる必要なんてないわよ。昔のことだもの」
こちらの正体を知り、うろたえている様子のイノに自嘲ぎみにいった。
レアは目を細めて夜空を見上げた。心が、溢れ出る過去をさかのぼっていく。
「長い……話になるわ」
やがて心はたどり着く。あの星々のように、すべてが輝いていた幼い頃へと。
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