「探すって言ったって、どこを探すんだよ?」
草地を駆けるレアの背後から、ソウナがたずねてきた。
「自分の家か菜園か……あの子が行きそうな場所は、それぐらいしか心当たりがない。まずは家に向かうわ」
「無茶だよ! 村の方は、もうセラーダの連中が入りこんでいるかもしれないのに」
「だからこそ、先に向かうんじゃないの。嫌なら一人で引き返して。だいたい、勝手に着いてきたのはあなたの方じゃない」
「それは──」
言葉を続けようとするソウナを無視して、レアは注意を前方に向けた。いたる所でこの地を焼く炎。あの様子では、洞窟付近で戦っていた防衛部隊はもう撤退したのだろう。今やセラーダ軍は、続々と侵攻を開始している。
さいわい、目指す家々の連なりにはまだ火の手は上がっていなかった。だからといって、そこにセラーダの兵士が入りこんでいないという保証にはならない。二人は、はずれにある民家の裏手から、家同士の間にできた隙間へと身を潜めた。
後ろにいるソウナに待機するよう目で合図すると、レアは隙間から少しだけ顔を出して、家々の表に面している通りの様子を覗った。石で舗装された通りは、人影もなくしんと静まり返っている。住人を失った各家の窓から、点けっぱなしになった灯りが漏れていた。
近くにセラーダの兵士がいる気配はない。
そう判断したレアは、ソウナを振り返った。薄闇の中でも、彼の顔が疲労と緊張のため蒼白になっているのがわかる。セラーダの接近を報せるために外の森からずっと駆けてきたことと、その後も休むことなく住民達の退避を手伝うために働き通しだったことを考えれば当然だった。
(ここで彼に引き返すよう、言うべきだろうか)
レアは考えた。この先、敵に出くわさないとは限らない。戦闘が避けられない事態に陥ったとき、今のソウナの状態は危ういものに思えた。それに、剣の訓練を受けているとはいえ、彼にとってはこれが初の実戦になる。
一瞬、逡巡した後、レアはなにも言わないことにした。どうせ、引き返せと言っても聞かないだろう。ネリイを心配する以上に、相手が自分の身を案じて付いてきているのだということを、レアは知っていた。それに、ここで彼を説き伏せている時間もない。
身を潜めていた隙間を飛びだし、通りを横切り、薄闇に包まれた細い路地を縫うようにして、レアはソウナと共にネリイの家へと急いだ。
目指す家へとたどり着き、表の扉から素早く中へと入る。明かりの灯った室内に、食べかけの夕食が並べられたテーブルがあった。「ネリイ」と、レアが小さく呼んでみたが応えはない。
そのままソウナに一階を探すよう指示し、レアは狭い階段を上がって二階へと移動した。 さほど広くない屋内の探索に時間はかからなかった。
ネリイはいなかった。
「菜園に行くわ」
求める少女の姿がないとわかると、レアはすぐさま判断を下した。
「もうこれ以上探すのは無理だよ」
「わたしは無理とは思わない」
反対しようとするソウナの言葉を突っぱねる。普段なら、これで彼は引き下がるはずだった。が、そうはならなかった。
「今頃は、ネリイも自分で洞窟に向かってるかもしれない。みんながどこへ行ったかぐらい、あの子だってわかっているんだから」
「そうじゃない場合はどうするのよ? それこそ手遅れだわ」
こちらを思いとどまらせようと、これまでにない強固な態度をとるソウナに、少し驚くと同時に苛立ちを感じながら、レアは言い返した。
「こうやって言い争っている時間が無駄なのよ。とにかく、わたしは行くから」
「レアだってわかるだろ? これ以上はこっちの身が危なくなるんだ。いくら君だって、大勢を相手になんてできっこないんだから」
「ええ。あなたには≠ナきないでしょうね」
しだいにつのる腹立ちが、言葉に冷たく鋭いトゲを生やす。
「頼むから聞き分けてくれよ。ナリヤだってわかってくれるさ」
「そんなに自分の命が大切なら、あなただけ引き返せば? 心配しなくていいわよ。そのことを、わたしは責めたりしないから」
「オレは……そんな心配をしてるんじゃない!」
声を潜めながらも、語気荒くソウナが言い放つ。その言葉に嘘偽りはないだろう。彼が自分に対して抱いている感情……それがわからないほど、レアも鈍い人間ではない。
だが、今はネリイを捜しだすことが最優先だった。ここであきらめて引き返し、彼女を見捨てるような結果になれば、レアはこの先ずっと自分自身を許すことができないだろう。ソウナの気持ちと言葉は、その決意を鈍らせ、混乱させるものようにしか感じられない。
「レア。オレは君が……」
こんなときに!──思わずカッとなった。
「いい加減にして。あなたのくだらない話≠ネんて聞く気ないのよ」
怒鳴りそうになるのを押し殺して口にした言葉に、二人の間に気まずい沈黙が流れた。色を失い傷ついたソウナの表情から、レアが視線をそらせたときだった。
表通りから聞こえた音に、二人はぎょっとなった。
男の声。間違いない。
セラーダ軍──それしか考えられない。この近くまで侵攻してきたのだ。
近くにある家の扉が開かれる音がした。おそらく、潜んでいる者がいないか家捜しをしているのだろう。いずれ、自分達がいるこの家にもやってくることは明白だった。
向こうは自分達の存在に気づいてはいなさそうだ。しかし、もうこれ以上この場にいるのは危険だった。
表から出れば発見される可能性がある。ソウナに目配せすると、レアは素早く裏口の扉へと向かった。内心で、彼と言い争いをしていた時間を悔やんだ。
裏口の扉に手をかけて引いた。鎧姿のセラーダの兵士が、そこ立っていた。相手も今まさに、扉を開こうとしていた瞬間だったのだろう。兜の下の表情が、ぎょっとしたように硬直している。
凍りついたような一瞬の後、まっさきに動いたのはレアだった。渾身の勢いで突き出した掌の底が、兵士の無防備な顎を直撃した。頭を後ろに反らせた姿勢で倒れこんだ兵士が、裏口の階段を転げ落ちて派手な音を立てた。
すぐ近くで複数の男の声が上がった。今の音で、他の連中に気づかれてしまったのだ。
しまった──つい放ってしまった一撃。他の方法で片付けるべきだったと後悔したが、もう遅かった
「逃げるわよ!」
まだ硬直しているソウナに向けてそう叫ぶと、気絶して転がっている兵士の身体を跳びこえ、レアは駆け出した。
家の裏手には、木々の密生している小規模な林がある。他の連中に見つかる前にそこへ逃げこめば、こちらの行方をくらませられるかもしれない。
だが、もう少しで林へたどり着くというところで、「あそこだ!」という怒声が背後からした。
レアは舌打ちした。これでもう姿をくらますことはできなくなった。規模の小さい林の周辺は、だだっ広い草地だ。どんなに全力で走ったとしても、逃走する自分達の姿は相手から丸見えだろう。かといって再び町の方へ戻れば、また別のセラーダ兵達と出くわす危険がある。
林の中程までくると、レアは木の陰に張りつき、頭だけを出して背後に目を向けた。木々の間から、こちら目がけて走ってくる兵士達の姿が見えた。その数は五人。他に人影はない。
手練れの兵士ではない──相手の動作を子細に観察して、レアはそう判断した。
そして彼らには、他の部隊の者を呼ぶような気配は見られなかった。おそらく、自分達だけの手柄にしようとしているのだろう。こちらにとっては好都合だ。彼らさえ始末してしまえば、追跡から逃れられることができる。
「ここでむかえ討つわ」
レアは決意を固めると、少し離れた位置で同じように身を潜めているソウナに告げた。さすがに状況がわかっているのだろう、今度は彼も反対しなかった。
「あなたは無理をしないで」
最後にそう言ったものの、彼は黙ったままだった。さっきのことを引きずっているのだろうか。ふと、ひどい言葉を投げつけたことを謝るべきだろうかと思ったがやめた。今は後回しだ。
兵士達が近づいてくる。これ以上顔を出しているわけにはいかなかった。レアは全身を木陰に隠れさせた。
呼吸を整える。相手は五人。素早く片付ける必要がある。
片付ける──殺す。人を殺す。はたして、今度こそ自分にそれができるのだろうか。
だが他に手段はない。全員を気絶させるなんて戦い方は、確実性に欠ける以前に不可能に近い。殺す以外に、この状況から素早く逃れられる手段はない。
わかりきった解答。それでも、剣の柄にかけた手が震える。怯えている自分がいる。
枝を踏みしだき近づいてくる足音達。彼らのおおよその位置関係は、すでに頭に入っている。この林に並ぶ木々の間隔も、長年をこの土地で暮らし、隅々まで観察してきた自分には手に取るようにわかっている。そして、なによりも、自分自身の剣の腕はよく理解している。敵兵すべてを始末してしまえることに、一片の疑いも持ってはいない。
それなのに臆病な自分がいる。
兜の奥にある瞳を閉じた。思い起こす。すべてを奪われたあの日のことを。忌々しい笑顔を向けてきた男のことを。剣を取り戦う覚悟を固めた日のことを。イノという捕虜と初めて出会ったときに、身体の内で荒れ狂っていた激情のことを。
やらねばならない。今ネリイを連れ戻し、この先アシェルを守り、いつの日か『あの男』をこの手で討つためには。
足音。それはすぐ近くで聞こえた。
一人目──レアは瞳を開いた。
身を潜めていた木陰から音もなくすべり出る。突如として目の前に現れた白い人影に、警戒しながら進んでいたつもりの兵士が驚いて目をむく。唖然としている表情の下にある彼の喉を、鞘から解き放たれた黒い刃が薙いだ。
真横に切り裂かれた喉に、兵士が思い出したように手を当てる。指の間かどっと溢れ出す鮮血。ゴボゴボという叫びにならない叫びを上げながら、がくりと膝を折った兵士の姿。
二人目──レアはすでに次の標的に移っている。
その兵士は、突然の出来事にいまだ事態を悟れずにいた。立ちつくす鎧姿の横を駆け抜ける、幽鬼のような白い影。彼の腹を、身につけた鎧の胴部分の隙間を、黒い軌跡で深々と切り裂きながら。
激痛に悲鳴を上げようとした兵士。すぐさま後ろに回りこんだレアが、渾身の蹴りを彼の背中にくらわせる。血の噴き出る腹を押さえたまま、手近の木に顔面から激突した兵士は、声すら出せることなく、その姿勢のまま動かなくなった。
ようやく状況を理解した兵士達の一人に、ソウナが雄叫びを上げて斬りかかっていく。
三人目──レアの視界に、兵士が構えたクロスボウをこちらに向けているのが映った。
木々の間から漏れる月明かり。鈍く輝く鋼鉄の矢。先端の角度。兵士の腕の角度。それらすべてを青い瞳が捉える。相手へと駆けだす白い姿。そして小さな発射音。レアはわずかに身体をひねる。脇のすぐそばから後方へと消えていった小さなきらめき。
放った矢をあっさりとかわし、凄まじい勢いで接近する相手にうろたえた顔をしている兵士めがけて、レアは一気に肉迫する。
瞬時に構えを変え、ためらうことなく突き出した黒い切っ先が、相手の無防備な喉を刺しつらぬく。手袋ごしに伝わってくる、硬質の刃がやわらかな肉に潜っていく感触。骨を削り取る感触。すぐさま兵士の喉から剣をぬき、レアは次の相手を見定め駆ける。
動く。動く。動く。さきほどまでの迷いが嘘のように、身体が正確に動く。
躍動する肉体が、思考をどんどん冷えたものへと変えていくのが不思議だった。自らの剣が切り裂く相手の肉体にも、流させる血にも、感情は麻痺したように何の反応も示さなかった。まるで単調な作業をこなしている程度のぼんやりとした感覚。
四人目──児戯のごとく簡単に仲間達を屠っていく白い影に、恐慌をきたしたその兵士は背を向けて逃げだそうとした。その後を追いながら、レアが腰から抜いて投げつけた短剣が、彼の膝の裏へ吸いこまれるように突き刺さった。
足をもつれさせ、地面に倒れた兵士のわめき声は、追いすがったレアの剣が上げた咆哮にあっさりと途絶えた。
五人目──その兵士はソウナと斬り結んでいる。そのためか、他の仲間が全滅させられたことに気づいていない。
これで終わる。接近するこちらの姿すら視界に入っていない様子の兵士を見て、レアがそう判断した瞬間、ソウナの繰りだした刃を弾いた兵士が、返す刃で彼の腹を貫いた。
冷たくなっていた思考が一気に加熱した。麻痺していた感情が荒れ狂うそれに変わった。言葉にならぬ声が、自分の喉からほとばしった。
よろめき倒れたソウナから視線を外した兵士が、こちらを向く。
溢れ出す激怒の勢いに流されるまま、相手に突進していったレアの剣が、防ごうとかざした兵士の剣に容赦なくたたきつけられる。
耳障りな金属音が鳴り終わらぬうちに放ったレアの蹴りが、兵士の腹を直撃する。苦悶の表情を浮かべ後ずさりながらも、彼は続けて振り下ろされた殺意の刃をなんとか受け止めた。だが、その瞬間に離れた黒い刃は、すでに二撃目のうなりを上げている。
兵士に反撃の糸口さえ与えることなく、レアは立て続けに攻撃を繰りだす。ほとばしる憎悪が巻き起こす、暴力的なまでの刃による嵐。ただでさえ強度で劣っている兵士の白銀の剣が、憎悪を乗せた黒い刃の一撃を受けるごとに悲鳴を上げる。
もはや相手は戦意のほとんどを喪失している。それを理解しつつも、レアは攻撃の手を緩めることができない。
レアの剣と怒りの感情に、押されるようにじりじりと後退していた兵士が、木の根に足を取られ尻もちをついた。
見上げる兵士の絶望の瞳と、見下ろすレアの無慈悲な瞳がかち合った。
心の中で臆病な自分が上げた声──聞こえた気がした。
瞬間、容赦なく振り下ろされた漆黒の剣が、すがるようにかざされた兵士の刃を砕き、その首を跳ねとばした。兜をつけたままの首がゴロゴロと鈍い音を立てて転がり、それを失った身体が仰向けに倒れる。バケツで水をまくように、草地をそめていく赤い鮮血。
静寂が訪れた。聞こえるのは自分の荒い呼吸の音だけ。
終わった──思ったのはそれだけだ。ただ、それだけ。
レアは刃についた血を払い落とした。木々から差しこむ月明かりに、深紅の飛沫が散った。白い装いは汚れを知ることもないように、一滴の返り血も浴びてはいなかった。
「ソウナ!」
剣を鞘に収めると、レアは地面に倒れている彼の下へと駆け寄った。
息をのむ。横たわるソウナの蒼白な顔に。傷口に当てた指の間から、とめどなく溢れている出血に。
浅い呼吸をくり返すソウナの傍らに膝をつき、レアは彼に呼びかけた。光を失いつつある瞳がこちらを見る。
そして、彼の呼吸は止まった。
命の終わり。
あまりにもあっけなく。
嘘だ、とかすれた呟きが自分の口からもれた。ソウナは動かない、瞳はどこも見ていない。それでも冗談としか思えなかった。いや、思いたかった
やはり彼を着いてこさせるべきではなかった──うなだれたレアを、深い自責の念が襲った。こんなところで、こんな死に方をするなんてわかっていたら、絶対に一緒に来させなかったのに。さっきの戦闘でも、まっさきに彼の援護をすべきだった。いや、戦いは自分にまかせて、隠れているように指示すべきだった。まさか死ぬだなんて……。
だが、もう遅かった。すべてが遅かった。
震える手つきで、開いたままのソウナの目蓋を閉じさせる。そうすると、彼はただ眠っているだけのように見えた。
わかっている。このままソウナの側に居続けることはできない。弔ってやる時間もない。行かなければならないのだ。生きているネリイを探しに。死んだ彼を置き去りにして。
あらためてソウナの顔を見下ろす。決して嫌いではなかった。ただ、彼が自分を見ているのと同じような目で、彼のことを見ていなかっただけで。そんな相手の気持ちにわずらわしさすら感じて、これまでずいぶんと邪見に扱ってきた。結局、それは最後の最後まで変わらなかった。
『くだらない話』──ついカッとなってしまったからとはいえ、あんなことを言うべきじゃなかった。こうなってしまうとわかっていたら。せめて、さっき一言だけでも、そのことを謝っておくべきだった。
目の奥が熱くなった。自分は最低の女だ。人間だ。そう思えた。
肩を落としたレアの全身に、急に震えが走った。周囲に漂う血の臭いが、いまさらのように鼻を突いた。
レアは後ろを振り返った。木々の間に横たわる五つの死体。自分が殺した五人の兵士達。彼らの肉を裂き、骨を穿った感覚が手の内に蘇る。彼らの血しぶきの音や、断末魔の叫びが耳にこだまする。流れ、飛び散った鮮烈な赤い色が脳裏に浮かび上がる。戦闘の最中には何も感じていなかったそれらが、一斉に五感に襲いかかってくる。
うめき声と同時に、レアは口を手で押さえた。胃の中からせり上がってくるものに耐えきれず、ソウナの遺体から離れる。よろめき、木の幹に腕をついた瞬間、地面に向けて激しく嘔吐した。何度も。何度も。
ようやく嘔吐が止まった後でも、胸のむかつきは取れなかった。口をぬぐい、激しく咳きこみながらも、レアは涙でにじんだ視界を、再び五人の兵士達の死体に向けた。
凄惨な光景から、目をそらせようとする臆病な自分がいる。だが、それは許されない。絶対にそんなことをしてはならない。
これが自分の歩みはじめた道なのだ。レアは自らの為した所業を脳裏に強く刻みつけた。剣を取り戦うとはこういうことなのだ、と
この手で奪った命。もう引き返すことはできない。この場にいるのは以前の「レア」ではない別の「レア」だ。
そして、今はその汚れた手で救わなければならない小さな命がある。
最後に一度だけ、横たわるソウナを振り返り、レアはその場を後にした。
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