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作品名:ラフスルエンの樹 作者:新幸一

第106回   二十一章 『導き手』の少女(1)
「へえ。じゃあラシェネは、オレ達が『死の領域』に入ってたことを、とっくに気づいてたのか」

「うん。わたしとおじいが、イノをわかった。だから、わたしが迎えに来た」

「オレの方は、全然気づかなかったけど?」

「イノは、大いなる者≠ニ強く繋がってた。だから、わたし達に気づかなかった。わたしとおじいの〈力〉は小さい。イノみたいに、大いなる者とは繋がれない」

そう言うと、相手は少し悲しそうな顔をした。だが、それはすぐに明るいものへと変わる。

「イノの〈力〉はすごく大きい。だから、見つけるのは簡単だった」

「そう?」

「そうそう」

ラシェネはうなずいた。兜の中の顔はニコニコしている。彼女と出会ったときから、こうして移動している今でも、それは変わらない。

「で。あなたの里ってのには、いつ頃着くの?」

レアの低い声がした。彼女はイノをはさむように、ラシェネとは真反対の位置を歩いている。

「ええと……。二日目の夜に着く」

「まだまだかかりそうだな」

「おじいも、里のみんなも、イノのことすごく楽しみにしてる」

「みんなで?」

「うん。イノは『終の者』。わたし達ずっとずっと待ってた」

「でも、オレがラシェネ達の待ってた人間かどうかなんてわからないだろ?」

「ううん」と相手は自信に満ちた顔をした。

「わたしには、イノのことわかる」

「そう?」

「そうそう」

レアが鼻を鳴らした。兜の中の顔はピリピリしている。ラシェネと出会ったときから、こうして移動している今でも、それは変わらない。

「その『終の者』ってのもそうだけどさ。オレ、『樹の子供』のことをたいして知らないんだ。自分がそうだって知ったのも最近だし……よかったら教えてくれないか?」

イノがたずねると、ラシェネは少し考える表情をした。

「わたしより、おじいが話した方がいいと思う」

「ラシェネのおじいさんに聞け、ってこと?」

「うん。おじいは賢くてイノ達の言葉も上手。わたしは賢くないから全然ダメ。だから、ちゃんと教えられないと思う」

「そんなことないよ」

恥ずかしそうにしている彼女に笑みを向けた。

「こうして、ちゃんと話できてるじゃないか」

「ありがとう」

心からの笑顔が返ってきた。

「イノは優しい」

「えっ? そう?」

「そうそう」

「ねえ!」

レアの声に、二人は同時に彼女を見た。

「しゃべってる暇があるなら、少しは周りを警戒した方がいいんじゃないの?」

「大丈夫だよ。今のところ、『虫』達が現れる気配はない。オレの調子もだいぶ戻ってきたし、さっきみたいなことにはならないさ」

「大丈夫。彼らが出てきたら、話をしててもすぐにわかる」

調子が戻ってきたというのは嘘ではない。ラシェネとの出会いをきっかけに、『樹』の呼び声は少しずつ鳴りをひそめてしまっている。完全に消え去ることは不可能かもしれないが、少なくとも他に意識を向けるだけの余裕は十分にあった。再び戦いになることがあったとしても、今度は以前のような危うい事態に陥ることはあるまい。それに、たった一人とはいえ強力すぎる仲間も加わっているのだ。

「へえ。それは失礼したわね」

しかし、二人して安心させるよう笑いかけたにもかかわらず、金属板のような硬い声でレアは返してきた。

「わたしは、お二人とちがって普通の人間≠ナすから。つい心配しちゃったわ」

「心配ないさ。ラシェネがいるんだし、これからは夜の見張りだって楽になるよ」

「そうそう」

ふん! とレアはさらに強く鼻を鳴らした。寒々とした空気に飛びだした彼女の鼻息が、まるで釜から噴き出す蒸気みたい見えた。こちらが向ける言葉と笑みに安心するどころか、かえって警戒をつのらせてしまったように思える。

無理もないか──とイノは思う。さっきの戦いは危なかった。ラシェネがいなければ、自分も含めて全員が『虫』達に殺されていたのは間違いない。いくら「もう大丈夫」と言われても、そうそうすぐには気を緩めたりなんてできないだろう。

となりを歩くレア、後ろにいるスヴェン達、仲間の誰一人も失わずにすんだ。イノはその嬉しさを今頃になって実感した。あの戦闘が終わったときは、それどころではなかった。


*  *  *


「おいおい。何なんだよあの娘っ子は?」

戦闘が終わった後、自分達から離れた位置にいる救い主の少女を見て、ドレクが言った。

「オレ達が探していた人間だよ。カビンの『北の旅人』だ」

「何だって! 向こうさんから、わざわざ来てくれたってのか?」

「事情はどうか知らないけど……でも、あの女の子はオレと同じ≠ネんだ。だから間違いないよ」

瞳を少女に向けたままイノは答えた。彼女に感じている〈繋がり〉──それは相手が『樹の子供』だということの何よりの証明である。自分達の目の前にいる相手が、かつてカビンの村に訪れていたという『北の旅人』の末裔だということに疑いの余地はない。

「それにしても……とんでもない武器だったな」

周囲に散乱する『虫』達の死骸を見渡して、スヴェンが感嘆してつぶやく。横たわるデカブツも含め、何十という敵の大部分は、あの少女一人が駆逐してしまったのだ。光の飛び道具を放ち、驚異的な斬れ味の刃を生みだす、彼女の両腕に籠手のように備わった兵器によって。

「おそらく、『楽園』の技術で造られた武器でしょうね」

「昔語りに出てくる、『光の矢』ってのがあれなのかな?」

レアの言葉に、イノは彼女を見てたずねた。

「そうかもしれないわね。『楽園』では光を武器にしていたらしいから」

「やれやれ……」ドレクがため息をついた。

「俺は『楽園』の道具の話なんて、ほとんどが嘘っぱちだと思ってたがな」

「人の手で造られた物だってのは、頭ではわかるんだが……」

あらためて周囲の死骸達を見て首を振りながら、スヴェンがイノを見る。

「とてもじゃないが理解できんな。俺には、お前の使う〈武器〉と変わらないものに見えるよ」

「そのオレだって、十分驚いてるんだけど」

そう肩をすくめると、イノは再び少女を見た。かすかなものではあったが、こうして意識を向けると、そこにはちゃんと彼女と自分との〈繋がり〉が存在していた。相手から伝わってくる弾むような喜び。それは綿毛がポンポンとふれてくるのに似た心地よい感触をしていた。

「しかし、あのお嬢ちゃんの格好は、若いもんには目に毒だな」

イノの視線に気づき、ドレクが下品な笑いを浮かべていった。

少女の身につけている青い服は、艶めいた革のような不思議な生地でできており、「着る」というよりは、持ち主の肌にぴたりと「張りついている」みたいに見えた。ボタンのような留め具の類はおろか、上着、ズボン、手袋といった区別すらなく、首から下の全身を包む造りになっているようだ。

服の表面には細い管のようなものが走り、複雑な模様を形作っている。装身具かどうかは知らないが、腰の後ろには楕円形をした小さな銀色の箱らしきものが二つ備わっていた。こんな服は、この大陸のどの地方に行ってもお目にかかることはできないだろう。

その奇妙な服の上には、身体の各所を覆うような形で鎧が装着されていた。光沢のない白色の材質は、カビンの村で目にした『楽園』の金属と同じものだ。薄青い鏡で造られたかのようなクチバシの付いた兜も含め、それら防具は、イノ達「黒の部隊」のものと同じく、昆虫の外皮に似た角のない流れるような形状をしていた。

しかし、いくら模様があろうと鎧があろうと、少女の未知なる装いは、その女らしい身体つきをあからさまに浮き彫りにさせていた。とくに下半身にはそれが顕著に現れており、お尻にいたってはそのまんまだったりする。ドレクが「目に毒」というのもわかないでもない。

(だけど……)

と、イノは一人うなずく。自分はそんな嫌らしい目で彼女を見ていたわけではない。断じてちがう。

ちら、と横目でレアを見てみる。イノの予想通り、彼女は渋い顔をして少女に視線を向けていた。真面目なレアにとって、裸に色を塗っているに等しい少女の格好は、『浮ついた』どころの問題ではないのだろう。あのすさまじい性能を持つ武器以上に「理解できない」といった表情だ。

「で、あの娘は何をやっているんだ?」

「何かに語りかけているようだ」

誰にともなくたずねたスヴェンに、カレノアがこたえる。

彼の言うとおり、少女はイノ達から離れた場所にいて何やらしゃべっているようだった。しかし、こちらへ話しかけてきているわけではなく、もちろん彼女の周りには誰もいない。彼女の顔半分は、再び白い兜からせり出したクチバシで隠れているため、動いている口元しか見えない。

「おい。大丈夫かよ……あのお嬢ちゃん」

片手の指先を兜の脇にそえながら、聞き慣れない言葉でブツブツつぶやく少女を見て、ドレクがさも不気味そうに口にした。目に見えない相手に話しかけ、ときに笑ったり怒ったりしている彼女の様子には、たしかに怖いものを感じる。こんな状況でなければ、イノは相手を酔っぱらいか何かだと決めつけていただろう。

「わたし達に出会ったことを、誰かに伝えているみたい」

いまだ少女を渋い顔で見ながら、レアがイノの耳もとで囁いた。

「わかるの?」小声で返した。

「あれは『楽園』の言葉よ。子供の頃に学校で少し教わっただけだから、全部はわからないけど」

『楽園』の言語は、『継承者』の間のみでしか使われていない。その『継承者』として生まれ育ったレアが言うのだから、間違いはないだろう。ちなみに、スヴェン達は彼女の素性を知らない。これは二人だけの秘密である。

「でも、伝えてるって誰にさ?」

「それはわからないけど、ひょっとしたら、声だけを遠くにいる相手に送ってるのかもしれない。『楽園』の話には、そんな道具も出てくるから──」

そのとき、少女が振り返ってイノを見た。得体の知れない会話は終わったらしく、真っ直ぐここちらへと向かってくる。兜のクチバシが後退し、再び相手の素顔があらわになった。

「これから、みんなをわたし達の里に案内したい。『終の者』」

猫のような大きな瞳をした少女はそう告げると、イノ達に満面の笑みを向けてきた。そして、彼女との〈繋がり〉が笑顔以上の喜びを伝えてくる。さっきは驚きが先に立っていたために何ともなかったが、戦闘が終わり緊張の解けた今となると、目のやり場に困る相手の格好も含めて、イノはちょっとどぎまぎしてしまった。

「あんた達の里?」

戸惑い気味にたずねると、相手は元気よくうなずいた。

「わたし、そのために来た。『終の者』」

「そのために来たって……あんた達はオレを知ってるのか?」

「うん。あなたは、わたし達の待ち人。『終の者』」

『終の者』──少女はイノのことをそう呼び続けている。それは、カビンの村の老人から聞いた話に出てきた名前だ。『北の旅人』……つまりは目の前にいる少女達が、『死の領域』で暮らしながら待ち続けている者の名である。相手の様子は、こちらがその『終の者』であることを、一片の疑いもなく認めているようだった。

どういうことなのだろう? 単に同じ『樹の子供』だからという理由でだろうか。

「とりあえず、今はこのお嬢さんの言葉に従うべきだろう。ここじゃ立ち話もできんしな」

スヴェンに言われ、イノは少女に質問しようとしていた口を閉じた。周囲に転がる『虫』の死骸達。立ちこめる凄惨な空気。たしかに、ひとまずこの場を立ち去った方がよさそうだった。事情を聞き出すのは、それからでもいいだろう。

「わかった。あんたに着いていくよ」

そう答えると、少女は純粋に喜んだ顔を見せた。

「『終の者』の荷物は、わたしが運ぶ」

「え? いや……そこまでしてくれなくても、自分の荷物ぐらいは持つけど」

イノは慌てて口にした。助けてもらったうえに、自分だけ荷運びまでしてもらうのは悪い気がする。

「ううん。『終の者』は、大いなる者との〈繋がり〉で疲れてる。だから、わたしが運ぶ」

「大いなる者って──『樹』のこと?」

「そうそう」

こちらが何をしゃべっても、相手は嬉しそうな反応をする。

「まあ、せっかくだから、お前が調子を取りもどすまでの間だけでも、ご厚意に甘んじておけよ」

スヴェンが穏やかな口調でいった。ドレクとカレノアも、そして、まだ渋い顔をしたままのレアも彼に同意してうなずく。

「ありがとう」

自分に向けられた好意に、イノは素直に感謝した。そして少女に顔をもどして言った。

「それと、オレのことはイノって呼んでくれればいいよ」

「イノ?」

子犬のような仕草で、少女は小さく首をかしげた。

「うん。オレの名前」

イノ、イノ、としみじみ呟く少女。そして彼女の表情がさらに明るくなった。まるで宝石でも掘り当てたような顔である。たかが自分の名前ごときで、ここまで感激された経験なんてない。

「わたしはラシェネ。『終の者』の『導き手』」

白い胸当てに手を乗せ、彼女が名乗った。真摯に向けられてくる鳶色の瞳。それは、かつて自分と繋がった一人の女性をイノに思い出させた。

「オレ達を助けてくれてありがとう。ラシェネ」

「ううん。イノを助けるのが、わたしの役目」

笑みを浮かべながら、イノがあらためて礼を述べると、救い主からは、さらなる笑顔が返ってきた。

「だから、これからも何でも言ってほしい」

「ラシェネの方こそ、オレにできることがあったら何でも言ってよ」

イノが差し出した右手を、不思議な籠手をはめた柔らかい両手が、しっかりとつかんだ。自分の名前を呼んでもらえたのがよほど嬉しかったらしく、白い兜の下にある顔は幸せそうである。

そこでふと感じた不穏な気配。

後ろ隣にいるレアからだ。声もないし、表情も見えないし、もちろん〈繋がり〉もないけれど、はっきりとわかる。ラシェネと自分が話せば話すほどに、それはどんどん濃くなっていくような気がした。

ほのぼのと自己紹介している場合ではなかった。レアが苛立つのも無理はない。

「ここは『彼ら』が多い。だから、わたしは『彼ら』の少ない道を案内する」

張り切った様子でイノの荷物を肩にかつぎ、ラシェネが説明する。彼ら──とは『虫』のことだろう。

「よお。『虫』より難敵だな。嬢ちゃん」

ラシェネに従い移動をはじめてからしばらくして、ドレクが陽気な調子でレアに声をかけたのが、イノの耳に聞こえた。

すっ──と瞳だけを動かし、彼女が相手を見すえる。

「ま、がんばんなよ。さっきはあんなこと言っちまったけど、俺は応援してっからよ」

そのとたん、青い瞳はすっ──とスヴェンに向けられた。

「あんた隊長なんでしょ。あのヒゲにここから帰るよう命令してちょうだい」

「命令って……」スヴェンがたじろぐ。めったに見られない姿だ。

「俺はもう隊長とかじゃないし……ここで追い返したら『虫』に襲われて死んじまうし……なあ?」

救いを求めるように見たカレノアの反応はない。場違いの方向を見ている大男の様子は、周囲を警戒しているようにも、関わり合いになるのを避けているようにも、イノの目には映った。

レアだけが一行の中でピリピリしている。真面目な彼女のことだ。きっと、ラシェネが現れたことで、みんなの気がゆるんでしまったことに対して怒っているのだろう。

巨大な『虫』に殺されるところだった自分への、レアの泣きそうな表情を思い出す。もう二度と、彼女にあんな顔をさせるわけにはいかない──イノは強く決意した。

「……おい」

いきなりスヴェンに腕を引っ張られ、イノは足を止めた。

「ほどほどにしとけ。俺達まで巻き添えになるのはごめんだ」

彼は声をひそめて、はずむ足取りの一方と、荒々しい足取りの一方の、二人の少女を目で指した。

「わかってる」

イノはうなずき返した。

「まだ油断はできない。ラシェネとは、落ち着いてからゆっくり話すよ」

しかし、はっきりそう伝えたにもかかわらず、なぜかスヴェンは『死の領域』に入って以来初めて絶望的な顔をした。


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