「奴らだ!」
水袋を口から離して叫ぶと、イノは立ち上がった。
この地で繰り広げた幾度もの戦闘。常にその先触れとなってきたイノの警告に、誰一人疑いをはさむことなくすぐさま反応し、剣を抜いて構える。スヴェン達が所持していたクロスボウは、『死の領域』に入ってそうそうに矢を撃ち尽くし、すでに放棄していた。
「ったく……ちったあ休ませてくれよ!」
ドレクの抗議が木々の間に消える。
雪の舞い落ちる中、前方に見える木立にちらつき迫ってくる黒い輝き達。撤退したとき生まれ出ようとしていた連中だろう。もう追いついてきたのだ。
そびえる小さな崖を背に、五人は待ちかまえる。
イノは眉をひそめた。黒い輝きの群れの中に大型種のそれがない。あいつも、もう形を現しているはずだ。追っ手に混じっていないわけがないのだが。
だが感じる。輝きは見えなくとも、脳裡に流れこみ浮かびあがる怪物達の意思の中に、ひときわどぎつい憎悪があるのがわかる。だが読み取れるのはそこまでだ。
いまだ乱れたままの、バケモノ達の意思が記された書物。相手が何を視ているのか。どうこちらを殺そうと考えているのか。普段は明瞭に理解できるはずの印象を、今は頼りにすることができない。
こんな状態でやれるのか?──
やがて灰色の塊が、木陰から次々と姿を現しはじめた。肉眼で捕らえるだけでも三十以上はいるだろう。しかも、黒い輝きはまだまだ後方にも続いている。
「とりあえず数を減らす! みんなはまだ手を出さないでくれ!」
そう叫ぶなり、イノは内なる扉を開けた。猟犬のごとく解き放たれた異質な光が目の前に生まれる。だが、それにいつもの力強い脈動はない。いまも自分に呼びかけている声ならぬ声の強弱に合わせるかのごとく、不安定で消えてしまいそうな危うい揺らぎを見せている。
焦りを覚えつつも、イノは意識を集中させる。すぐさま呼応した黒い輝きが無数の塊に四散する。それぞれの光は欠けた月のような刃の形を成すと、迫ってくる『虫』達へ、我先に争うかの勢いでじゃれつくように飛びかかっていった。
黒い輝きに襲いかかる黒い輝き。デタラメな太刀筋を刻む異形の刃に、甲殻ごと「核」を斬り裂かれた『虫』の赤黒い体液のしぶきが、舞い散る雪の中へと溶け消えていく。
(この調子なら、なんとかいける)
耳をふさぎたくなるような子供達の絶叫の中、こちらの思惑通り次々と獲物を求め『虫』の群れの中を駆けめぐっている〈武器〉を見て、イノがそう思った瞬間 ──
どん、と大地が鳴動した。
「何なの?」
レアの上げた声に応えるように、目の前の大地が大きく盛り上がった。
「離れろ!」
スヴェンが叫んだ。五人は弾かれたように後退する。
地面を突き破り、パラパラと落ちる土くれや石ころと共に現れたのは、小さな家ほどもある灰色の塊だった。そのいびつに歪んだ楕円形の先端が、唖然と目を見開くイノ達の前に屹立する。
どしん、と地響きを立て、巨大な塊が大地に身を横たえる。それは両脇に生えた脚を使い、のそり、のそり、と這いだしてきた。地面をえぐりながら蠢いている幾十もの脚は、その巨体を支えるのにふさわしく、一本一本が大人の胴と同じぐらいの太さをしていた。節のある胴体の前面は分厚い甲殻に覆われ、まるで花びらを重ねたみたいな形をしている。
眼前に現れた相手のあまりの大きさに圧倒され、誰一人動くこともできず声すら出せない。大型種どころか、こんなバカみたいに大きい『虫』は誰も見たことがないだろう。
やがて、巨大な『虫』はその全容をすっかり現した。最後に、長い尻尾が地面の穴からずるっと引きだされる。しなやかな動きで天高く反り返った尻尾の先端は、針のように鋭く尖った形をしていた。
バケモノの前面が静かに展開する。関節の軋むメキメキという音と共に、花びらを重ねたような形が崩れていく。それがあらわにしたのは、ハサミの付いた盾のような両腕と、その内に隠れていた頭部だ。
星のように散りばめられた紅い瞳が、立ちすくむイノ達に向けられる。その下にある牙の生えた顎は、まるで嘲笑うかのように左右に大きく裂けていた。
「みんなは他の連中を──」
麻痺していたような硬直が解けた瞬間、イノは叫んだ。
「こいつはオレがやる!」
その一声に仲間達が動く。イノはすかさず、いまだ小型種の群れを殲滅し続けていた〈武器〉に、このデカブツに向かうよう意思を送った。敵はもはや剣で戦う次元の相手ではない。倒すのは自身が持つ〈武器〉以外には考えられなかった。
こちらの想いを受け、暴れまわっていた不可視の刃達が一斉に巨大な『虫』へと飛びかかっていく。まるで太陽のように強烈な光を放っているバケモノの黒い輝き。脳裡に乱れる印象から読み取れるどぎついまでの殺意。しかし、いくら大きかろうが強かろうが、〈武器〉で直接「核」を攻めれば一瞬で倒せる──
はずだった。
イノのすべてが揺らいだ。波のように強く押し寄せてきた呼び声が。自分を招こうとする巨大な存在のその声が。〈武器〉を扱う意思に殴りつけるような衝撃をあたえた。
思わずよろけた身体。曇る視界。今まさに相手の「核」に襲いかかろうとしていた自らの黒い光が、あっけなく〈武器〉としての姿を失う。あやふやな形となったそれは、相手の心臓部を斬り裂くこともなく、ただ打ちつけただけで消滅してしまった。
ぐるりと身体を動かし、怪物の注意がイノに向けられた。顔面にちりばめられた紅い瞳の数々がねめつけてくる。今の半端な攻撃でも痛みだけはあたえたのか、相手の抱える黒い輝きが憤激に強く脈動するのが見えた。
粘液のしたたる牙だらけの顎を開き、ハサミの付いた腕を振りあげながら、『虫』がイノへと突進してきた。地響きを立て、視界に大写しになる巨大な灰色の塊。はるか以前、スラの砦で一騎打ちした個体とは比較にならない迫力だ。見てるだけで心臓が潰されそうになる。
相手の進路上から逃れるためと、仲間達から引きはがそうとするためとで、崖に沿って駆け出したイノを捕らえようと、『虫』がハサミを繰りだす。
間一髪で身をかがめたイノの頭上をすぎ、ハサミは崖の壁面に激突した。とほうもない質量による衝撃に、辺り一帯が地震でも起こしたように揺れる。
『虫』は忌々しげに、岩壁の半ばまでめり込んだハサミを薙ぐ。駆けるイノの背後で、ガリガリと耳をつんざく音と、砕かれた岩の破片とを飛び散らせながら、崖にむごたらしい傷跡が刻まれていく。
再びこちらへ向き直ろうとした相手めがけ、イノは振り向きざま〈武器〉を向かわせようとした。
だめだった。剣も、槍も、鎚も、牙も、爪も──呼び出す輝きのどれ一つとして、まともな形を成してくれない。それどころか、高まった『樹』の呼び声に連れ戻されるがごとく、瞬時に四散してしまう。
もどかしさと焦りに、イノは歯噛みする。周囲には小型種が展開しつつある。今はレアやスヴェン達が迎撃してくれているが、しだいに数を増やす相手には、それも時間の問題だ。
自分に呼びかける声。招きかける声。
この声さえなければ、この苦況は切り抜けられる。しかし、それを防ぐ手立てはない。耳をふさいでも、意識から締め出そうとしても、〈繋がり〉を断ち切ることができない。
なんとかならないのか?──じれったさを抱えたまま、イノは肩にいるシリアに目をやった。しかし、金色の輝きは沈黙したままだ。
毒づくイノに『虫』が迫る。節のある胴を持ち上げ、弓なりに反った長い尻尾が凄まじい勢いで振り下ろされた。後ろに跳躍したイノの目の前に、自分の身体と同じぐらいの幅を持つ尾の先端が突きささる。大地への振動が収まるか収まらないかのうちに、すぐさまそれは引き抜かれ、逃れた獲物へと狙いを定める。
一撃、一撃が致命傷となる相手の攻撃の合間をぬって、イノは再度〈武器〉を繰りだそうと意識を集中させた。
だめだった。もはや輝きを生みだすことすらできないほどに、自身の〈力〉は乱れ狂っている。
思うように使えない〈武器〉。思うように読み取れない相手の意思。唯一まともに動くのは、並みの人間と変わらないこの身体だけ。
じわりと胸の奥にわきあがる絶望──振り払う。
何度目になるかわからない巨大な尻尾の一突きを避け、イノは木々の立ち並ぶ場所めがけ駆けだした。時間を稼がなくてはならない。この状況ではうっとうしいものでしかない『樹』の呼び声から、意識が落ち着きを取り戻せるまでの時間を。
自身の尾が穿った穴だらけの地面を越え、バケモノが追撃をかけてくる音が背後に聞こえる。
駆けるイノ。自分の上げる呼気が凍えた空気に溶けていく。今だ降りつのる雪は、凄惨な地上に落ちてしまうのを嫌がるかのように、ゆっくり、ゆっくりと舞っている。
木立に入った瞬間、イノのすぐ背後にある老木にバケモノじみたハサミが喰らいつく。尋常ではない力に締めつけられた幹が、メリメリと悲鳴を上げ瞬く間に傾いでいく。この常識外れの大きさをした『虫』にとって、たかが木などまったく障害にはならないのだ。
振り返り、あらためて目の前の怪物にぞっとしながらも、イノはさらに木々の奥へと駆けだそうとした。切断された木の無惨にも倒れる音が、後ろから追いかけてくる。
瞬間──乱れた脳裡に警告の叫びが上がった。そして、視界の隅にのぞく黒い輝き。
はっ、と息をのんだときには遅く、横手から『虫』がとびかかってきた。デカブツとは別に展開していた小型種の一匹だ。
イノはきわどいところで剣をかざして防ぐ。だが、ぶつかった相手の勢いは殺せず、手近にある木の根元に押し倒されるようにたたきつけられた。その衝撃で肩にいたシリアが地面に放りだされるのが、視界のすみに映った。
耳障りな子供の笑い声を上げ、狂ったように振り回す相手の爪が、胸当てをかすめて嫌な音を立てた。イノはくぐもった声を上げ、右手で剣を支えながら、左手で怪物の顔面を何度も殴りつける。手袋の中にある相手と同質の甲殻に包まれた拳が、紅い瞳を果実のようにグシャリと潰す。
ひしゃげた瞳から涙のように体液を流しながら、痛みに叫ぶ子供の悲鳴を無視し、イノは灰色の身体を引きはがして刃で貫く。
死骸を放りだし、すぐさま立ち上がる。
そして、我が身をおおう巨大な影に気づいた。
振り返ったイノの視界いっぱいに広がる灰色の塊。
レアが悲鳴に近い警告を放ってきたのが聞こえた。
衝撃──再び身体を木にたたきつけられた。激しく打ちつけた頭に遠のきかけた意識が無理やり呼び戻される。両脇から締めつけてくる途方もない圧力の激痛によって。
イノは、自分の身体が巨大なハサミによって、木ごと挟みつけられているのを知った。
決死の形相でイノはこの拘束から逃れようとした。できない。分厚い甲殻でできたハサミは、まるで万力のようにがっちりと両腕ごと自分を押さえこんでいる。じわじわと……弄ぶようにその絶大な力を加えながら。
かつて味わったことのない苦痛に身もだえするイノの前で、紅い瞳の群れが興奮したように輝く。よだれのしたたる牙だらけの口がニタリと歪む。子供の声がクスクスと笑う。巨大な黒い輝きが大きくゆらめく。
拷問じみた痛みの中、イノは血走った瞳で相手をにらみつけた。だがそれだけ……たったそれだけだ。
もはや人ならぬ〈力〉を振るうこともできず、捕らわれた腕に握る剣すら振るうことのできないこの状況で、相手に抵抗する術はない。
『虫』の尻尾がゆっくりと持ち上がる。鋭利な先端が己に向けられる。
終わった。何もかもが。
ついに我が身を捕らえた絶望が、それを告げた。
苦況を切り抜けることも。『楽園』への旅も。そして、泣き顔で駆けてくるレアと交わした誓いに応えることも。
イノに死をあたえるため、巨大な尻尾が動く。
そして──光が走った。
かすむ視界に何かが瞬いたと思った瞬間、目の前の怪物がすさまじい絶叫を上げた。とたんに、イノは身体への拘束がゆるむのを感じた。遅れた思考で、巨大なハサミが自分を放したことを理解する。
何が起こったのかよくわからないまま呆然とするイノの前で、再び光が瞬いた。さっきの自分と立場を逆にしたように、今は『虫』が苦しげな叫びを上げている。あれほど強く揺らめいていた黒い輝きが、しだいに弱々しいものへと変わっていく。見る者を圧倒する巨躯が、右へ左へと頼りなさげによろけだしている。
さらなる光。今度はイノにもその正体が見えた。
突如として飛来した拳大の青白い光の玉──それが相手の頑強な鎧をやすやすとぶちぬき「核」へと達したのを、瞳ではっきりと捉えた。
三度の光の訪れを受け、断末魔の悲鳴と共に、大きな黒い輝きがぱっと四散する。生命を失った灰色の巨体が、地響きを立ててその場に崩れ落ちた。
「このバカ!」
いまだ立ちすくんでいるイノ目がけ、レアが怒鳴りながら抱きついてきた。
「倒すなら、死ぬほど心配させる前にとっとと倒しなさいよ!」
「ちがう。やったのは……オレじゃない」
巨大な死骸を見てイノがつぶやく。泣きぬれた瞳のまま、彼女が眉をひそめる。
「どういう──」
レアが最後まで言い終わらないうちに、木陰から一匹の『虫』が躍り出てきた。が、二人が反応するよりも早く飛びこんできた光の玉が相手を穿つ。一瞬で死骸となってしまった怪物の甲殻には、きれいな丸い穴が口を開けていた。
「なんだ……どうなってる?」
離れた場所で小型種の群れを迎撃していたスヴェンが声を上げた。思わず手を止めた彼らの足下には、同じ光に射抜かれたと思える『虫』がいくつも転がっていた。
互いに抱き合ったまま、イノとレアは首をめぐらせる。光の飛んできた方向。そこには、この戦闘の最初に自分達が背にし、今は死骸となっている巨大な『虫』にえぐられてしまった小さな崖がそびえている。
そして、その上に──
「人……?」レアがつぶやいた。
岩壁の上に忽然と現れてたたずんでいるのは、新手のバケモノではなく、まぎれもない人間の姿だった。その装いは、青い服の上から白い鎧と兜を身につけているように見える。兜の前面部分は空色をしており、鳥のクチバシじみた形をしていて、まるで鏡のように周囲の景色を映しだしていた。それが相手の口元から上を隠しているため、顔までははっきりと確認できない。
イノがこれまでに見たことがない奇妙な格好だが、それでも、この謎の人物が「戦士」であることはわかった。しかし、剣も弓も持っている様子はない。唯一気になるのは、両方の前腕にはめてある籠手(こて)のようなものだけだ。流れるような形をしたその白い籠手には、いくつもの溝が刻まれているように見える。
青と白の織りなす人影が、小高い崖から軽やかに地面へと降り立つ。
そして、相手は弾むような足取りで、イノとレアのいる方へ向かって歩き出した。身体の線をくっきりと浮き彫りにしている青い服から、その人物が女であるとわかった。
そのとき、脇にある木々の間から、二匹の『虫』が女めがけて襲いかかった。しかし、彼女は歩みを止めることなく、右手だけを無造作に怪物達に向ける。
瞬間──籠手の先端から、青白い輝きが立て続けに放たれた。金属を激しく打ち鳴らしたような、キィンという鋭く短い音と共に。
一直線に怪物へと襲いかかった二つの光の玉が、まるで紙に穴をあけるように甲殻を貫き内部へと達する。あっけなく生命を奪われた二つの灰色の身体が、迫る勢いのまま地面に転がっていった。
いまだ乱れ続けたまま脳裡に浮かんでいるバケモノの殺意達が、この新たに現れた女を脅威として認識したのを、イノはうっすらと感じ取った。
そして……女も自分と『同じもの』を捉えていることを。
展開している小型種の群れが、まるで示し合わせたかのように標的をイノ達から女一人に変えて、一斉に動き出した。
彼女が足を止める。自分に迫る灰色の群れと憎悪に対し、兜から張りだしたクチバシの下にのぞく唇が、不敵な笑みを浮かべるのが見えた。それに応えるかのごとく、両腕の籠手に刻まれている溝に光が満ちはじめた。
距離をつめゆく『虫』達に対して、女がゆっくりと腕を掲げる。
瞬間、放たれる光。
ときに広げ、ときに交差させ、まるで楽隊の指揮者であるかのように優雅に動く彼女の両腕。青白い光の流れる籠手から奏でられる音が、放たれる輝きが、接近しようとする『虫』のことごとくを一撃で葬り去っていく。
死角から攻めようとする相手には、踊るかのごとく華麗に身をしならせ、肩越しに、あるいは脇の下から突きだした手先で、女は必殺の光を撃ちこむ。一見場当たり的にも見えるそれら一連の動作が、緻密な計算の下に素早く行われているのは、誰の目にもあきらかだ。
優しく舞い散る雪の中にほとばしる怪物達の血の飛沫が、みるみるうちに地を赤黒く染めていく。次々と築かれていく同胞の屍におかまいなしに、それでも『虫』達はがむしゃらなまでに女に襲いかかろうとする。
やがてその内の一匹が、放たれ続ける光の合間を抜けることに成功し、彼女へと飛びかかった。
しかし女は動じることなく、笑みを浮かべたままくるりと身体を回転させ相手の突進を難なくかわす。そして両者がすりぬけた瞬間、いまだ宙にいた『虫』の身体が上下にぱっくりと割れた。二つの塊となって着地した怪物の噴きだす体液が、盛大なまでに地面にぶちまけられる。
きれいに両断された怪物に、見向きもしない女が伸ばしている右腕──その籠手先からは、いつの間にか一本の刃が生まれていた。それは、彼女の顔をおおう兜の前面と同じく、鏡のようにきらめく素材から成っているようだった。
ようやくのことで『虫』達が怯みはじめた。しかし、そんな怪物の群れに対し、女は最後の攻勢をかける。その両腕が巧みに振るわれるたびに消えていく黒い輝き達。ある者は瞬きよりも速い光に射抜かれ、ある者は描かれる軌跡のままに相手を斬り裂く刃によって。
ひょいと首を傾げ、背後からやけ気味に飛びかかってきた一匹を肩越しに撃ちぬくと、女は「ふぅ」と小さく息をついた。
静寂。やがて、カシャンと軽快な音がして、彼女の右手に伸びていた刀身が縦に分かれ、それぞれが籠手の中に収納される。
雪の降る中にたたずむ女の立ち姿。その周囲に山をなす幾十もの異形の屍達。
それが戦闘の終わりだった。
一連の出来事に、イノも、レアも、そしてスヴェン達も突っ立ったまま絶句していた。理解を越えた武器と戦い方とで、たった一人の人間が、『虫』の群れをあっという間に全滅させてしまったのだ。
目の前の光景が幻ではないかと疑う五人の視線をあびながら、女は何事もなかったかのように、イノとレアのいる方へと歩みを再開した。
近づいてくる女。背丈はこちらより少し低いぐらいだ。のぞき穴すらない鏡面じみたクチバシに隠され、今もなお、彼女の表情は笑みを浮かべている口元までしかわからない。
イノは地面に放り出されたままになっていたシリアを拾いあげ、肩に乗せた。すでに身体を離していたとなりのレアが、緊張に唾を飲みこむのが聞こえた。だが剣を構えるまではしない。二人とも、相手が敵でないことはもちろん、『何者』であるのかも薄々わかりはじめていたからだ。
女の武具に使われている白い金属。それはかつて『楽園』で使われ、カビンの村で今も回っているあの不思議な目印と同じものだった。
そして──この相手と自分との間に存在しているもの。イノはそれをしっかりと感じ取っていた。
シリア、アシェル、シリオス、自らと同じ〈力〉を有する人間達に対して、過去に幾度も経験し続けてきたのと同じものを。
「間に合って、よかった」
こちらの緊迫した様子とは逆に、弾んだような声で女が言った。少し奇妙なしゃべり方だが、イノ達が使っているものと同じ言葉だった。しかも、声の調子からしてずいぶんと若そうだ。
女が兜の脇に手をやる。そのとたん、前面にあるクチバシが滑るように後ろに移動した。その中から現れたのは、自分と歳の変わらない少女の顔だ。白い肌をしたかわいらしい面立ち。猫のように少しつり上がり気味の、ぱっちりとした鳶色の瞳が印象的だった。
兜の仕掛けもそうだが、救い主のあまりにあどけない素顔に、イノは驚いてしまった。一部始終を目の当たりにしたとはいえ、とてもではないが、目の前にいる少女と、あのすさまじい戦闘を行った戦士とが同一の人間だとは考えづらい。
その少女は大きな瞳を動かし、興味深そうにイノと金色の輝きとを交互に見つめる。
そして、だしぬけに抱きついてきた。
「ちょっと!」
ぎょっとした様子のレアが、大声を上げた。
「会えて、うれしい」
唖然とするイノの目と鼻の先で満面の笑みを浮かべながら、少女はさらなる言葉を続ける。
『終の者』──と。
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