ヨン様が希少な偶像であることは先に触れた。
だからと言って、私のパートナーのような男が
大半を占めている訳では勿論ない。
韓国人がオーナーのある財団では
毎年韓国人中学生8名を日本に招待している。
2002年サッカー・ワールドカップの少し前
我が家にその年招待された中学生のうちの1人と
引率の男性K先生がホームステイすることになった。
K先生は日本語が少し話せるものの英語が専門だったので
私達2人の会話は殆ど英語だったので
多少の行き違いはあったかも知れない。
夜2人だけで話す機会がありK先生は開口一番に
「私にとって妻が最初で最後の女性です。」と宣言し
一瞬何のことだか理解することが出来なかった。
確かに当時の私は所謂未亡人ではあったのだが K先生に思わせぶりな行動をした覚えもないし 日本人には変な接待文化があると思われていたのか 真面目が服を着て歩いているような印象だったので
聞くのもはばかられて未だに確認できないままでいる。
その後のメールのやり取りで K先生が見た目通り真面目で純粋だということが確認でき
仕事やプライベートで韓国を訪れたついでに
自宅アパートや仕事先である中学校にもお邪魔したこともあった。
余談だがK先生が勤める培材中学校はヨン様の出身校で 母校の校長先生宛に贈られたサイン入りのブロマイドは
その価値が分からなかった校長から彼を経由して私の手に渡った。
K先生は日本の東大にあたるソウル大学出身で敬虔なクリスチャンであり
美大出身で専業主婦の可愛い奥様と2人の息に恵まれ 趣味はテニスでボーイスカウトの隊長として社会奉仕にも励む
絵に描いたように模範的な社会人であり夫であり父親なのだ。 韓国には純粋培養されたようなこんな男性も 沢山いることも段々分かってきた。
K先生に余計な心配を掛けることは明らかなので 私の韓国在住の件はまだ話していない。 K先生に連絡できないもう1つの理由は彼の奥様で
何故か私が彼と韓国で会うたびに身体の具合を悪くされて
杞憂だとは思うのだが私のせいかも知れないと遠慮している。
誓って言うがK先生と妙な雰囲気になったことは一度も無い。
韓国に住むようになってから知り合った男性の中に
K先生と年代はかなり異なるものの
彼以上の愛妻家と知り合う機会があった。
定年後に弁護士事務所でCEOをなさっているS氏は
日本の最高裁判所に当たる大法院での仕事を最後に
裁判官としての仕事を終えられた。
現在は教会の長老としてもご多忙だ。
家庭では一男二女の父親でいらっしゃるが
3人のお子さんのうちご長男は最後に授かられた。
実は奥様は2人のお嬢様達を出産した後
ご自分のやりたい勉強をなさるつもりだったようだ。
ところが、S氏のご両親のたっての頼みで
男子出産の期待をかけて再度妊娠を承諾された。
その代わりとして、無事男子出産のあかつきには
奥様は単身日本へ留学する約束を取り付けていらした。
果たして、待望のご長男を授かり
奥様は約束どおり単身日本に渡られた。
今から30年以上前の当時としては
画期的なことだったと推察される。
奥様不在中、乳飲み子の世話は
昼はS氏のお母様、夜はS氏自身の担当となった。
当時S氏は裁判官としては駆け出しで
仕事も多忙を極めたと思うが
帰宅後は夜中の授乳やおむつ交換まで
自分の日課として厭わなかったのだった。
奥様は現在同志社大学で客員教授としてご活躍されている。
最近まで6ヵ月間、日本語学院に通ってくれたJさんは
小学生の頃から農作業や家畜の世話をするのが日課だった。
兄弟が多かったせいで栄養が行き渡らず小柄だったらしいが
毎日の労働で自然に身体は鍛えられていたし
人一倍負けず嫌いな性格も手伝ってか
マラソン選手として数多くの地区大会で入賞していた。
高校生から親元を離れ奨学金を貰って自活し
遊ぶ余裕も無いので
大学生活の殆どを図書館で過ごしたそうだ。
そんなJさんが兵役義務中は海軍に所属し
少し遅めだったが、生まれて初めて
異性を意識する女性と出逢ったのだった。
彼女は海軍に勤務していて
女優にも引けを取らないくらい美しい人だったそうで
Jさんは結婚を前提に彼女と付き合い
周囲の誰もがそうなるものと信じていたのに
彼女は突然別の軍人との婚約を発表したのだった。
Jさんの兄弟は全て公務員になっているが
彼自身は準公務員として金融関係の政府機関に就職した。
そこで仕事に明け暮れてばかりいて
女性に全く縁が無かったJさんを見かねて
先輩が一人の女性を紹介してくれたそうだ。
それはJさんが32歳の時で
お相手は小学校の先生だった。
一目で彼女を気に入ったJさんは
毎日のメールや毎週のデートを欠かさず
交際100日目に100本のバラの花束を用意して
彼女にプロポーズを試みたが
彼女からは鄭重に断られてしまった。
しかしながら、そんなことではめげなかったJさんは
その後も毎日のメールや毎週のデートを続け
交際200日目に、今度は200本のバラの花束と
毎日のメールに加えてJさんの心情を書き綴ったものを
1冊の本にまとめて手渡したそうだ。
彼女は感動し現在Jさんの奥様になっている。
Jさんは次なる目標として
出先期間である東京事務所行きを思い立った。
まず、動機を明らかにするため日本語検定1級を目指し
それより重要な職場での勤務評価を上げるために
朝は誰よりも早く出社し
時間外勤務や休日出勤も厭わなかったお陰で
上司からの評価には自信を持てるようになった。
外国語大学教授の面接を経て
今までの努力が報われる形となって
この7月に生まれて初めて日本の土を踏む。
趣味の写真で富士山と桜を撮りたいそうだ。
日本に行くと決めてから5年目になるという。
−つづく−
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