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作品名:サイレンス 作者:ぴきにん

第74回   74
全ての音が断たれた世界で、意識だけが漂っていた。
身体は全く動かない。目を開けることも出来ない。何も出来なかった。
やがて目の前に、見慣れた光が見え始める。そこは、見慣れた部屋の天井だった。すぐ傍には、テーブルと椅子が見える。いつもの、見慣れた部屋だった。
だが、何かが違っていた。
音の無い世界で、足音がした。
その足音は、ゆっくりと近付いてきた。
その足音は、自分の横で止まった。
誰かが、自分の肩を掴んだ。それは、男の手だった。
そして、男の顔が見えた。

それは、あの時のままの、スピラーン神父だった。
音の無い世界で、彼の声が届く。
「起きなさい、バリー!」

その瞬間、バリーの目が見開く。確かに、見慣れた部屋だった。バリーは辺りを見回すが、スピラーン神父の姿は無かった。
「アン!」
バリーはよろめきながら起き上がると、浴室へ向かった。
ドアを開けると、バリーはその惨状にたじろいだ。浴槽に溜められた水にアンが浸かっている。その水は、血で真っ赤に染まっていた。
だがバリーは咄嗟に、まだ助かると感じた。酷い頭痛に襲われながら、彼女を抱き上げる。左手首から流れ出る血を、タオルで押さえながら止血し、彼女の身体を毛布で包んだ。
彼女を抱き上げ、アパートの外に出たバリーは、タクシーを拾い、病院へ向かった。

一時間後、連絡を聞きつけたジョージが、病院の救急病棟に駆けつけてきた。一目散にベッドで横たわるアンに駆け寄るジョージの顔が、青ざめている。
アンは大量の睡眠薬を服用し、出血もしていたが、命に別状は無かった。だが、あと数分遅ければ助からなかったかもしれないと、医師から告げられていた。
「どうして・・・こんな事に?」
アンの手を握っていたジョージが言った。バリーは、彼を病室から呼び出すと、二人はエントランスの外に出た。
バリーは、アンが父親ジョナサンに受けた“傷”を話し始めた。ジョージは以前に聞いたと言うが、バリーは話していないことがあると付け加えた。
バリーは絶対に思い出したくも無い記憶を辿りながら、言葉を選んでジョージに話していった。
「そんな・・・そんな事が・・・」
ジョージは涙を浮かべる。
「アンは、独りで耐えていたのか?」
バリーは小さく頷く。
「それだけじゃない・・・」
バリーは続けた。
「俺も、あの男と同じことをした」
「・・・どういう意味だ?」
その意味を、まだジョージは掴めていない。
「アンの身体に、触ったんだ」
「・・・嘘だろ?」
バリーは、ジョージの目を見据えた。彼は、バリーの真意を量ろうとしている。
「ヘザーも、気付いてた。彼女が死んだのは、そのせいだ」
「お前が、そんなことをする筈が無い」
ジョージはバリーの襟首を掴んだ。
「嘘だと言え!」
「アンは、あんなに美しいんだ。触らないほうが、どうかしてる」
ジョージはバリーを殴った。倒れたバリーは、それでも続けた。
「お前はアンに触ったのか?お前が、遅すぎるんだ!」
倒れたバリーに馬乗りになり、ジョージは殴り続けた。やがてその拳を止めると、ジョージは涙を流した。
「信じてたのに・・・」
「だからお前は・・・何もかも俺に劣るんだ!」
血だらけになったバリーは、それでも笑みを浮かべながらジョージを罵倒した。ジョージはまたバリーを殴る。
「消えろ・・・!」
ジョージは倒れているバリーを睨み付けた。
立ち上がったバリーは、ジョージの顔も見ることなく、その場を立ち去った。彼は、心の中で何度もジョージに詫びていた。
「こうするしか、ないんだ・・・」
バリーは静かに、一筋の涙を流す。
「お前だけが、頼りなんだ・・・」
後ろを振り返ることもなく、バリーは歩いた。
「俺はアンの傍に、いられない・・・」
手で血をぬぐいながら、バリーは歩いた。
「ジョージ・・・アンジェリアを、頼む・・・」

翌日、バリーは父親・ジョナサン・タウバーとの和解案を呑み、ベトナムへ志願した。


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