拳を振りかざした瞬間、アンがバリーの背中に抱きついた。 「殺しちゃ駄目・・・」 バリーはダニエルを睨んでいる。 「こんな奴、生きる価値も無い」 「駄目・・・」 そのままアンは気を失い、床に倒れてしまった。 「アン!」 バリーは倒れたアンを抱きかかえる。その隙に、ダニエルはアパートから隠れるように逃げ出した。
冷えたタオルを、アンの右の顔に当てがう。彼女の顔は、殴られたせいで酷く腫れ上がっていた。彼女の細い手を握る。二十歳になったアンは、美しく、天使のように無垢だった。 「どうして、お前がこんな目に遭うんだ・・・」 バリーの声に反応したアンは、彼の手を握り返した。 「バリー・・・」 アンの目が、微かに開く。 「どこにも、行かないで・・・」 バリーは冷たいアンの手を握りながら、小さな声で、それに応えた。
日も暮れ始めた頃、アパートを訪れたジョージに、バリーはダニエルのことを話した。ジョージは「殺してやる」と息巻いたが、バリーはそれを制止した。 恐らく、父親のジョナサン・タウバーが動き始めた。ダニエル・フロストが来たのは、そのせいだろう。 「ジョージ・・・」 怒りに息を乱すジョージに、バリーは静かに話す。 「俺にもしものことがあったら、アンを頼む」 ジョージは、まっすぐにバリーの目を見る。 「お前と、アンの父親でもあるんだ。お前だけに背負わせない」 彼はアンの夫になる男だった。ジョージに背負わせてはいけない。バリーは、そう思った。
翌日、予想していたとおりジョナサン・タウバーからの動きがあった。バリーは大学に呼び出されると、学長室に通された。中に入ると、学長の隣にタウバー州知事の専任弁護士・トーマス・ペリーという男が座っている。 ソファを勧められると、学長はバリーに一枚の紙を手渡した。 「君に対する告訴状だ」 告訴内容は、アンジェリアの誘拐、母親ミミのシボレーを盗んだ窃盗、父親ジョナサンに対する暴行、そしてダニエル・タウバーに対する暴行。 「ダニエル・タウバー・・・?」 バリーは呟いた。 「ジョナサン・タウバー州知事の養子だそうだ」 学長が言った。自分の思い通りにならない息子を犯罪者とし、下劣な男を養子にしたのか。バリーは呆れ返っていた。 「即刻、ご息女のアンジェリア嬢を帰さないと、君を10日以内に拘束するそうだ」 バリーは異常なくらいに、冷静になっていた。 「しかし、お父様が貴方にやり直すチャンスを下さいます」 隣に座っていた、トーマス・ペリーが眼鏡を抑えながら話し始めた。 「貴方が、合衆国の為にベトナムに志願すれば、ご息女を帰すこともしなくて良いと寛大な和解案をいただきました」 バリーは、父親の意図が読めていた。 自分とアンは、州知事、もしくはいずれ狙うであろう大統領選挙に出馬するさい、必ずマスコミなどに暴露される“汚点”であった。しかし自分がベトナムへ志願し、戦死しようものなら、それは“美談”とされる。 ダニエルを寄越したのも、自分が彼を殴るのを見越していたのだ。 「全く・・・老獪な男だ・・・」 バリーは口元に笑みを浮かべながら、呟いた。 バリーはゆっくりと立ち上がり、一日だけ待って欲しいと二人に告げ、学長室を出た。
|
|