そう言い捨てると、バリーは部屋を出た。その後ろ姿を見たヘザーは、床に泣き崩れる。彼女は、声を押し殺して泣いた。 「愛してるのよ・・・!」 握りこぶしを床に叩きつける。 「行かないで・・・!」 何度も何度も、叩きつけた握りこぶしに、血が滲み始めていた。
バリーはヘザーのマンションを、足早に出た。歩きながら、煙草をくわえ、火を点ける。怒りが、まだ冷めなかった。彼は冷静さを欠いていたために、一切の思考が止まっていた。彼は歩いた。何も、考えられなかった。イェールの構内を抜け、ふと気付くと、バイネッケ図書館に来ていた。まだ、アンはいるだろうか。そう思い、庭のテラスへ足を向けた。 いつものテーブルを見ると、アンとアルベルト・ベックマン博士が楽しそうに話していた。バリーはアンの顔を見た。彼女の顔を見ると、さっきまで感じていた怒りが安らいでいく。彼女に声をかけようとしたとき、その足を止めた。アンの背後から、ジョージが彼女に声をかけていた。 また、何も無い空間に放り出されたような、とても奇妙な孤独を感じた。 ジョージは、いい男だった。彼はフットボールのチームでもクォーターバックとして活躍し、誠実で、将来を嘱望されていた。 ジョージなら、アンを任せられる。そう考えていたはずなのに。 二人は嬉しそうに、はしゃいでいる。彼女の大学合格を祝っているのだろうが、バリーはそれを正視できなかった。 彼は、逃げるようにその場を去った。
陽が落ち始め、辺りが薄暗くなっていった。バリーはそれでも歩いた。95号線沿いにある、ロング・ワーフ・パークまで来た。パークと言っても数本の木が植えられ、数個のベンチがあるだけだったが、ここからは海を眺められる。 バリーはベンチに座り、煙草に手をかけようと、ジャケットの内ポケットに手をかける。中から煙草と、青い指輪ケースが出てきた。 そっと開けると、ケースの中から小さなダイヤモンドが付いた指輪が入っていた。 ヘザーに渡そうと、やっとの想いで買った指輪だった。 バリーが着けようとした“けじめ”とは、彼女への求婚だった。 ヘザーはイェール・ロースクールを出て、検事を目指していた。彼女は正義感にあふれ、何の差別も無い、公平な裁判をと常に言っていた。自分とは目指す道が違ってはいたが、彼女は最良のライバルであり、最愛の女性だったはずだ。 彼女との幸せな生活。結婚をして、子供を持ち、そして年老いていく。 バリーはベンチから立ち上がると、指輪を海に投げ捨てた。 初めて女に手を上げた自分に、そして幻想を抱いていた自分に、怒りを覚えた。
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