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作品名:サイレンス 作者:ぴきにん

第56回   56
「鏡文字?」
ジョージが聞き返す。そこへ、アルバイトからバリーが戻った。皆がノートを覗き込んでいるのを見て、バリーが何をやっているのか聞いた。ヘザーが経緯を説明すると、バリーは、それがアンの書く文字だと言った。
「文字だけじゃない」
バリーは話を続ける。例えばアンにボールを左に投げると、右で受け取ろうとするのだ。
「じゃあ、あなたの目に映る映像そのものが、私たちと逆なの?」
アンは、その言葉が理解できず黙り込む。彼女の目に映るものが、他の人間と違うかどうか、それすらも知らないのだ。
「原因は、何だ?」
ジョージがバリーに言った。
「分からない。色んな本を読んだが、はっきりとは記されていなかった」
「ずっと前に、興味本位で読んだ本には、大脳の働きに問題あるんじゃないかって、書いてたわ」
ヘザーが言った。バリー、ジョージ、ヘザーの三人が腕を組んで、同じように唸った。その空気を打開するように、アンは彼らに言う。
「パンケーキでも食べる?」
三人は同時にイエスと返事をした。

レポートの提出が終わった直後、ヘザーはずっと鏡文字を考えていた。彼女は、あの文字に見覚えがあったのだ。自分の忘れかけた記憶の中で、何度も鏡文字を見たような気がする。彼女は、自身の記憶を辿っていた。

バリーは大学のベンチで、本を読みふけっていた。その姿を見つけたヘザーが、彼の元に駆けよる。
「こんなところに居たのね!」
気高くて冷静なヘザーが、髪を振り乱して息を切らしている。
「どうした?」
バリーが彼女の姿を見て、珍しく驚いた。
「分かったのよ!」
「何が?」
ヘザーは、自身の記憶を蘇らせていた。彼女も、幼い頃に鏡文字を書いた経験があったのだ。
「思い出したのよ!とにかく来て!」
そう言うと、バリーの手を引いて大学を出た。

アパートに着くと、ヘザーはアンジェリアに全てを説明した。自分も幼い頃に、鏡文字を書いていたこと。そして、いつのまにかそれを克服していたこと。
「私は、生活するときの利き手は全て左なの。でもね、字を書くときだけは右で書くのよ」
幼い頃の記憶では、字も左で書いていたはずだとヘザーは言った。
「左で書いていた頃は、鏡文字を書いていたはずなの。でもね、どういうきっかけだったかは忘れたけど、右で字を書き始めてから、いつの間にか鏡文字を書かなくなったわ」
「本当!?」
アンが身を乗り出す。
ヘザーの提案は、アンの左利きを右にしてみたら、治るかもしれないとの事だった。

その日から、アンは右手でアルファベットを書き続けた。バリーは鏡文字でアルファベットを書き、それをアンが右手で見たままを書く。すると、たどたどしい字ではあったが、正しいアルファベットを書き始めた。その効果があったのか、アンは次第に本を読めるようになり、イェールのそばにあったバイネッケ・レアブック・アンド・マヌス図書館に通うようになった。
「お前も、学校へ行ったらどうだ?」
ダイニングテーブルで本に夢中になるアンに、バリーが話しかけた。
「私が?」
「勉強なら、俺が教えてやるよ」
通信制のハイスクールがあると話した。彼女は、輝かしい笑顔を浮かべ「勉強したい」と言った。七年ぶりに会ったアンは、全てにおいて消極的だったが、ここへきて昔のような明るさを取り戻していった。


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