「鏡文字?」 ジョージが聞き返す。そこへ、アルバイトからバリーが戻った。皆がノートを覗き込んでいるのを見て、バリーが何をやっているのか聞いた。ヘザーが経緯を説明すると、バリーは、それがアンの書く文字だと言った。 「文字だけじゃない」 バリーは話を続ける。例えばアンにボールを左に投げると、右で受け取ろうとするのだ。 「じゃあ、あなたの目に映る映像そのものが、私たちと逆なの?」 アンは、その言葉が理解できず黙り込む。彼女の目に映るものが、他の人間と違うかどうか、それすらも知らないのだ。 「原因は、何だ?」 ジョージがバリーに言った。 「分からない。色んな本を読んだが、はっきりとは記されていなかった」 「ずっと前に、興味本位で読んだ本には、大脳の働きに問題あるんじゃないかって、書いてたわ」 ヘザーが言った。バリー、ジョージ、ヘザーの三人が腕を組んで、同じように唸った。その空気を打開するように、アンは彼らに言う。 「パンケーキでも食べる?」 三人は同時にイエスと返事をした。
レポートの提出が終わった直後、ヘザーはずっと鏡文字を考えていた。彼女は、あの文字に見覚えがあったのだ。自分の忘れかけた記憶の中で、何度も鏡文字を見たような気がする。彼女は、自身の記憶を辿っていた。
バリーは大学のベンチで、本を読みふけっていた。その姿を見つけたヘザーが、彼の元に駆けよる。 「こんなところに居たのね!」 気高くて冷静なヘザーが、髪を振り乱して息を切らしている。 「どうした?」 バリーが彼女の姿を見て、珍しく驚いた。 「分かったのよ!」 「何が?」 ヘザーは、自身の記憶を蘇らせていた。彼女も、幼い頃に鏡文字を書いた経験があったのだ。 「思い出したのよ!とにかく来て!」 そう言うと、バリーの手を引いて大学を出た。
アパートに着くと、ヘザーはアンジェリアに全てを説明した。自分も幼い頃に、鏡文字を書いていたこと。そして、いつのまにかそれを克服していたこと。 「私は、生活するときの利き手は全て左なの。でもね、字を書くときだけは右で書くのよ」 幼い頃の記憶では、字も左で書いていたはずだとヘザーは言った。 「左で書いていた頃は、鏡文字を書いていたはずなの。でもね、どういうきっかけだったかは忘れたけど、右で字を書き始めてから、いつの間にか鏡文字を書かなくなったわ」 「本当!?」 アンが身を乗り出す。 ヘザーの提案は、アンの左利きを右にしてみたら、治るかもしれないとの事だった。
その日から、アンは右手でアルファベットを書き続けた。バリーは鏡文字でアルファベットを書き、それをアンが右手で見たままを書く。すると、たどたどしい字ではあったが、正しいアルファベットを書き始めた。その効果があったのか、アンは次第に本を読めるようになり、イェールのそばにあったバイネッケ・レアブック・アンド・マヌス図書館に通うようになった。 「お前も、学校へ行ったらどうだ?」 ダイニングテーブルで本に夢中になるアンに、バリーが話しかけた。 「私が?」 「勉強なら、俺が教えてやるよ」 通信制のハイスクールがあると話した。彼女は、輝かしい笑顔を浮かべ「勉強したい」と言った。七年ぶりに会ったアンは、全てにおいて消極的だったが、ここへきて昔のような明るさを取り戻していった。
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