その日、テレビのニュースでベトナム・ダナンにアメリカ海兵隊が上陸を断行したと報じられた。前月に解放戦線がアメリカ軍基地を攻撃し、多数の米兵が戦死。これに激怒したリンドン・ジョンソンが北ベトナムの中枢都市ハノイ・ハイフォン・ドンホイなどに報復攻撃を開始した。いわゆる“北爆”の開始である。 ついに、アメリカのベトナム戦争への本格介入が始まったのだ。 「一体、ジョンソンは何をやってるんだ!」 テレビを眺めながら、エンツォ・ロベルタが怒りをあらわにした。 「あんな奴に一票入れるんじゃなかった!」 そう言うと、ロベルタはイタリア語で愚痴を言い始める。それを理解出来るのは、一人もいなかった。 バリーはそのニュースを眺めながら、帰り支度を始めた。ジョンソン大統領のこの行動は、最初から分かりきっていたことだった。 「それにしても、ジョンソンという男は詐欺師よりも酷い・・・」 バリーが呟く。ロベルタに店を出ると告げ、「ウーノ・セルボ」を後にした。この日はレポートの提出期限が三日後に控え、ジョージとヘザーがアパートに来ているはずだった。
ヘザーとジョージの二人はレポートについて話し合っていた。ジョージは大方仕上がっているらしいが、ヘザーは全くの手付かずだった。 「じゃ、なんでここに来たの?」 狭いキッチンのダイニングテーブルに座るヘザーは、向かいに座っているジョージに聞く。 「別に・・・いいだろ!」 ジョージはキッチンに立っているアンの後姿を見て、顔を赤らめた。 「全く・・・男って、馬鹿よね」 ヘザーは腕を組んで、ジョージを睨みつける。ふとアンを見ると、彼女は徐に話しかけた。 「あなた、字が書けないって本当?」 アンが振り返る。彼女はその質問に少したじろいだが、ヘザーは責めている訳ではないと付け加えた。 「アン、嫌なら応えなくてもいいんだ」 ジョージはアンの手を握る。 「私はあなたが、字を書けない原因を知りたいのよ」 ヘザーは言った。その言葉に、アンは応える。 「書くと・・・変だと言われるのよ」 「じゃあ、ここに一度アルファベットを書いてみて」 ヘザーはノートとペンを、アンに差し出した。アンは椅子に座ると、ペンを左手に持ち、アルファベットを書いていく。その文字に、ジョージとヘザーが驚く。 「これは・・・何だ?」 アンの書く文字を初めて見たジョージが、思わず言った。アルファベットが、全て鏡に映し出されたように、反転していたのだった。中でも興味深いのは、数個の文字が、上下逆さまに書かれている。 「これって・・・“鏡文字”だわ」
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