「また"ママ"にお子様ドリンクを作ってもらったのか」 とカウンターの二人が笑う。 「そんな"泥水"を飲むよりはましだと思うがね」 バリーが応えると、スーザンは彼の頭を平手で子供を叱る時の様に殴っていた。 笑い声が店を包み、それが絶えようとしたとき、バリーは徐に話を切り出した。 「ここを出る事にしたよ」 一瞬、スーザンの顔に落胆の色が浮かぶ。 夫が自殺してまだ一週間しか経っていないというこの時、彼女の傍を離れるべきでないことは分かっていた。 「そうかい。で、いつここを発つんだい?」 一週間くらいでとバリーが応える。一週間!とスーザンが大声を張り上げた。 「寂しくなるねぇ」 「ロースクールを卒業するまでだ。また、戻ってくるよ」 「その時は、有能な弁護士になっているんだね」 スーザンは人懐っこい笑みを浮かべる。それを見て、バリーは"本当の母親"とは、こんな感じなのだろうかと思ったほどだった。 「帰ってきたら、俺が雇ってやる」 と、カウンターの二人が言う。また店に笑い声が戻った。 その時、店の扉が開き、黒いコートを着た長身の男が入ってきた。身形は良いが、その不気味な雰囲気を店にいた誰もが感じ取るほど、男の目つきが異様だった。カウンターに座っていた二人は早々に店を立ち去る。 男が店を見渡し、カウンターに座っているバリーを見つけると、彼に近寄ってきた。 「久し振りだな。ルテナン・タウバー」 バリーは男を睨みつける。その雰囲気を察し、スーザンが身を乗り出そうとするが、振り返らずにバリーが手を低く挙げ、それを制止する。 「何の用だ?」 「冷たいじゃないか。久し振りに"戦友"がアンタを尋ねて来たというのに」 「"戦友"?お前が俺の"戦友"だと?勘違いするなヘイズ!」 それでもその男、ダレン・ヘイズは不敵な笑みを浮かべる。 「今日はアンタを怒らせに来たんじゃない」 ヘイズは胸ポケットから一枚の名刺を取り出すと、バリーの前に差し出した。 「"ビジネス"の話だ」 バリーの表情が微かに濁る。 「帰ってくれ」 「ガーツがアンタとまた組みたいといっているんだ。アンタのその手腕が欲しいとね」 張り詰めた空気が辺りを包む。 「まぁいい。アンタにも考える時間が欲しいだろうから、今日は大人しく帰るよ」 ヘイズはジャケットから財布を取り出し、100ドル札を床に投げ捨てた。 騒がせた礼だと不敵な笑みを浮かべ良い返事を期待しているよとバリーの耳元で囁き、ドアの向こうに消えていった。 スーザンはヘイズが投げ捨てた100ドル札を掴み、破り捨てた。 「なんだい、あの男!」 ふと、彼女は気配を感じ、カウンターで静かに座るバリーを見た。彼はどこか虚ろに宙をさ迷いながら定まらない視線を、やっとの思いでスーザンに向けた。 スーザンが彼の名を呼ぶが、バリーは何の反応も示さないまま、店を後にした。
車に戻り、エンジンをかけ車を反転させようとした瞬間、目の前にトレンチコートを着た男が浮かび上がった。 「お前は」 トレンチコートの男は表情を変えず、バリーに近付いた。ヘッドライトがコートに反射した僅かな明かりの中、男の顔が浮かび上がる。 「ジョージ」 その男、ジョージ・スピラーンは明らかに怒りを抱いた瞳でバリーを見ると、一言も言葉を発することなく、助手席に乗り込んだ。 「話がある」とジョージが呟いたのは、車が発進した少し後のことだった。 「アンの事か?」 頑なに押し黙るジョージの顔から、怒りが消えていく。 「お前がまだ生きているということ、彼女が知ったんだ」 何故と、バリーが問い掛けた。ジョージは歯の奥に何かを噛み潰したような苦い表情を浮かべ、静かにそれに答えた。 「俺が、教えた」 バリーはジョージの横顔を見た。彼はただ一点だけを見つめ、硬い表情を崩さなかった。 「アンは何処に居るんだ?」 ジョージは解らないと答えた。彼女はジョージに手紙を残し、二日前から行方不明になっていた。連邦捜査局に捜索願は出しているが、依然として行方は掴めていない。 「もしかしたら、お前のところに来ているかと思ってな」 バリーは小さく首を横に振る。 「何かあったのか?」 バリーが再び問い掛ける。ジョージはコートから煙草を取り出し、一本咥えると、火を点け大きく煙を吸い込んだ。 「流産したんだ、一ヶ月前に」 バリーは表情を変えず、ジョージの言葉を待った。 「しかも二度目だ。医師の話では、もう妊娠は不可能だといっていた」 ジョージはゆっくりと話し始めた。アンは結婚した当初から、ずっと子供を待ち望んでいた。ようやく三年目に妊娠はしたが、妊娠三ヶ月目すぐに腹痛を起こし、流れた。 「受精はしても、着床しないんだ。ずいぶんと呆気なかった」 医師に流産が習慣化する可能性があるので、次に着床しても、すぐに流れ出てしまうと、宣告されていた。だが彼女は諦めようとしなかった。 「次に妊娠がわかったのは、半年前のことだ。五ヵ月までいったんだ。普通なら流産の危険性は無くなるのに、一ヶ月前、急に苦しみ出したんだ。母子ともに、危険な状態だった。彼女は自分の命より、子供を助けてと言っていた。泣き叫んでいたよ。だが、俺は彼女を取った。彼女に、死んでほしくなかった」 それきり、アンは自分の殻に閉じこもるようになっていった。ジョージの前では明るく振舞おうとしていたが、いつも独りで泣いていた。彼女は自分の感情を、決してジョージにぶつけることは無かった。 「彼女は全て自分で背負い込もうとするんだ。それが、とてつもなく悲しかった」 だからバリーの生存を教えたと、ジョージが言った。ニューヨークに住んでいるという事も。 「これを、渡しておく。今日から二日間滞在する。何かあったら、ここに連絡をくれ」 そう言うと、ジョージは胸ポケットから"タワーズ&オクロック"と書かれたマッチを手渡した。クイーンズにある、ユースホテルの名だ。 わかったとバリーが静かに答えると、ジョージは踵を返し、クイーンズの街に消えていった。
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