戦場で研ぎ澄まされた鋭敏な神経も、平和な場所では役に立たなくなっていたのだ。 想像を絶する意味も無い恐怖に疲れ果て、ふと自殺を考えていたそんな時だった。バーで見たテレビに、反戦運動に参加する、見慣れた男が車椅子に乗って参列していたのだ。その男の名は隊の上官だったウィリアム・ウィルキンソン大尉。士官の中で唯一人の黒人士官だった。その男が切り落とされた両足を車椅子に乗せ、プラカードを掲げる"平和主義者"と共に行進をしていたのだ。 バリーはすぐにNYへ向かった。上官だったウィルキンソンに会うために。 あの時、何故自分を助けたのだと聞くために、バリーはNYに来た。 だが、誇り高いウィルキンソンは両足をなくした事で、一週間前に自殺したのだった。リボルバーにたった一発の弾丸を込め、それを自分のこめかみへと放ち、全てを終わらせた。 このタクシードライバーの仕事を紹介してくれたのも、もう一度、ロースクールへ行かないかと奨めたのもウィルキンソンだった。そのお陰で夜中に車を走らせることで"夜に眠る恐怖"から逃れることができ、精神的に余裕が出来たバリーは将来をも考えるようになったのだ。ウィルキンソンが自殺して一週間が経ち、この街を離れる決心がついた。 咥えていた煙草を灰皿に入れると、バリーは車を発進させた。 ミッダーストリートに入り、静まり返った通りの隅の小さなダイナーの前に車を停めた。電飾の看板には"スーザン"の文字が光っている。この店の女主人、スーザン・ウィルキンソンが営む店だった。 店に入ると、二人の老人がカウンターで座ってコーヒーを飲んでいる。近くに住む、顔馴染の黒人だった。 「そろそろ来る頃だと思っていたよ」 カウンターの中から体格の良い黒人の女性が振り返る。ウィルキンソンの妻であり、この店の主人でもあるスーザン・ウィルキンソンだった。同時にカウンターの二人もバリーに声をかける。 「今日も生きてたな」 いつものジョークだった。 カウンターに腰を下ろすと、今度はグレイのトラ縞の猫がバリーの肩にじゃれながら上がってきた。 「よう、元気かジェロニモ」 バリーがジェロニモを撫でた。彼はのどを鳴らしながら顔に擦り寄って来る。ジェロニモはここで飼っている猫ではなく、この辺りを仕切るボスだった。名前の由来は全身の傷と、右目に大きな傷があり、眼球も失っていることから"勇者"を連想させ、誰かが"ジェロニモ"と呼び始めたのだという。ここから数ブロックしか離れていない自分のアパートにも、彼は時々姿を現していた。 「今日はもう終わりなのかい?」 スーザンが聞いた。バリーはそうだと応える。彼の目の前に好物のホットチョコレートが差し出された。それを一口の飲むと、うまいと呟いた。
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