アレクセイも、当初はベアトリスの流産を悲しんでいた。 だが、それも時が経つにつれ、悲しみは憎しみへと変わっていった。
デボアの男を名乗る者が、再びアレクセイの前に姿を現し、彼にこう囁いたのだ。 「ベアトリスが身ごもっていた腹の子は、お前の父親の子だ」 だから天罰が下り、ベアトリスは流産したのだと。 「お前の父親が、ベアトリスを手篭めにした。あの女は、既に汚れている」
バルカン戦争で功績を挙げ、戦争を「セルビアのため」と賛美するようになったアレクセイは、何故か、その言葉を信じてしまった。
「妄信的になってしまったのだ・・・。彼女の言葉も受け入れず、私は父親と、守るべきはずの、ベアトリスを憎んだ」 ジャン・デボアは、手のひらに視線を落とし、そう悲しげに呟いた。
翌年、二度目の妊娠をベアトリスから告げられたとき、アレクセイの中で何かが途切れた。 彼女の頬を殴り、邸の外へ追い出すと、侮蔑の言葉を投げつける。 「出て行け、この、売女め!」 それでも、アレクセイを愛していたベアトリスは「愛している」と言い残し、彼の下を去った。
「では、ベアトリスが産んだ子は・・・?」 眉間にしわを寄せながら、バリーがジャン・デボアに訊ねた。 「その時の子が、お前の母親だ。そして、私とベアトリスの血を引いた子だ」 そう言うと、ジャン・デボアはバリーの眼を見据えた。 「何故、自分の子だと分かったのだ・・・?」 バリーが、もう一度訊ねた。 「デボアの後継者となった後、吹き込まれた言葉は、全て嘘だったと分かったからだ・・・」
ベアトリスを邸から追い出した後、黒手組の中で不穏な空気が漂い始める。 同じ黒手組のメンバーで、ディミトリエビッチ大佐と親交があったアレクセイの父親は、その空気を感じ取っていた。
彼は息子のアレクセイを呼び出し、大佐を始め、黒手組のメンバーがセルビアを出ようとしたときは、彼らを逮捕するようにと命を下した。 父親のグスタフは、彼らが起こそうとしていた暗殺計画を、察知したのである。 それまで数々の暗殺計画を立てていたディミトリエビッチ大佐が、最終的に狙う人物を読んでいたのだ。
恐らくそれは、オーストリア皇位継承者、フランツ・フェルディナンド大公であろう。 大公がサラエボを訪問することを知り、ディミトリエビッチ大佐は、ついに計画を実行しようとしていた空気を、グスタフは読んだのだ。
父・グスタフは「大セルビア主義」には傾倒していたものの、オーストリアとの戦争には反対であった。 「フェルディナンド大公が殺されれば、必ずオーストリアとの戦争が起きる。バルカン戦争で疲弊したセルビアは、彼らと戦争をする余力が無い。何としてでも、彼らを止めねばならぬ」
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