若きアレクセイ・イバニセビッチは、文学と音楽を愛し、そして何より平和を愛していた。 筋金入りの軍人で、厳格な父親であったグスタフは、そんな息子を”愚息”と罵り、強制的に陸軍幼年学校に入学させる。その甲斐あってか、彼は15歳で士官学校に入り、首席で卒業。 有能な軍人として、将来を嘱望されていたが、彼は、そんな父親やセルビアという国に嫌気がさし、単身フランスへ留学する。 1910年のことであった。
「パリで、色々と学びたかった。政治・経済・芸術・文学・・・。そこで、彼女に出会った」
大学で友人と議論を交わしている時、アレクセイは校庭で佇む一人の女性に眼を奪われた。 金色の髪を靡かせた、碧の瞳の女性。 彼女は大学の掃除婦で、時々講義を盗み見ていると、友人達が言っていた。「ただの、卑しい身分の女だ」と。 しかし友人達の制止も聞かず、アレクセイは彼女に近付いた。 「キミ、名前は?」 顔を見上げた彼女に、彼は、その美しさに息を呑んだ。だが彼女は、何も応えなかった。その理由を知るまでに、少しの時間を要した。
「彼女は、生まれながらに耳が聞こえなかったのだ」 ベアトリスの肖像画を見上げながら、ジャン・デボアが呟いた。 「聞こえなかった・・・?」 バリーは、ベアトリスの瞳を見る。エメラルドのような、美しい瞳だった。
ベアトリスは、大学には入っていなかったが、パリにある聾唖学校の生徒だった。 初めて手話を見たアレクセイは戸惑いを隠せなかったものの、筆談を交えながら、ベアトリスとの会話を愉しんだ。 耳が聞こえないというだけで、差別を受けてきたベアトリスだったが、彼女は全てにおいて前向きだった。それどころか、彼女は予想以上に学識が高かった。大学へ掃除婦として入ったのも、講義を見たかったからだった。 アレクセイは、そんなベアトリスに魅かれていく。一年が経つ頃には、二人は互いを必要とするほど、愛し合い、そして結婚をした。
1911年、セルビアの父親から手紙が届く。アレクセイへの帰国命令だった。
|
|