かなりのスピードを出している自転車を運転するバリーの後ろで、アンがしがみついている。舗装されていない道路を、砂煙を立てながら先を急いだ。 街を抜けて綿花畑を通り過ぎると、何も無い緩やかな丘の上に粗末な木の家が建っていた。マーサの家だった。家の前に自転車を停めると、アンと共にマーサの名前を呼びながら家の扉を叩くが、人の気配は無かった。呆然とする二人。そこへ畑から帰る初老の男が家の前を通り過ぎる。 「お前たち、誰か待ってるのか?」 男が麦わら帽子のつばを上げ、二人を見た。 「おじさん、マーサはどこへ行ったの?」 バリーが言う。 「マーサならさっき、メンフィスへ行く為に駅へ発ったよ」 「メンフィス?」 「ああ、歩いて行ったはずだから、まだ走れば追いつけるんじゃないか?」 バリーはその男に礼を言うと、アンを乗せて走り始めた。
マーサ・ジョンストンは先日仕立て直していたワンピースを着ていた。恐らく袖を通すことは無いであろうと考えていたが、今日この服を着ることになるとは思いもよらなかった。 この日の朝、ミミ・タウバーから封筒に入った札束を渡された。この金は今までの給金と当面の生活費で、この街を出て行って欲しいと。だがそれを受け取らなければ、彼女の叔父や伯母が丹精込めて開墾した綿花畑を、すぐにでも返還してもらうと迫られた。 マーサに考える余地は無かった。50歳を過ぎて独身だった彼女は、メンフィスにいる従妹を頼ることにした。 これでよかったのだと思いながら、それでも、やはり後悔は残る。 静かな夏の午後だった。舗装されていない道路の砂を踏みしめる音が、マーサの耳に入る。道路の砂を踏みしめる一定の足音の中にふと、誰かの声を聞いたような気がした。マーサは振り返るが、緩やかな丘になっている道路には、誰もいない。 気のせいかと前を向くと、子供が自分の名前を呼んでいるのがはっきりと分かった。 「坊ちゃん!」 振り返ると、バリーが自転車に乗って自分の名前を叫んでいる。後ろにはアンジェリアも乗っていた。 自転車を停めると、真っ先にマーサに抱きついたのはアンジェリアだった。 「マーサ、どこに行くの?」 マーサはアンの背丈に合わせ、膝を屈する。 「アン譲様・・・」 「どこにも行かないで」 マーサは何も言えなかった。子供のいない彼女にとって、アンは自分の子供同然だった。 「マーサ・・・」 バリーが目に涙を溜めながら、立ちすくんでいる。 「ごめんなさい、僕のせいだ」
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