バリーは手にしていた野球帽を深く被り、サングラスをかけた。薄暗い部屋で、寝心地の悪いベッドから立ち上がると、ドアのノブに手をかけた。 外の廊下に出ると、どこからかヌエバ・カンシオンの曲が流れている。スペイン語で「新しい歌」という意味の言葉で、1960年ごろから流行り出した、革命とも言うべき音楽だった。 軋む廊下を通り抜け、安ホテルの受付を過ぎ、出口の扉を開け、外へ出た。その瞬間、騒然とした外の雑踏が、耳に飛び込んできた。 人々が、一定の方向へ向かって行進している。 バリーは長く伸びた髭を触りながら、その行進に紛れ込んだ。マサヤ市に隣接する、モニンボ居住区でのことだった。 居住区の広場に出ると、ピックアップの荷台に乗った男が、演説をしている。バリーは、その群集の後ろで、煙草を吸いながら、その演説を聴いていた。
1933年、アメリカは海兵隊を使ってニカラグアを占領下に置き、親米派の政治家を擁立。それに意を唱えた、アウグスト・セサル・サンディーノ将軍がCIAによって暗殺される。 以来、43年間も“親米派”である、ソモサ親子二代三人の悪名高き「ソモサ王朝」が樹立された。独裁的政治権力を掌握したソモサ政権は、賭博、密醸造、売春から重税を課し、自ら蓄牛の密輸などで、マフィア顔まけの荒稼ぎをしていた。 ニカラグアの国民総生産の約半数が、ソモサ王朝のものであり、国民は貧困に喘いでいた。 1972年マナグア大地震で、各国からの「支援」を全てソモサが牛耳ったことをきっかけに、これを打開すべく、サンディーノ将軍の名を冠した反武装政府勢力“サンディニスタ民族解放戦線”FSLN(エフ・エエ・セエレ・エネ)が勢力を拡大。 反政府指導者であり、「ラ・プレンサ」紙の社主、ペドロ・ホアキン・チャモロが、独裁者の手先によって1978年1月10日に暗殺され、一斉に武装蜂起した。
この日、革命の伝統で知られるモニンボ居住区で自然発生的に、住民による暴動が起きつつあった。 演説を聴いていたバリーは、煙草に火を点ける。その隣に、一人の若者が、彼に声をかけた。 「オラ!(こんにちは)」 その若者の腕に、赤いネッカチーフが巻かれてあった。 「ミスター・タウバーですね」 流暢な英語でそう言う。 「ああ。そういう君は、カルロス・ペドロサかい?」 「はい」 バリーは、その若者・カルロス・ペドロサに握手を求めた。彼も、それに応える。 「お待ちしておりました。では、ご案内します」 ホアキンは、その群集を離れた。バリーは、それに続く。
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