4月24日18:35。 サイゴンの街は混乱を極めた。各大使館は脱出する為に、人々が大挙をなして押し寄せていた。 一行は一度ホテル・マジェスティック・サイゴンへ戻り、シャワーと食事を取り、少し仮眠を取った。クルーエルはすぐにでも、飛行場へ向かったほうがいいのではと言ったが、「今休憩しなければ、恐らくこの先、少なくとも24時間はまともに休めないだろう」と返した。
4月24日22:11。 バリーはネクタイを締め、クルーエル、ホア、ディエンとフロントで落ち合うと、飛行場へ向かった。 飛行場では、案の定、脱出を待っているベトナム人を始め、アメリカ人ビジネスマンや大使館員が並んでいた。待合所も何もかも、劣悪な環境となっていた。
4月25日8:00。 ようやく、米軍機のC141に乗り込むこととなったが、機内も“快適な旅”とまでは行かなかった。食料も飲料も何もなく、空調が効かない為、極度に寒く、エンジン音が酷い轟音を立て、トイレまで溢れかえる始末だったが、この環境の中、バリーはシートで熟睡していた。 「よく、こんな状況で眠れるな!」 クルーエルとホアが、その寝顔を見て呆れ返った。
4月25日16:00。 ようやくグアムに到着し、その美しい夕日を見たディエンが、小さく呟いた。 「あの戦争は、一体何だったんだ・・・?」 それを聞いたバリーは、彼の肩を掴んだ。 ベトナム独立戦争として始まったこの戦争は、ソ連、アメリカ、中国の代理戦争ともいえる様相を呈した。“独立”の筈の戦いが、いつの間にか大国の思惑によって戦局が大きく変わり、ベトナムの手を離れていった。 「ベトナム戦争は、大国の“実験場”にされたんだ」 バリーは言った。大国は何かの“利権”が無ければ、動くことはない。ベトナムには、大国を動かすほどの“何か”があった。 それは、“共産主義”と“民主主義”の思想の問題ではなく、確かに“利権”があった。 その“利権”、バリーは“麻薬”と考えていた。 「悪いのは、あんたでも俺でもない。この戦争を、ここまで混沌とさせた“影の力”が悪いのさ・・・」 バリーは呟いた。
4月29日。南ベトナムのラジオ放送で、天気予報の後に、ビングクロスビーの“ホワイト・クリスマス”が流れ始めた。「フリークエント・ウインド作戦」が始まり、混乱の中、翌30日24時間で最終的に米軍のヘリを使ってベトナム人を含む多国籍の人々、1373名、在留アメリカ人5595名が助け出された。 “ホワイト・クリスマス”は、死に行く南ベトナムという国への、鎮魂歌のようだった。
一ヵ月後、バリーはいつもの露店でシカゴ・トリビューンを買った。 ついでに、その隣でいつものコーヒーを注文する。 「ようバリー、ミルクは付けるかい?」 露店の主人が言う。 「ブラックでいい」 コーヒーをすすりながら、バリーは露店で買ったシカゴ・トリビューンを開いた。 その三面記事に、「フェニックス計画の全貌」と題し、その計画に加担したとされる元・北ベトナム軍将校「A少佐」のインタビュー記事が載っていた。 「今日は、何が載ってたんだ?」 コーヒー屋の主人が、シカゴ・トリビューンを覗き込む。 「合衆国政府の、“ゴシップ”だ」 そう言うと、バリーは笑みを浮かべた。
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