書斎のドアが開き、中からマーサに抱えられたバリーが出てきた。 「明日一日、こいつを外に出すな!」 ジョナサンの怒号が響く。ドアが締まった後、マーサは気を失いかけているバリーを抱き上げ、彼の部屋に向かった。 「ぼっちゃん、何故私がアン嬢さまを外に出したと言わなかったんですか?」 マーサの太い腕にしがみ付きながら、バリーは応えた。 「悪いのは、マーサでもジョージでも、アンでもない。みんなあいつが悪いんだ・・・」 やっとの思いで自分の部屋に辿り着くと、バリーはうつ伏せに倒れこんだ。マーサはバリーの背中に負った、鞭の傷跡の具合を見ようとしたが、彼はそれを拒んだ。自分は大丈夫だと応え、マーサを部屋から出した。 少し経ち、熱くなった背中の痛みよりも睡魔が勝とうとした時、ドアに気配を感じた。見ると、アンジェリアが眉間にしわを寄せ、人形を抱えたまま立っていた。 「何だよ?」 何も応えず、アンはバリーのベッドの傍まで来ると、ドアの方を向いて座り込んでしまった。 「あっち行けよ!」 「嫌よ!」 アンはドアを見据えながら応えた。 「そんな所で、何するんだよ」 「見張ってるの」 「見張り?」 「パパがバリーのこといじめない様に、ここで見張ってるの!」 何も言えなくなったが、自分の意に反した態度をとった。 「自分の部屋に帰れよ!」 「嫌よ!」 「じゃあ、勝手にしろ!!」 そう言うと、バリーは座り込むアンを無視してシーツを頭から被りこんだ。
窓の外が白み始めた頃、背中の痛みで目を覚ました。朦朧とした意識の中で、彼はベッドの下を覗いた。そこにはアンが蹲ったまま、眠ってしまっている。アンに呼びかけるが、夢うつつな彼女はそれでもまだ、嫌と応えていた。 背中の痛みに耐えながら、ベッドから降り立つと、眠り込んでいるアンを抱き上げ、自分のベッドに寝かせた。 バリーはその傍らで座ったままベッドにしがみ付き、静かに寝息を立てるアンジェリアの顔を見た。何の不幸も感じさせないその安らかなアンの眠りに、バリーはふと、彼女の"存在"に気付いた五年前を思い起こした。 あの日も、父親の折檻による痛みに耐えながら、ベッドに蹲り、涙を流していた。 背中の痛み、何も出来ない悔しさ、幼いバリーがあらゆる全てのものに絶望しかけていた時だった。 ふと頬に伝わる冷たいものを感じ、後ろを振り返ると、幼いアンジェリアが静かな涙を流しながら、バリーの髪に触れ、寂しそうな表情を浮かべている。 「泣かないで、バリー」 それまで言葉を待たなかった人形のようなアンが、初めて見せる人としての感情だった。 「泣かないで」 その瞬間、バリーはアンの存在に気付く。彼は妹が産まれた事も、彼女が"学習障害"という重い病を背負っていたことにも、気付いていなかった。幼い頃からの父親の折檻が、彼を這い上がることの出来ない狭く、暗い空間に孤立させていたが、産まれて初めて感情を持ったアンに、一筋の光明を見たのだった。 「あのとき、本物の天使が来たって思ったんだ」 静かに寝入るアンを見ながら、自分に語り掛けるように呟いた。
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