20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:サイレンス 作者:ぴきにん

第131回   1970年10月 ベトナム・ニャチャン”プライド”
10月9日、カンボジアは「クメール共和国」を樹立。ロン・ノルが暫定政府の首相から、初代大統領に就任した。そして、首相にはノロドム・シアヌークの従兄弟であるシソワット・シリク・マタクが就任する。
だがその反面、基地地域(聖域)への空爆のみならず、カンボジア国内に在留していたベトナム人居留区への爆撃も始めていたため、同じカンボジア人を含めた農民数十万人が犠牲となった。その為、カンボジアは食料輸出国から食料輸入国へ転落する。

その日、異動となったウィリアム・ウィルキンソンは、私物の整理をしていた。彼はダナンへ行き、翌年に予定されていたラオス侵攻作戦で、海兵隊と共に最前線へ赴くこととなっていた。整理をしていたデスクの中から、手紙の束が出る。ウィルキンソンは縛っていた紐を解き、一通一通差出人を見た。
差出人の名は“デレック・ウィルキンソン”。大尉の一人息子だった。その封筒の一通を空け、中の手紙を読むと、彼は目に涙を溜めた。海兵隊を志願し、最前線であるケサン基地に配属になっていたが、デレックは68年のケサンの戦いで戦死。
第二のディエンビエンフーの戦いに例えられるほど、ケサンの戦いは激戦であった。その77日間の戦いを生き抜いたものの、北ベトナム軍撤退の直前、敵が放ったRPGの爆発に巻き込まれ戦死したとの事だった。
ウィルキンソンは、手で涙を拭い取る。息子・デレックの写真を手にした。彼はまだ大学生だったが、父親がベトナムで戦うことを知り、ウィルキンソンは反対したが、自ら海兵隊に志願。
そして、戦死した。何故、あの時、息子の志願を止められなかったのか、ウィルキンソンは自責の念にかられていた。
写真をダンボール箱に入れていたとき、また一枚の写真を手にした。フランク・クライトマン、ホア、バリー・タウバーが写っている。ホアは基地を離れ、フランクは戦死。
バリーと組んでいたダレン・ヘイズが、1ヶ月前に帰還した。
ホーチ・ミン・ルート偵察行動中、北ベトナム軍に見つかってしまい、ジョン・マッキンタイアは頭部を狙撃され、戦死。
バリー・タウバーはMIA(行方不明者)とされた。彼の生死は分かっていない。
ウィルキンソンは、このヘイズの報告に、疑念を抱いていた。確証は持てなかったものの、これは“フラギング”と疑っていたのだ。
以前からダレン・ヘイズとMACVのエドナー・ガーツは、バリーに対して敵意をむき出しにしていた節があった。彼らとの間に、何らかの確執があったのは、恐らく間違いないだろう。
ウィルキンソンは写真を箱の中に入れると、それを手にして部屋を出た。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1114