通常、ベトナム服務期間(ツアー・オブ・デューティー)は1年だったが、バリーの所属していた第4師団LRPは3年だった。軍に復帰後も、バリーのSOGには必ずダレン・ヘイズがメンバーに入っていた。ガーツからの監視役としてである。気を抜けば、この男に殺されると分かっていながらも、バリーはこの緊張感を愉しんでいた。
2月23日に、解放戦線が大規模な攻勢をかけた。アメリカ軍・南ベトナム軍の拠点、都市、空港115ヶ所が襲われたのである。アメリカ軍は、この攻勢を予測していたものの、50日以上続いたこの交戦で、アメリカ兵1千名以上の戦死者を出した。 この攻勢の間、バリーはラオス潜入任務の後に寄ったDMZ(非武装地帯)近くの海兵隊駐屯地(マリーンズ・ファイアベース)で、北ベトナム正規軍の攻撃を受ける。50日以上、攻勢が続き、極度の疲労に襲われながらも、その戦闘を戦い抜いた。そこでアメリカ兵36名が戦死。 バリーはこのファイアベースで、兵士の間に徐々に蔓延し始めたアヘン、ヘロインの実態を知る。 彼らは痛み止めと称し、現実世界から逃れる為に常用していた。 バリーは麻薬には手を出さなかった。彼は“供給側”であり、“需要側”ではないのだ。 「麻薬に手を出すのは、弱い者の証拠だ」 バリーは、そんな“顧客”である彼らを蔑んでいた。
彼が抱いていた“正義”は、この戦争で狂い始めていた。
3月18日早朝、グアム島のアンダーソン基地から、B52ガンシップが次々と出撃の為、インドシナ半島を目指して飛び立っていった。前日、B52のクルーたちは攻撃の為のブリーフィングを行っていた。作戦名は「朝食作戦」。彼らは攻撃目標を確認し、この作戦に備えた。 機密扱いではなかった、この作戦のファイルには「極秘」「取り扱い注意」「見るだけに留めよ」「目覚めている時間帯に配達せよ」などの条件が記され、特定の人物以外は閲覧できないようになっていた。 その作戦内容とは、基地地域353・サイゴンの北西、カンボジア領の一角が南ベトナムに食い込んだ地域「サカナの釣り針地区」にある、COSVN(南ベトナム中央局)を爆撃、破壊するというものだった。 一機のB52から、30tもの爆弾が国境を越え、カンボジア領内を空爆していく。それまでに無い、大規模な空爆となった。
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