お爺ちゃんが上の層から降りてきてくれた。わたしが最後に見たお爺ちゃんは、癌で腕時計が重くて出来ないくらい痩せ細っていたから、若々しく元気な姿にイメチェンしていて驚いた。「調子はどうだ?」朗らかに尋ねられ、「ぼちぼちだよ。」わたしは笑って、「おじいちゃんは?」尋ねた。「ぼちぼちだよ。」お爺ちゃんも、感情をオープンにして浄化する修行をしていた。四方山話の後、「お婆ちゃんはもう来たか?」と尋ねられた。「うぅん。」本当はわたしが会いに行きたいところだけど、上の層から下に遊びに来る事は出来ても反対は出来なかった。「そうか。そのうちきっと会えるさ。修行、頑張れよ。」「うん。また遊びに来てね。」「あぁ、また遊びに来るからな。」お爺ちゃんは、上の層に、戻っていった。
メンタルの修行は順調だった。10代半ばの多感な頃の回想で、記憶のどこかに置き去りにされていた感情も洗い浚い想い出して、その度光の波に包まれて癒された。ある日、閉じていた心の目が3ミリ開いて、天国が輝き出した。今まで持っていた天国のカラーが初めて変わった瞬間だった。
天国には有名人が沢山いた。マリリンモンローは、修行にあまり身を入れていなくて、20代に戻ってセクシー衣装でモンローウォークしていた。ジェームスディーンは映画セットによくいた。本田美奈子は泣き虫だったけど、この頃は脚本を持って真面目に稽古していた。夏目雅子。美空ひばり。石原裕次郎も いた。 愛と調和がとれている天国では、有名人も一般人と変わらなかった。一般人の捉え方が同じ修行をしている運命共同体と感じているから。 それでも、モンローのようにいつまでもセックスアピールしているのは、人に見せようとしているわけではなく、モンロー自身がその時期を気に入っていて何度でも繰り返したいから。生前のスーパースターでも、ここには熱狂的なファンがいないのだ。 ちなみに、修行の進み方は人それぞれなので、タイムリミットはなかった。 一度、お茶の時間帯に、石原裕次郎が近くで東洋人の男性と話していたから、母が大ファンなこともあって、興味が湧いて目と鼻の先の距離まで接近した。でも、名前を誰かに呼ばれてわたしはキョロキョロした。「こっちこっち。」声に導かれて席に戻ったら、ティーカップの淵に腰掛けている小人を見つけた。親指程の大きさしかないのに、足を組んでいるのがミスマッチでユーモラスだった。初めて見る小人にわたしの胸は高鳴った。「初めて会うんじゃないんだけどな。」小人はぼそり呟いた。「前にも会ってるんだ?覚えてなくてゴメンネ。」それから、わたしは小人を質問攻めにした。「わたしはアンタの姉よ。体は途方もなく小さいけどね。」小人は笑った。「わたし、人間ですけど。」からかわれていると思ってすかさず言ったら、「リマは生きる為の命を与えられたけど、わたしは駄目だったのよ。」小人は答えた。「どうして?」「運命としか言いようがないね。」悲しそうな声で小人が答えた。自分の姉が、地球デビューを果せずに天国で小人になっていたのは寝耳に水だったけど、よく見てみればわたしと顔がよく似ていた。「じゃ、またね。」「うん。待って。お姉ちゃん名前は?」「そのお姉ちゃんって響きいいなー。名前はエマ。わたしが生まれたらこの名前にしようってママが決めてた名前よ。」「そうなんだ。」エマが、わたしが記憶のあるうちに現れなかったのは、わたしが、心を乱して修行の邪魔をしないようにとの配慮だった。それにしても、わたしに姉がいたなんて知らなかった。お母さんは一度も言ってくれなかったから。流れた命が、本当は天国で小人の姿で元気に暮らしている事をどれくらいのお母さんが知っている?多分、ほとんどの人が知らないんだよね。教えてあげたいな、わたしは思った。そして、地球で架空と思われている者達は小人以外にもいるんだろうか?
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