黒い雲が垂れ込めて雷がゴロゴロ鳴っていた。大粒の雨が降ってきて猛烈な強風を遮ろうと傘を楯にしたら壊れてたちまちびしょ濡れ。水も滴るいい女状態を越えていた。歯医者に行くために時間をかけてセットしたヘアスタイルが顔に張り付いてペチャンコ。お気に入りだったヘアスタイルをイケメンな受付係に見せられた後で良かった。それに、雨が降ったら温度が下がって涼しくなって爽快だった。壊れた傘を右手に持ち、左手で頭を隠してスカートにはねが上がらないように小走りした。自動扉が開いて中に入り、エレベーターに乗って7階のボタンを押した。エレベーターは上昇して7階に着いたのに扉が開かなかった。突然電気が消えて真っ暗なエレベーターに閉じ込められてしまった。ポケットから携帯電話を取り出して灯りを確保して、緊急用のボタンを押して応答を待った。毎日使っていてこんなアクシデントは初めて。よどんでムッとした空気中に漂う煙草などが混ざった嫌な匂いが鼻をついた。早く此処から出たかった。エレベーターの中に一人ぼっちで閉じ込められた恐怖と体が濡れていたこともあってわたしは震えていた。突如、絶叫マシンのようにエレベーターが落下した。ノンストップで下まで落ちた。わたしは体をしたたか打ち付けて息絶えた。 僕のお母さんはエレベーターの不具合による事故死だった。お父さんは、道ですれ違った人に落ちた雷の側杖で大火傷をおって救急車で病院に搬送中に死んだ。一人っ子の僕は、かけがえのない両親を失って、3歳の時に婆ちゃんの子供になった。婆ちゃん家は、開け放たれた窓から波が打ち寄せる音がよく聞こえる目と鼻の先に海があった。 ここに来た日の晩ごはんにどっさり、魚料理が出た。僕は魚料理全般が苦手だった。おかずに手をつけないでご飯ばかりかきこんでいた僕を見て、婆ちゃんは笑った。「そうかそうか。お前は魚料理が嫌いなんだね。」ばつが悪くて、あじの刺身に手をつけた。噛まないで飲み込んだ。「うへぇ。魚くせぇ。」僕は、体も年齢だって小さかったけど、時々一チョ前の男子の口をきいた。婆ちゃんは、超がつくくらい笑った。僕もつられて笑った。この日から、僕は徐々に婆ちゃんに慣れていった気がした。 婆ちゃんが洗濯や買い物やご飯の支度でちゃぶ台を離れると寂しくなった。婆ちゃん家のテレビは、NHKと民放しかつかなくて、僕の好きだったアニメチャネルは見られなかった。幼かった僕が、新しい環境に慣れるまで泣き言を言わないで耐えていたのは、良い子でいたら、お父さんとお母さんが生き返ると心のどこかで信じていたからだろう。そして、両親が戻ってくるまでは、婆ちゃんの世話になるのだから、我侭な僕を婆ちゃんに見せてもしも婆ちゃんが僕を嫌いになったら他にいく処がないから良い子になろうと努力している部分もあった。僕は一人で、持ってきた車で遊んだ。4歳の誕生日は、婆ちゃんがフルーツポンチでお祝いしてくれた。ポテトチップスも初めて買ってきてくれた。「婆ちゃん、ママは誕生日じゃない日でもポテトチップスを買ってくれたよ。」僕が言うと、次の日から、おやつはずっとポテトチップスとジュースだった。でも、それでも良かった。婆ちゃんの優しさが僕にはとても嬉しかったんだ。 4歳になった僕は、保育園に通い始めた。友達はお母さんが迎えに来た。お父さんが迎えに来る子もたまに見かけた。僕には婆ちゃんが迎えに来た。僕は、みんながするように婆ちゃんに飛びついた。帰り道に僕は、保育園で描いた婆ちゃんの絵を得意げに見せた。「婆ちゃんはべっぴんなのに上手く描けてるなぁ。」婆ちゃんは感心して箪笥の上に絵を飾った。最初、僕は思い出のお父さんやお母さんを描いていた。だけど、今を生きている子供の僕は婆ちゃんを描くようになっていた。僕の記憶力は曖昧で、両親の写真も何枚か持ってきていて仏壇にも飾って、毎朝、毎晩手を合わせてたけど、昔の記憶はスローモーションにセピア色に染まっていった。今は、優しくて、僕の面倒を一生懸命みてくれて明るくユーモアのある婆ちゃんが僕は一番大好きだった。 海に連れて行ってくれ、波打ち際にいたはずの僕がいなくなると婆ちゃんは心配してよっこらしょと立っていた。僕は、潜って泳いでいって波間から顔を出して手を振った。7歳に近い6歳で、完全な田舎の子供に変身して僕は夏を楽しんでいた。婆ちゃんは泳げたけど、最近は足がつることもあるからと水に入らなかった。友達とも泳ぎに行ったけど、僕は婆ちゃんとの思い出を沢山作りたかったんだ。 僕には、保育園の友達が出来て毎日充実した日々を送った。 あの日、いつものように海は穏やかで、僕は保育園の前で婆ちゃんと別れた。婆ちゃんが作ってくれたお弁当は、みんなの前であけても恥ずかしくなかった。ミニハンバーグ、甘い卵焼き、ソーセージが入っていて普通に子供が食べるお弁当だった。僕が喜ぶおかずや、お弁当を作るために婆ちゃんは街まで出かけていって料理の本を買ってきた。スーパーマーケットで買ってくる食材も増えた。だから、僕は時々スーパーマーケットについて行って買い物袋を持ってお手伝いした。 僕は保育園で昼寝をしていたところを、先生方に起こされ、みんなで校庭に出されて高台に避難した。高台から観た海の怖さを僕は一生忘れる事がないだろう。僕は、婆ちゃんが逃げられたものと信じて疑っていなかった。だけど、生きている婆ちゃんに2度と会う事はなくなってしまった。婆ちゃん、何ですぐに逃げてくれなかったんだよ?僕を残して死んじゃうなんて嫌だよ。戻ってきてよ、婆ちゃん!!僕は、悲しくて一杯泣いた。 津波が来て4ヶ月立った頃の晩、僕は夢を見た。婆ちゃんが誰かと話した後に、僕に短いメッセージをくれた。内容はこんな感じ。 「肉体から魂が出てしまったとき、苦しみはヒリヒリする心の痛みに変わりました。目を見張るほどの大人数が津波の被害者と分かり、わたしは必死であの子の姿を捜しましたがいませんでした。ほっとするのと同時にあの子が一人ぼっちになったことへの胸の痛みに押しつぶされそうになりました。肉体を失っても、あの子の側にいてやりたくて天国行きの電車に乗ることをわたしは拒みました。だけど、天国に上ってお孫さんを安心させてやりなさいとの天使の説得にわたしは此処に着きました。来て直ぐに、わたしはあの子の寂しげな背中ととめどなく溢れている涙を拭ってやりたくて仕方ありませんでした。勿論そんな事は出来るはずもなく、あの子の成長を、娘の変わりに見ていてやれなかった事が悔やまれて仕方ありませんでした。そんな時、娘が現れました。キラキラした黒い瞳で一段と美しくなった娘が、わたしにお礼を言いました。「お母さん、あの子は大丈夫よ。お母さんが強くてよい子に育ててくれて、わたし達の血統書つきの明るい血が流れてるんですもの。」娘の言葉にわたしは涙を拭いました。7歳前に置き去りにされた真矢樹の命には、明るい未来と希望があるのです。 真矢樹へ。 真矢樹が寮のみんなと仲良くしている姿に、天国でお婆ちゃんは喜んでるよ。 この間、お爺ちゃん(旦那さん)が、遊びに来たんだよ。精悍な顔立ちで、あらこの人こんなにハンサムだったかね?なんて思っていたら、「お前こそ10代に戻って俺より若いじゃないか。」って。二人で笑い転げた。天国で、お婆ちゃんはうんと昔に時間を巻き返して、学校の帰り道の山道を自転車で 一生懸命漕いだり、お習字をしたりして過ごしたりしながら真矢樹を見て笑ってる。お父さんもお母さんもお婆ちゃんも元気でやっているから病気しないように気をつけて頑張るんだよ。 いつまでも、真矢樹のお婆ちゃんより。」
リアルな夢で超無限大の喜びだった。すんげー、嬉しい。婆ちゃん、ありがとう。僕、この世界で仲間を沢山作って頑張るよ。
|
|