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作品名:死んだらどうなるの? 作者:mikari

第24回   Part24
逆立ちのポーズで胡坐をかいて、わたしは振り子のように揺れて漂いながら、柿色の魂の話の内容に耳を傾けていた。魅力的な語り口だった。

「自分の足で歩けた頃、姉がインターネットで調べて、どんな願い事でも叶えてくれる神社に連れて行ってくれた。ひんやりした空気の中で杖にすがって立ち、数秒間杖から手を離して手を合わせた。わたしの横には姉がいて、わたしがよろけそうになったらすぐに助けられるようにしてくれていた。わたしの願いは、闘病生活に終止符がうてますように。願いが叶うなら他には何にもいらなかった。冷たい風が、姉がいる反対側から吹いてわたしの体を抜けていった。神秘的な風のように思えた。神様に、わたしの希望が届いたという風。わたしは勝手にそう思う事にして、治る希望は絶対に捨てなかった。
1年後、病気は治っておらず、薬の量が増えて痛みが増していた。毎日痛みに苦しめられて体の芯から疲れていた。闘病生活4年目には、なんでもいいから痛みをシュワッと渇かしてわたしの生活を元気で潤してよとストレスがたまってイライラする日々が続いた。わたしの病名は、繊維筋痛症。全国に推定200万人の苦しんでいる人がいて、わたしはその中の1人だ。痛みにじかに効く薬がまだなく、痙攣をおさえる薬、胃腸障害の薬、精神安定剤、目や口の乾きを潤す薬、睡眠薬等複数の薬を飲んでいた。死に至る病気ではなかった。
わたしは外出の時は車椅子を使うようになっていて、痛みのない時の感覚を忘れかけていた。どうして、体中が痛い病気にかかったのか原因ははっきりしていなかった。でも病気にかかってしまったのだから治るしかなかった。わたしが発作のような痛みに打ち勝つ為には、気を強く持ち、心のよりどころになるものを見つけて、屈託のない明るい考え方をして前向きに生き続けることだった。けれども、継続的な痛みに加え、発作的な痛みがおきる病気に耐え忍ぶ精神力がわたしには足りなかった。家と病院を往復して過ぎていく年月が惨めで、好きな旅行にもいかれない家族を巻き添えにして、愛する者と苦しみを分かち合うのは、きれいごとでしかないように思えていた。毎日の痛みからくる恐怖にうんざりして、死ぬことはどうってことないように感じてもいた。自分自身に負けちゃったんだ。
ある日、わたしの好物のお刺身を買いにスーパーマーケットに母が行っている間に、暫く前から考えていた事をわたしは実行に移す事にした。携帯のメールに、遺書を書き残して7階のマンションの窓から飛び降りた。わたしの世話をしてくれた家族、特に母には言葉では言い表せないくらい感謝していた。しんどい心に優しく染み込む愛情をありがとう。電車を乗り継がなきゃ来られない所に住んでいるのに、ケーキ等の手土産を持って来て楽しい話しを聞かせてくれたお姉ちゃんサンキュー。そして、心配そうな顔で見守ってくれたお父さんお世話になりました。ありがとう。線維筋痛症の痛みは、外には現れないけど、一生懸命支えてくれて嬉しかったです。
まともに風を受けて、わたしは意識を失ったまま地面に叩きつけられた。
こうイメージした。そうしたら、気が晴れた。それからは自殺の事は考えなかった。天寿を全うするまでには、未だ時間が残されていたのね。老婆は、ふっと息を吐いた。そして、目を瞑って話しを続けた。結局、わたしは一生を通して薬を飲み続けた。病気は治らなかったの。でも、けっして神様を冒涜はしなかった。周りに支えられ、ありがたいと感謝し続けて支えになる物にすがって生き抜いた。支えになったものは、「忍」の文字と楽しかった思い出。自殺した自分をイメージするまでのわたしは、悲しかったり、楽しくなかった思い出のほうへ意識が向いていた。今、わたしが伝えたいのは、様々な病気が増えていて、死にいたる大変な病気もある。でも、地上での苦しみは、一生ではあるけれど永遠ではないの。だから、どんな病気になっても希望はなくしてはいけない。いつか、天寿を全うできたら神様のおられる天国で安らかな日々が送れるのだから。」心に染みる話だった。

確かに、今、地上では色々な病が出現して人々を苦しめているのだった。これ以上、病原菌が増えませんように。核の脅威が増えませんように。苦しむ人の心が癒されますように。わたしは、祈祷した。


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