4層に連れてこられた若い母親の魂が、天使に優しい声で語っていたのを わたしは仰向けで気持ちよく漂いながら聞いていた。
「夏の朝、ラジオ体操のスタンプカードを首からさげてわたしは家を飛び出した。ミンミンゼミやあぶらゼミが短い命の歌をコーラスしていた。子供達が空き地に集まってきてラジオ体操が始まった。体を動かすのは気持ちいい。指先まで神経を行き渡らせてしっかり体操した。朝顔の観察後、宿題を終わらせて、お昼まで時間があまった日はお絵かきした。おじいちゃんが、「陰影をつけると絵が生きてくるんだよ。」教えてくれて絵が上達して描く事にはまっていた。ご飯を食べたらエネルギッシュになって、家にいてもつまらないから太陽が真上にある午後、お小遣いを持って駄菓子屋さんに行った。公園のベンチに座って棒アイスを舐めていたら、隣のクラスの子もわたしみたいに向かい側のベンチに座ってアイスを食べていた。わたしは、ハズレのアイス棒を捨てた。木陰のない遊具は焼けつくように暑くて遊べなかったから図書館で本を借りて家に帰って、氷をカリカリ噛んで読書した。夕方庭で縄跳びをして遊んだ。 太陽を浴びて元気だった向日葵がお辞儀をした。一雨ごとに夏の名残は遠ざかっていき、雨が降らない貴重な秋の日には、公園で焼き芋を食べて、逆上がりがマイブームで連続して何回出来るか数えた。目標の50まで11足りなかった。その日、知らない子にドッチボールの特訓を頼まれた。その子は霧菜(きりな)ちゃんと言う名前で隣街の小学校に通っていた。隣街から電車で1駅の公園にわざわざ遊びに来るわけは、親が共働きで、おやつと夕食代をいつも持ち歩いているからクラスメートにお金を巻き上げられない為の作戦なんだって。わたしが何も質問してないのに、彼女は機関銃みたいに喋りまくった。ドッチボール大会が迫っていて、球技が苦手だから特訓の手助けをして欲しいと言う事だった。「別にいいよ。」わたしは困っているならとポテトチップス一袋の謝礼で引き受けた。「あのね、わたしが球技を嫌いなわけは、ボールが当たると痛いからなんだ。」霧菜ちゃんは言った。「なら受け止めたらいいじゃん。」と答えたら、「ボールが体のどこにぶつかっても痛いし。・・つまり、100%ボールに触れたくないけど、段々人数が減ってきたら狙われてぶつけられるから。運動神経ないからよけるのは不可能だし。運動神経がよくなるおまじないと実戦の両方が知りたいんだ。」低い声で話した。「ぶつけられるより、受け止めた方が痛くないと思うよ。」わたしは教えた。「やだ、そんなの。受け止める腕の内側が痛いじゃない。って言うか、絶対ボールに当たらないおまじないを知らない?」わたしは首をふって「なんだかわたしの出る幕ないね。」わたしはスパッと言って、こんなエネルギーの欠片もない子もいるんだ。本当は、子供の皮を被ったお婆さんじゃないの?とびっくりして彼女を見た。「そんな目で見ないでよ。」彼女は悲しい目をしてわたしをすがるように見た。でももうわたしの気持ちは決まっていて、霧菜ちゃんの理解不能な後ろ向きの言葉使いとか、ボールが当たると痛いから嫌だなんて真顔で言われたら付き合いきれない。別に面倒みなきゃいけない義理もないし。面倒臭いからこの子と関わるのはやめよう。それで、「用があるの忘れてた。もう帰らなきゃ。バイバイ。」ポテトチップスをつき返して、嘘をついて帰ってきた。霧菜ちゃんとはもうかかわりたくなくて次の日から校庭で遊んだ。・・遠い昔の出来事で頭から抜けていたけど、自分の子供がわたしにも旦那にも似ないで、体育祭で、短距離走でも障害物競走でも転んで、跳び箱が飛べない姿を見ていたら、ふとあのやる気と覇気の両方欠けたおさげの霧菜ちゃんを思い出した。我が子も、スポーツ全体が嫌いで、体育祭の朝はストレスでお腹を痛がっていた。だけど、ズル休みをしない根性は持っていた。あの日、バレバレの嘘をついて帰って来た事にやましさはない。ただ、霧菜ちゃんが未来から来た我が子のような気がして、我が子と霧菜ちゃんが何か繋がりと言うか、因果関係があるような気がしてならなかった。 修行を通して、我が子が霧菜ちゃんと重なるのは、生前、2人の関係が家族や親戚だったからと知った。 考え方が似ていたり、別の場所で全く同じ事を言う人がいるケースも同じ理由だ。人生は、親密な関係に発展して家族となる人がいて、道ですれ違うだけの人がいるのは、生前の血の繋がりがあったかないかで決まる。」
その話しを聞きながら、わたしは思った。人と人が出会う意味は、尖っていたりいきがっている自我を消して、心を丸くする訓練をする為。人は、国境を越えて大きな1つの輪になって愛し合い、地球を美しく保ち、次の世代へと繋げていく義務があるから。わたしの母は、「空から見ている誰かに恥じない行いをしている。」信念を持って実行して、自分に厳しく人に優しいタイプの無心論者だ。わたしは、天国で浄化の修行をしているけど、素晴らしい心をした母を乗り越えられただろうか?わたしの心は張り切っていた。
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