天国には、鎮魂歌が流れていた。魂の琴線にふれて優しく滲み込んでいく静かで単調な音色。鎮魂歌は空気のような存在だから、他の音色がかぶっても少しも耳障りにはならなかった。
2層では、修行してばかりではなかった。さやえんどう形の方舟に6人の魂が乗って急流を進んでいき、ゴーゴーと勇ましい音が近づいてきた時には、体は斜めになっていて真っ逆さまに物凄い速さで滝を下っていった。滝つぼに着地した時には水しぶきを全身で受け止めてびしょ濡れだった。絶叫マシンを好む魂は、わざと後ろ向きに座って滝を下った。下りた後は、両腕をがむしゃらに動かして滝登りした。みんな、本気で絶叫して声を上げて笑っていた。夕方まで、わたし達魂は方舟に乗ったり 泳いだりして遊んだ。週に1度の楽しい時間だった。
大広間でZARDの坂井泉水が天国で製作した最新アルバムからピックアップした曲を誰に聞かすともなく歌っていた。爽やかな夏曲に情熱がこもった歌詞で、音楽に愛を感じた。
無名の画家がいて、時々前を見つめては鉛筆を動かしていた。彼がデッサンしているのは、生前観ていた景色で天国の景色ではない。心の中の情景がくっきり浮かび上がってきて幻が見えるのは、浄化が起こる前現象の一つだった。天国では、そういう事がしばしば起きたし、生前の趣味は、オーソドックスな修行方法の一環で浄化作用に一役買っているのだった。 光の波に包まれるたび、わたしは、浄化され、フレッシュな気持ちになって無上の喜びを感じた。地上での出来事が消された。全ての記憶を失ってしまう前に、わたしは地上でちゃんと「ありがとう」が言えてた?そして、いつも感謝の気持ちを忘れなかった?そんなことはなかった。感謝の気持ちを忘れる事はたまにあったし、やって貰ったことよりも、やってあげたことの方にどちらかと言えば重きを置いていたと言える。だけど、生前、人との交流を高める為に、前向きで誠実に取り組んだ気持ちは、天国に上がった時に多いに役に立つ。気高い魂には、多くの神秘的な風が吹き込まれ堂々として明るいけど、品性下劣な魂には、風がほとんど吹き込まれないで浅ましさが滲み出てくすんだ明るさだった。天国でシェア出来る楽器等を、自分も物のようにずっと使っていても平気なのは、物への執着やわがままからではなく気が利かないのだ。生前しなかった事が、天国に来て突然出来るなんて事はありえなかった。
2層にいるわたし達魂の世話係は、キラキラ輝く光の帯を締めている天使が数人と、紫色の帯を締めているリーダーの天使一人だった。天使達は端整な顔立ちの大人の男性と女性で、顔や手などの皮膚は光沢があった。黒い瞳も、茶色の瞳も、青色の瞳も緑色の瞳も澄んだまなざしをして、人種は様々だった。天使が歩いた後には光の帯が伸びた。綺麗で触ってみたら、パウダー状のさらさらした粉で指先で直ぐに溶けてしまった。
山登りの修行の時に、出会ったきゅーこ。けれども、わたし達はお互いに生前の記憶を失くしていて、初めて会った魂のように笑顔で挨拶を交わした。わたしの修行は着実に進んでいる。
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