太い樹々、長く伸びた草――それらは、青緑色をしている。
ときおり、ちらちらと、ぼうっとした光が見えては消え、見えては消えを、方々で繰り返す。
(ここは、どこだろう……? )
カイルと酒場で語り合い、その後、ケインは、ヴァルドリューズとミュミュ、クレアの野宿する場所に戻ろうとしていたはずだった。
それが、なぜ、このような見知らぬところを、彷徨っているのか?
そう、彼は、彷徨っていた。
ちらちら飛んでいる小さな光は、草を踏みしめる度に舞い上がる。 その他には、動いているものなどは、存在していないかのようだ。
青い草木は、どこまでも続く。
いつもの場所へ辿り着けるはずが、定かではないような気が、ケインにはしていた。
現実の世界であるのかとさえ、疑心暗鬼になる。
ふと、腰の剣をまさぐる。背中の剣も。
二つの剣は、いつものところにある。 それを確認出来た彼は、いくらか気持ちの高ぶりを抑えることが出来た。
そのまま、ただひたすら突き進む。どこへ向かっているのか、出口は、この先に必ず見つかるのか、確信が持てないままに――。
突然、目の前の視界が開けた。
そこには、青緑色の宝石のように輝く、小さな泉があった。
泉の周りにも、同様の見慣れない草が生え、前方には、大きな円を描くように、同じ樹々が、泉の周りを囲んだ形で、立ち並ぶ。
そして、泉の水面を、小さな光が、ちらちらと、まるで、意志を持っているように飛んでいた。
「ここは、一体……」
呟いた彼の声は、ぼわ〜んとした響きを残した。
(ここは、現実の世界じゃない……! )
彼には、今、はっきりと、そう感じられた。
微かに、誰かの笑うような声がする。
ぐるっと周りを見渡してみるが、ヒトはおろか、その他の生物でさえ見つけられない。
『うふふふ……』
次は、かなり、はっきりと、その声は聞こえた。
「誰だ? 誰かいるのか? 」
ケインがもう一度辺りを見渡すと、その先に、ぼわっと、白く鈍い光が浮かび上がる。
『あたしよ。ケイン・ランドール』
白い光は、だんだんとヒトの形を帯びていき、人間の女の姿へと変貌していった。
女は、白い顔を、ゆっくり上げる。
はっと息を飲むような、小さく整った顔であった。
睫毛の長い、緑色の切れ長の瞳に、真っ赤な唇。黄金色に輝く長い髪を、風の力を借りずともなびかせ、細身にしてはふくよかなバストと、引き締まったウエストの身体には、薄く透き通る衣が巻かれている。
中性的ではあるが整った美しい顔立ちと、しなやかな肢体は、この世のものとは思えない神秘的な、神がかった印象を与える。
ケインは、全然似ていないとは思いながらも、どことなくマリスを思わせるような気がするのが、自分でも不思議であった。
『久しぶりね』
女の真っ赤なルージュの引かれた唇が、そう言った。
見た目は相当美しく、艶かしくもあるというのに、声には、まだ幼さを感じさせられた。
「久しぶりって言われても……きみは、誰? 」
つい、透けている衣を通して見えている、均整のとれた美しい肢体に見とれてしまい、慌てて彼女の顔に視線を戻したケインの口からは、掠れた声が出ていた。
『あら、忘れちゃったの? あたしよ』
「だから、誰? 俺、きみに遇ったこと、あったっけ? 」
ケインにとっては年齢不詳であったが、かろうじて二〇歳ほどに見える彼女は、くすくすと笑いながら彼に近付き、すぐ手の届きそうなところにまでやってきた。
小柄な彼女の顔は、彼の胸の下あたりにある。
『本当に、覚えてないの? 』
透き通る緑色の瞳は、からかうような、または媚びるようにも取れる。
「覚えてるもなにも、知らないけど」
『そう。冷たいのね……』
少しだけ、声のトーンが下がったと思うと、彼女は、いきなり、彼の胸に、しなだれかかった。
「あの……? 」
とうに、心臓はどきどきと高鳴っていたが、彼はそれを抑え、何気ない振りを装った。
『あなたには、こういう女が似合う。もちろん、今はまだまだでしょうけど、いずれはね。……ねえ、本当に覚えてないの? なんでもいいから、思い付く名前を言ってみてよ』
女は、甘えた声を出す。
「そんなこと言われても……」
『だったら、あたしのこと、誰に似てると思った? 言ってみて』
そのようなことを、なぜ答えさせようとするのか、皆目見当も付かない彼であったが、彼女を引き剥がす気も起きない。
彼女に一目惚れしたわけでもない。
ただ、彼女のしたいように、くっつかせたままにしていた。どういうわけか、そうするのが、『ここでは自然なこと』のように思えて仕方がなかったのだ。
『ふふ、お利口ね。そうよ。ここでは、あたしに従った方がいいのよ。でないと、このデリケートな空間は壊れてしまう。わかった? ね? あたしの質問に答えて』
女は、切れ長の睫毛の濃い瞳を、妖し気に瞬かせた。
「期待に応えられるかどうかはわからないけど、……きみを見た瞬間、似てると思った女はいた」
『そう、それよ! それは、だあれ? 』
緑石のような透明の瞳は、期待に強く光った。
その時――
『おっと、そこまでだよ』
どこからともなく、少年のような声が聞こえて来ると、正面に、すーっと、人の姿が現れた。
肩まで伸びた薄茶色ーーライト・ブラウンーーの髪をした、男というよりは、女に近い、同じく中性的な顔立ちと、細く華奢な身体付きの少年だった。
「……! 」
ケインには、その少年は、見覚えがあった。
『その女の名前は、ムーリー。夢魔だよ。きみが言おうとした名前が、彼女と違う名前だった場合、それに嫉妬して、きみの思い浮かべていた女性の夢が食われてしまうよ』
美少年は、にっこり彼に微笑んで、言った。
『久しぶりだね、ケイン・ランドール。僕のことは、覚えているだろう? 』
ケインは少年を見据えたまま、腰に差した剣の柄に、そっと手をかけた。
「忘れるものか。あなたは、俺に、ドラゴン・マスター・ソードを与えてくれたマスター本人――そうだろ、ジャスティニアス! 」
ジャスティニアスは、満足そうな笑みを浮かべていた。
三年前、ケインがマスター・ソードを手に入れる資格があるかを試すため出された、いくつかの課題が、ケインの脳裏には、鮮明に思い起こされた。
彼が思うに、随分とフザケた課題ばかりであった。本来は、石化したマスター・ソードを地面から抜けるかどうかで良かったのだと、後から知らされ、呆気にとられたのを思い出す。
その時の、マスター・ソードの番人から、『人間界に於いて、すべての魔力を支配する者』との説明があったジャスティニアスは、ケインがその時出会ったのと同じく、意外にも若い少年の姿をしていた。
だが、これは、彼の本当の姿ではないという。
ドラゴン・マスター・ソードさえ神秘のベールに包まれているのだから、彼の本当の姿まで知っている者は、少なくとも人間界にはいないだろうと、ケインは思った。
『ひどいわ、マスター! あたしをただ働きさせたわね』
他の女の夢を食べ損なった夢魔だというその女は、ケインから離れずに、ジャスティニアスを向き、だだをこねるよう身体をくねらせる。
『いいじゃないか。そうやって、きみの好きな「男」にすり寄ってられるんだから』
夢魔は、唇を尖らせたまま、少年の神を睨み、相変わらず、ケインにベタベタくっついた。
『ケイン、悪いけど、きみもそのままそうしていてくれないか? 彼女が機嫌を損ねると、さっきも言った通り、この空間は存在しなくなってしまう。不本意だろうけど、僕の用が済むまで、もうしばらく、そのままで我慢してもらえないかな? 』
『まあ、不本意だなんて、失礼な! ケインだって、私のような女に抱きつかれて嬉しいに決まっているわ! ねえ、そうでしょう、ケイン? 』
(いくら美人でも、夢魔じゃ……)
ジャスティニアスが、じっと、彼を見ている。その瞳が、何を求めているのかは、彼にもわかっていた。
「いやあ、こんな綺麗なおねえさんにくっついてもらえるなんて、光栄だなあ! 」
はははと、ケインは、明るく笑っていた。
我ながら、自分のキャラクターとはえらく違っているとは思ったが、この場を乗り切るには、しょうがなかったのだと、ケインは自分の心に必死に言い聞かせた。
夢魔の女は、どうだと言わんばかりにジャスティニアスを勝ち誇ったように見ると、またしても、べろ〜んと、ケインにしなだれかかった。
それでも、ケインには、重さも感じられず、気にはなっても、困るほどのことでもなかったので、放っておくことにした。
「それで、マスター。用って、なんだ? 」
ジャスティニアスは、やれやれと、肩をすくめる。
『久しぶりに会ったってのに、さっさと用件だけ言えっていうのかい? 相変わらず、きみって、つれないなあ』
『あら、あたし、つれないヒトって好きよ。振り向かせるのに、つい頑張っちゃう』
くねくね身をよじる夢魔を、呆れた顔で見たジャスティニアスは、ケインに視線を戻した。
『用件は、二つ。まずは、きみ、二年前に、マスター・ソードの魔石を無くしただろう? 』
(やばっ。怒られる!? )
『安心してよ。叱りに来たわけじゃないから。そういうことは、たまに――いや、よくあることだから』
「……なにぃ? よくあることだと〜? 」
ケインは、顔をしかめた。
『しょうがないんだよ。魔石もデリケートなシロモノなんでね。何かのショックで、そうなることはあるんだよ。だけど、それを導くためと、きみのスキルを上げるために、僕の部下を送り込んだから、アフター・ケアだって、ちゃんとしてるだろ? 』
マスターの少年は、パチッとウインクしてみせた。
「部下を送り込んだって? 」
『そうだよ。別れ際に言っただろ? そのうち僕の部下と会えるかもねって』
「う〜ん、言われてみれば、そんな気も……? 」
『その前に、黒い魔石――ダーク・メテオは見つけたみたいだけどね。いやあ、あの東洋の魔道士の彼は、たいしたもんだねえ。それとも、あの一緒にいる妖精の力が大きいのかな? 』
「え? 一緒にいる妖精って、……まさか、ミュミュのことか!? 」
『そうだよ。でなきゃ、魔道士ごときには見つけられないはずなんだから。彼女は、きみたちがアストーレにいた時も、フェルディナンドに行った彼に、時々会いに行ってたんだよ』
「そうだったのか……。ん? ミュミュのヤツ、偵察となると、ほんの目と鼻の先のところですらイヤがるくせに、そんな遠くにはひとりで行ったってことは……。相手がヴァルとなると、やっぱり違うらしいな」
ケインが、仕方のなさそうに笑う。
『とにかく、僕の部下がマスター・ソードの魔石の場所へきみを導くために、僕の神殿を出発したのは、つい最近だから、きみと出会うのは、もうすぐかもよ? その前に、ひとつ、特別に、ヒントを教えてあげよう』
マスターは、人差し指を立てた。
『残りの二つの魔石のうちのひとつは、ここにあるよ』
「なんだって!? 」
『もちろん、ここといってもここではなく、現実の、ここと同じところにね。まあ、来ようと思っても、なかなか来られるところじゃない。だからって、焦らないことだよ。そう簡単には、魔石は見つからないものなんだから』
「それで、……ここは、どこなんだ? 」
『内緒だよ』
ジャスティニアスは、にっこりと、清々(すがすが)しい笑顔で、そう言った。
ひどいヤツだとケインが思ったと同時に、過去にも、彼が、このように、人を食った態度を取っていたことも思い出した。
「それで、もう一つの用件は? 」
そう尋ねてから、何かむずむずすると思ったケインが、ふと見ると、夢魔ムーリーが、彼の胸や鎖骨、彼女の届く範囲に、紅いルージュの跡をくっつけているのがわかった。
(人が抵抗出来ないのをいいことに、なんてことを……! )
夢を食べ損なった分、せめてモトを取ってやろうというように見えたが、やめさせれば、マスターの話が中断されることを思うと、ケインは、くすぐったかったが、そのまま何も気付かない振りをして、放っておいた。
『そうそう。彼女と会えたんだね。一応、おめでとうと言っておこうかな。ある意味、運命的な出会いとも言えるからね』
マスターが、にっこり笑う。
「彼女って?」
『さっき、きみが、ムーリーに言おうとした名前の娘(こ)だよ。サンダガーが護ってる』
「ああ、……あの彼女ね」
ジャスティニアスが、くすっと笑う。
『もう名前を口にしても大丈夫だよ。彼女の夢が食べられちゃったりはしないから』
もう一度、ちらっと夢魔を見下ろしてから、ケインはすぐにマスターを見る。
『彼女、魔界の王子まで手に入れちゃったんだね。相変わらず、面白い子だねえ。きみも一緒にいて退屈しないでしょ? 』
ジャスティニアスは、くすくす笑った。
「退屈はしないけど、……いつもハラハラさせられるし、手がかかるし……振り回されるし……気が付くと、なんだか、あいつのことばかり考えてて……」
ケインは慌てて口を噤んだ。その頬が、ほんのりと赤く染まって行く様子を、ジャスティニアスはにこやかに見つめている。
『実はね、二年前に、きみがマスター・ソードに魔石の力を解放する儀式をした後、僕は、ある国の様子を見に行ったんだ』
「……そう言えば、どこかに出かけるから、急ぐとか言ってたっけ? 」
ケインは、うっすらと思い出していた。
『その国とはね、ベアトリクス王国なんだよ』
「ベアトリクス――! マリスの国か!? 」
口に出してしまってから、はっとして、ケインは夢魔を見てみたが、ジャスティニアスの言う通り、彼女は気にもしていないようだったので、ほっとした。
『彼女が国を出る前の年に当たっていた。でも、僕が見に行ったのは、彼女ではないんだ。あのラータンの彼が、ベアトリクスに辿り着いたからなんだよ。個人的に、彼の行方には興味があったからね』
ヴァルドリューズのことだと、ケインは解釈した。
『彼も、なかなか特殊な人材だねえ。魔神グルーヌ・ルーを呼び出せるなんてね。そりゃあ、他の魔道士たちは、脅威に思っただろうよ。それにしても、人間たちは、勝手なものだね。自分たちが魔神を召喚するよう彼に修行させておいて、できたら危険だから、ポイなんてね』
「なんだって? ……つまり、ヴァルが国を出たっていうのは……」
『出たんじゃないんだよ。危険人物とされ、追い出されたんだよ。ラータン・マオの宮廷魔道士たちにね』
ケインは、愕然とした。
「……そうだったのか。……なんとなく、優秀過ぎて疎まれてたのかな、とは思っていたけど。それで、魔神グルーヌ・ルーを召喚出来る魔道士を探していたゴールダヌスと出会い、マリスとヴァルは、獣神サンダガーを呼び出すことになったのか」
『その彼女と彼に出会うのも、またきみの運命だったんだよ。だから、さっき、おめでとうって言ったんだ。きまぐれな獣神を、好きなタイミングで召喚出来る戦士たちと、ドラゴン・マスター・ソードにバスター・ブレードを合わせ持つ戦士――これが、出会わないでいられるか。
伝説の剣はね、ひとつしか持てないのが普通だったんだよ。僕としては、もう少し、レオン・ランドールの活躍を見てみたかったけど、彼は謙虚な人だからね、引退しちゃっても、まあ、しょうがないね』
『あら、この人だって、いい男だわ』
夢魔が話に加わってきたことに、ケインは少し驚いた。
『いい男かどうかは関係ないから置いといて、とにかく、きみは、父親の剣であるバスター・ブレードまでも手に入れた。順番が逆だったら、少なくとも、僕は、きみにはマスター・ソードは必要ないと思って、あげなかっただろうからね。ラッキーだったね』
「……それが、二つ目の用件なのか? 」
疑い深い目で、ケインがジャスティニアスを見る。
『じゃあ、言うよ。出来る範囲でね。例のサンダガーの召喚魔法――あれは、所詮は、ヒトの編み出したもの。僕からすれば、完璧じゃない。いや、今は完璧に見えても、いずれ暴走するかも知れない』
ケインにとって、あまりに衝撃的な内容だった。ケインの目は見開き、動揺を露にした。
「ちょ、ちょっと待てよ! これまでも、サンダガーは、ちょくちょく、隙あらば自由になろうとしていたけど、それは、ヴァルやマリスの手の内にあることで、二人も対処出来てたみたいだった。それを超えてしまうようなことが起きる……ってことなのか!? しかも、暴走するってことは、マリスは……精神を乗っ取られて ……世界も……! 」
それ以上、口にするのもおそろしいというように、ケインは口を噤む。
ジャスティニアスは、静かな目を、彼に向けたまま、口を開いた。
『その時は、きみが止めるんだよ』
ケインの驚愕が現れていた顔は、徐々に目元が引き締まって行く。
「……前に、ヴァルにも言われたな。『魔王降臨の際に、サンダガーが脅威の存在になる』ってのと、『魔王と金色のドラゴンが相見えれば、互いにこの世の塵と化す』という、どっちともつかない予言が、魔族の間に流れてるって。
ヴァルとマリスは、大魔道士ゴールダヌスからは、魔王と戦えとまでは言われていなくて、世界に現れた魔界と人間界をつなぐ次元の通路を塞いで回り、復活した魔王が通る道を限定するだけ、と。
魔王を倒す方法がなければ封印し、その方法もわからなければ、サンダガーで応戦するしかないが、そうなると、世界も滅びてしまう可能性もある。
だから、俺が、あなたから授かったこのドラゴン・マスター・ソードで、なんとかする……マリスには知らせずに、俺とヴァルの間で、そう決めた。
あなたが言ってるのは、そういうことなのか? 魔物の間に伝わる予言は本当で、サンダガーと魔王を戦わせてはいけないのも、……本当だったのか? 」
ケインの睨むのとは違う鋭い視線が、ジャスティニアスの瞳を射抜くように見据え た。
表情を変えないまま、ジャスティニアスは口を開く。
『その手の予言は、何も、魔族の間にだけ伝わってるんじゃない。神側と魔族の王との戦いは、常に繰り返されている。千年前に戦ったのは、サンダガーを含めた五人の獣神だった。だが、同じ神が続けて戦ってはいけない決まりがある。その理由もある。だから、サンダガーは戦ってはいけない。彼は戦いたくとも、戦わせるわけにはいかない。 だが、魔王復活の時は、魔力が入り乱れる。砂漠の時みたいに、サンダガーが暴走しやすい。だが、したら最後。あの女の子は……後はわかっているね? 』
引き締まっていたケインの顔は、ジャスティニアスの予想に反し、なぜか、ほっとした表情に変わった。
「……てことは、マリスが戦わなくていいんだな。……良かった」
『おいおい、暴走する獣神を止めたり、代わりに、きみが魔王と戦わないといけなくなるかも知れないんだよ? 下手したら、死んじゃうかも知れないよ? それでも、いいの? 』
「……彼女がそうなるよりは、マシだ」
ケインの真っ直ぐな視線を受け止めたジャスティニアスは、顔をしかめた。
『マスター・ソードの最後の課題で、巨大で凶暴な動物が、弱小動物を襲おうというところ、きみは、自分の正義を貫くためには、それが生物の生態を壊し兼ねない結果になろうと構わず、ムキになって突っ走っていたね。 だから、きみは、きっと、そう言うと思った。「彼女がそうなるよりはいい」、と。 でもね、それじゃダメなんだよ。世界を背負うということは、簡単には命を投げ出せない、死ねないということだ。例えば、相打ちなんて生易しいものを狙ったって、魔王には勝てない。 だが、奴は、必ずそういう手段に追い込む。奴は、人間をよく知っている。人間の弱みに付け込むことに長けている。相打ちでも、奴は復活出来るのだ。永遠に、倒すことは出来ない。最も魔界に近い、人間界の負の心がなくならない限り……! 』
ケインの表情は再び引き締まる。そして、今までにないまでに青ざめた。
「……なんだって? ……じゃあ、魔王の存在は……人間が……? 」
マスター・ジャスティニアスは、溜め息を吐いてから、答えた。
『……人間界だけじゃない。あらゆる世界に存在してしまう負のエネルギー。そこから生まれたのが、魔王だ。厳密にいうと、魔族の中の、悪魔族の王だ』
「ジュニアは厳密には悪魔族の王子で、その父親である王だから……確かに」
『魔王と勝負する身となった者は、無責任に死んではならない。人間界を、世界を背負うっていうのは、そういうことだ。絶対に、悪には勝たないといけないんだよ』
はっとしたように、ケインの瞳が見開かれた後、伏せ目勝ちに、ジャスティニアスから外れた。
「やっぱり、そこに行き着くんだな。俺自身の永遠の課題でもあるところに。気持ちだけじゃなく、もっと、大きなところから見て――真実を見抜いて、判断しなくちゃならないこともある――って」
しばらく、ジャスティニアスの視線が、静かに、彼を見守る。
再び彼の青い瞳が、神の視線に戻った。 そこには、脅えではなく、新たな決意が見られた。
「俺のやるべきことは、決まってる。ドラゴン・マスター・ソードのすべての魔石を揃えると同時に、剣と俺自身を鍛え、早く、魔王と戦えるくらいにならないと。マスター、どうしたら、鍛えられる!? どうしたら、サンダガーを超え、魔王を倒せる? 」
ジャスティニアスは表情を変えず、眉一つ動かすことなく、答えた。
『魔石のもろさも、きみの精神を鍛えて、なんとかカバーするんだ。太刀打ちできるくらいに成長できるのかどうかは、きみの想像の力次第。自分で限界を作ってしまっては、それ以上は伸びない。
これしか出来ない、と思い込まないことだ。きみの目標に近付けるんだ。
いいかい? きみは、あらゆる困難に立ち向かい、それをものとすることだ。無理だと思うことでも、どうしたら自分には出来るかを考え、実行に移すんだ。
そうして得た物は、大きい。……だから、ドラゴンと妖精に会うんだ。その他の種族にも』
意外に思われた言葉に、ケインは、面食らった。
「……俺が、本物のドラゴンに会えるのか!? 」
『剣を受け取っても、ドラゴン・マスターとしての試練は、ずっと続く。異空間でしか会ったことのないドラゴンに、実際に会うんだ。そのためにも、部下を送り込んだんだよ』
ケインは唖然としたが、即座に、青い瞳は煌めき出した。
『いろんなドラゴンの世界がある。きみの思い描くドラゴン像とは、まったく違うこともある。他の次元に生きている他の種族も。彼らから学ぶんだ。そして、自分自身の「力」とするんだ』
ケインの深い青色の瞳と、ジャスティニアスの茶色の瞳がぶつかる。
『ねえ、そろそろいいでしょう、マスター? あたし、もう我慢できないわ。早くこのヒトを、あたしにちょうだい』
真剣な二人の眼差しを割って入った夢魔は、長い睫毛をしばたたかせて、ジャスティニアスを見る。
「ちょうだいって……? 」
夢魔は、艶かしい仕草で金色の髪をかき上げ、切れ長の瞳で、うっとりと、ケインを見上げる。
『まあ、かわいい! このヒトってば、なんて純粋なんでしょう! こんなに顔を赤らめて、胸の鼓動だって、こんなに早く打ってる。あたしのことが好きなのね? 』
夢魔の都合の良い解釈とは裏腹に、ケインの顔は、青ざめていく一方だった。
彼女の身体がふわりと浮かび、ケインの頭と同じ高さになる。 濡れたような緑色の瞳に、艶やかな紅い唇が、彼に迫った。
(ひえーっ! 夢魔に食われる! )
ケインがそう思った瞬間、
『ムーリー、時間だよ。さあ、行こう』
『ひどいわ、マスター! やっぱり、あたしを騙したのねー! 』
夢魔の泣き叫ぶ声と、ケインの周りの景色が、闇に溶け込んだのは、ほとんど同時だった。
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