「へー、『魔道士の塔』のヤツだったのかあ」
夜、クレアと特訓を終えてから、ケインはカイルと酒場に来ていた。
「昨日、マリスのことを聞いてきたのも、本当は、ジュニアのことを探ろうとしたのかも知れないな」
カイルは、そう言ってツボを傾け、木の実酒をごくごくと飲んだ。
「近々、『魔道士の塔』から調査団が送られてくるらしい。それらしいものに接触したとしても、あまり関わらない方がいいって、ヴァルが言ってた。だから、マリスにも、そう伝えておいてくれ。知らずに、戦闘引き起こされたりしたら、それこそ、『魔道士の塔』をも敵に回すことになるからな」
「『魔道士の塔』ねえ。あちこちに支部を持つ、かなり大きな組織だからな。敵に回すと、超厄介だな」
苦笑いするカイルの横で、ケインは、木の実酒を、ぐいっと呷ってから、懐から小さい皮の袋を取り出した。
「それでさ、これをマリスに渡して欲しいんだ。高かったから、これだけしか買えなくて……」
その後、ケインとカイルは、しばらく飲み、寝床にしている草むらへと、それぞれに戻っていった。
「マリーちゃん、マリーちゃん」
揺すられて、マリスが目を開ける。ジュニアの心配した顔が、目に飛び込んできた。
「うなされてたぜ? 大丈夫かい? 」 「……カイルは? まだ帰ってないの? 」
草むらで寝袋に包まり、サイドテーブルのように置いた石には、インカの香を焚いた香炉がある。マリスは起き上がり、香炉を確かめた。
(最後の香だったけど、やっぱり足りなかったのね。変な夢見ちゃって……。ここのところ、よく見るわ)
マリスは、自分の頬を、涙がぬらしていることにも気が付いた。 ジュニアが一層心配そうに、マリスを見る。
マリスは、なんとなく夢の内容を思い出していた。 まだベアトリクスにいた時のことだった。
そこは、戦場だった。
彼女は銀色の甲冑を身に付け、軍隊の一人として、ウマに乗り、戦っていた。 敵の兵士の放った矢がウマに刺さり、バランスを崩したウマごと崖から落ちるが、間一髪で差し出された手が、しっかりと、彼女の手を掴んだ。
『ダン……! 』
彼女の手を握っているのは、黒い髪に黒い瞳の戦士、幼馴染みの少年であった。
記憶の通りの彼ではあったが、唯一、その瞳は、悲しそうに歪む。 彼女を握る手も、力が弱まっていく。
『どうしたの、ダン? はやく引き上げて』
彼は、首を横に振る。
『お前には、俺はもう必要ない。これからは、セルフィスと一緒にやっていくんだろう? 』
『何を言ってるの? 確かに、あたしはセルフィスが好きだけど、でも、だからって、あなたを必要としていないわけじゃないのよ! 』
崖の下は、真っ暗な闇であった。どこまで続いているのか、見当も付かない。
放さないで。 その手を絶対に放さないで! その手が放れてしまったら、あたしはどうなるの? どこへ落ちていくの? そして、あなたは、どこに行ってしまうの!?
『いやよ、ダン! 手を放さないで。あたしには、……あなただって、必要だったんだから! 』
マリスが、そう叫んだ時だった。
彼の手は、何の未練もなく、あっさりと、彼女を手放した。
急速に闇へと飲まれていくところで、ジュニアに起こされたのだった。
「なんだか、悲しい夢だったみだいだね」
マリスの様子を気遣うように、ジュニアが静かに言った。
「話してないのに、わかるの? 」 「魔力が弱くても、そのくらいはな。ヒトの過去も」
夢は、マリスの過去に起きた出来事とは、少し違っていた。だが、彼が彼女の元を去っていったのは事実だった。
ジュニアが香炉を見る。
「もう、インカの香は、なくなったようだな。まだまだ夜中だぜ? ……もしかしたら、今までちょくちょく見てた悪夢も、インカの香をケチッて効き目が弱かったせいかもな」
視線をマリスに戻したジュニアは、今までにない、やさしくも、想いを堪えてせつなげにも取れる、どこか色気を帯びた瞳で、彼女を見つめる。
「本当は、淋しいんじゃないのかい? 幼馴染みの彼も、婚約者の彼も、ここにはいない。旅に出てから、きみに好意を抱いた男たちも、口ばかり。ヴァルのにいちゃんや、ケインだって、きみを守らなきゃいけないはずなのに、ちっとも迎えに来ない。きみの護衛に疲れて、今羽を伸ばしているのかも知れない。彼らの言うことなんて、奇麗事だったってことさ。 ……だけど、俺は違うよ。俺なら、インカの香や、魔力を抑える鎧なんて道具もいらない。つまらない魔からは守ってやれるし、魔力の強い魔道士やモンスターが来ても察知出来る」
エメラルドとサファイアのような、ヘテロクロミアの美しい瞳が、妖し気に輝き出す。
彼の顔つきまでもが、それまでのかわいらしい少年ぽさが薄れ、頭の角は消え、人間らしく見えていき、大人びていく。
黒い衣の間からのぞく胸板が厚みを増していき、鍛えられた男のように野性的に、彼全体が、魅力的な男へと変貌していったのだった。
「人間なんか、短い間でも簡単に心変わりするもんだよ。俺は、人間より相当長く生きてる。人間の一生の間くらい、僅かな時間さ。そんな僅かな間に、心変わりなんか、するはずない」
いつもの頼りない彼ではなかった。
彼が、マリスの頬の涙を、指で拭う。 妖しく光る宝石のような彼の瞳を、マリスは眺めていた。
「俺なら、いつでも、ずっと、お前を守っていける。……マリー、俺は本気なんだ。本気で、お前を、愛してしまったんだ。だから、俺と……」
彼女の顎に手をかけ、彼の顔がゆっくりと近付いていく。
「悪いけど、そんな気ないから」
ピシッと、ジュニアの表情がこわばり、手が止まる。
「あたしは、恋人なんかいらないの。一番欲しいのは、格闘の相手よ。淋しくても、誰かをぶん投げられれば、スッキリするわ。あんた、やってくれるの? 」
ますます彼の顔は、こわばった。 野性的な大人の男らしさは引いていき、もとの少年らしさと、角も戻る。
「わかったよ、マリーちゃん。そんな冷たいところも、好きだぜ」 ほわ〜っと、嬉しそうでもある表情になる。
(なんだかんだ言って、こいつも魔族。隙あらば、取り込もうとして……。そもそも、あんな感傷的な夢を見たのも、……こいつの仕業? )
そうは思いながらも、マリスは、ジュニアのそのような一面を、誰にも言うつもりはなかった。
そこへ、カイルが戻った。
「遅くなって、すまなかったな。これ、ケインから。お前に渡すよう頼まれてさ」
カイルが小さい革袋を取り出す。マリスは受け取った袋を、じっと見つめた。
「ヴァルに頼んでも、自分の使いたい分が減るって渋ったから、ケインのヤツ、わざわざ買ったらしいぜ。今夜一回分のインカの香だ」
「ちっ」と小さく舌打ちする音は、マリスではなく、ジュニアから聞こえた。
「それじゃ、マリーちゃん、おやすみ」 ジュニアの姿も気配も、さっさと消えた。
構わず、カイルは続けた。
「資金も貯まってきたから、明日の晩からは、皆で宿に泊まろうってさ」 「はあ、またヴァルと相部屋の生活ね。ま、その方が、安心か」
「お前、……泣いてたのか? 」 カイルが、気遣うように、マリスの顔を覗き込む。
マリスは、目を擦った。
「夢見が悪かっただけ。これさえあれば、今夜は大丈夫よ」
香を炉にセットして、マリスは寝袋に入り込んだ。 すぐに、煙が漂う。
「今日の情報は? 」
「ああ、西の王国バハロでは、内紛が起きているそうだ」
「あそこは、もともと近隣の小国が合併し合ったから、有り得るでしょうね」
「情報のあった旅人は、そこを通らず迂回したが、知らずに入国して巻き込まれたヤツらもいるようだぜ」
「今は、あの地域は避けましょ」
「それからな、ちょっと懐かしい南の貿易国ライミアの話も聞いたぜ。相変わらず、景気がいいらしい。第一王子が抜け目がないお人で、国王や家臣たちの期待を、一身に受けてる……とかなんとか。アストーレでお会いした、あの金勘定得意なイヤミな王子サマがねえ」
自分の寝袋を出して来て、包まりながら言うカイルに、マリスが苦笑いした。
その他、カイルは、飲み屋での噂話の数々を、彼女に語る。 その最後の話だった。
「そういやあ、またまた懐かしい、アストーレで会った白ブタ王子サマの話だが、中原の外れの国モンスコール王国じゃ、前から、東洋の情報を独り占めしてたが、実は、東洋とのつながりが、ちゃんとあるわけじゃねえんだ。時々偵察して、知っているだけらしい」
「それって、スパイじゃないの? 」 「だろ? 」 カイルは、顔をしかめた。
「国の軍事機密にまでは、さすがに触れられねえだろうが、東洋も、文化的には西洋との交流も多少はある。モンスコールは、東洋の文化が気に入っていて、東洋っぽいものを生産しちゃあいるが、よく見ると、全然違うそうだ。独自の文化としちまってるせいだろう。だから、モンスコールを通ってきた東方の衣装や装飾品は、目利きのいるところじゃあ、二級品とされているそうだ」
「単なるマネっこで、しかも完成度が低いんじゃ、当たり前ね。王子サマも、変な服だったものね」 マリスも顔をしかめる。
カイルは、寝袋の中で、肘をついてから、続けた。 「モンスコールの、最近穏やかじゃない噂も聞いたぜ」
「あそこの国は、いつも近隣の諸国と緊張状態じゃないの? 穏やかじゃないのは、今に始まったことじゃないわ」
「それは、そうだが、今度の噂だと、他の中原の国々と、鎖国すると、公言したそうだ」
「なんで? 」
「詳しくはわからないが、国王の愛息子である第一王子が、なにやら企んでるとも聞くし、もう一つは、アストーレ王国で、モンスコール王子がデロス王国王子との決闘の際に、大恥をかいたから、恥ずかしくて中原の国々に顔向け出来なくなってしまったんじゃないか、って」
「それって……」
「ああ。我が白い騎士団率いるリーダーの、白い騎士マリユス・ミラーさんとの決闘のせい……じゃねえの? 」
カイルがニヤニヤ笑う。
「モンスコール、デロスという戦力にも長けた国が、決闘の時の条件で、アストーレ王女との結婚相手の候補でなくなったとなると、他の国も、これから名乗りを上げるかも知れないそうだ。アストーレの鉱山から採れる珍しい宝石の原石は、ますます注目されてるからな」
国際情勢で、今一番人々の関心が集まっているのは、中原を中心としていた。
経済的にも安定しており、商人たちも各地から集まり易く、活気づいてきている。 その地域からあまりに遠い国の情報は、入りにくい。
マリスの気にかけていたベアトリクス王国の話は、聞こえてこなかったようだ。
「なあ、お前って、どのランクの貴族だったっけ? 」 「伯爵令嬢。自分で、令嬢っていうのも、なんだけど」 「ふ〜ん……」
カイルは、マリスから、視線を夜空に移し、頭の下で手を組んだ。
マリスも、空を見上げる。
彼女が王女であることを知らないのは、一行では、彼とクレアだけ。 打ち明けて、皆が自分に気を遣ってしまうのが、マリスは嫌だった。
(できれば、情報通のカイルでも、あたしの正体には、ずっと気付かないで欲しい)
香の微かな香りが、彼らを眠りへと誘った。
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