「いつも、すまないねえ。そんなことまでしてもらっちゃって」 「いいえ」
食後の器を、外のポンプの水で洗いながら、ケインは首を振った。
三歳位の子供が、しゃがんでいる彼の背にぶつかると、そのままよじ上る。
「こら、キエル! お兄ちゃんの邪魔しちゃ、だめでしょう」
大きく張り出したおなかをさすりながら、女性は、やんちゃ坊主を叱るが、彼の耳には届いていない。
「そろそろ、子供達連れて、散歩に行ってきます」 「ああ、ありがとうね」
洗い物が済んだケインは、よちよち歩きの子供を背負い、キエルの手を引いて、その家を出た。
出産を控えたまだ若い母親は、縫い物の内職をしていたので、ケインは、街で、荷物を運ぶ仕事をした後、この女性の二人の子供たちの面倒を見たり、買い物をする等して、女性の内職がはかどるよう、手伝いをしていた。
背におぶった子の方は、特に泣きもせず、三歳児のキエルの方は、いくらかケインに懐いてきていた。
「ウマになれ! 」
キエルは、ことのほか、おウマさんごっこが好きであった。 街のすぐ側の草むらで、毛布を敷き、眠ってしまったキエルの妹を降ろして寝かせた後、ケインは、命令通り、四つん這いになって、彼を背に乗せて進む。
そのうち、原っぱをひらひら飛んでいるムシを追いかけ回したり、穴を掘ったりと、キエルは勝手に遊ぶようになっていく。
ケインが以前、『バク転』や『空中三回ヒネリ(自称)』をやって見せると、キエルが非常に喜んだまでは良かったが、「オレもやるー! 」と即座にひっくり返り、頭を地面に打ち付けそうになったのを、ケインが慌てて止めたことがあった。
間一髪で間に合ったため、後頭部を強打せずに済んだが、以来、真似されると危険なことはしないよう、ケインも気を付けるようにした。
「おーい、キエル、そろそろ買い物行くぞー」 「やだーい! もっと遊ぶんだーい! 」
三歳児は、ケインの言うことなど、聞きはしない。 が、彼が、さっさと赤ん坊を背負い、移動しようとすると、慌ててやってくる。
常に、このような調子であった。
街に戻り、頼まれていた買い物を済ませたケインは、今度は、夕飯の支度をしていた。その間は、母親が子供達の相手をし、それで、この日の仕事は終わりだった。
翌日も、同じような予定である。
仕事が終わり、皆で寝床として選んだ草原(資金が足りないので、まだ野宿であった)に戻ると、今度は、クレアとの特訓が待っている。
ヴァルドリューズの提案で始めた、クレアの剣術とケインの魔法防御力を鍛える訓練は、二週間余り続いていた。
その間も、カイルとマリスは別の場所で野宿をしているのか、未だ、行動は別であったが、クレアとマリスが同じ食堂で働いていて、完全に行方が知れないわけではなかった。
カイルは、マリスと、博打屋から、がっかりしたように出て来たり、時々、女の子と楽し気に歩いていたりするのをケインも見かけていたので、拗ねて出て行ったように見えた彼ではあったが、久しく出来なかった自由な生活を、満喫しているようでもあった。
数日後、いつものように、ケインが子守りの子供達を連れ、街を歩いていると、広場には、大勢の人だかりが出来ていた。
「さあさあ、腕に覚えのある人は、こっちに並んだ、並んだ! 」
聞き覚えのある声に、足を止め、ケインが、離れたところから覗いてみると、中心にいたのは、カイルとマリスであった。
「よっ、お兄さんたち、いいガタイしてるねえ! どう? 彼女と勝負してみない? 」 カイルが愛想笑いをし、たかっている体格のいい男たちに声をかける。
「おい、本当だろうな? 本当に、その娘に勝ったら、金貨一〇〇枚くれるんだろうな? 」
人相の悪い大柄な男が、脅すように、カイルに言った。
「もちろんだぜ! なんなら、彼女もつけましょうか? 」
じろっと、男はマリスを睨むが、その視線は、上から下までを、何度も往復する。
「見た通り、彼女は、東方出身の謎の美少女だぜ! こう見えても、東洋が誇る数々の極上の奥義で、天国にも昇る思いを、皆様にお届けすることを、約束するぜー! 」
カイルのセリフに、マリスは横目で彼を見るが、「おおっ! 」と、周囲からは、感嘆、驚嘆の声が湧く。
「参加費は、たったの銀貨一〇枚! 一〇リブル――安い短剣くらいだぜ! 今ならお得! 勝てば、一〇〇リブに、美少女がついてくるぜー! 」
わらわらと、人々の列が、それとなく出来て行く。
(あいつら、どうやら資金集めは忘れてないようだけど……)
地道に稼ぐのとは、まるでかけ離れていた。
ケインは呆れて、そこから立ち去ろうとしたのだが、既に、一人目と彼女のバトルは始まっていた。
背が高く、大柄ではあったが、野盗とは違う、腕に覚えのあるような一見普通の町民の男が、マリスに向かい、右拳を突き出す。
彼女は、ひらり、ひらりと、難なくよけると、男の隙をつき腕を取り、軽く背負い投げた。
「はい、ごくろーさん」
尻餅をついているその男は、何が起きたのかわかっていなさそうであったが、さっさとカイルに追い払われ、納得がいかなかったのか、列の一番後ろに、また並び直したのだった。
ケインの見たところ、マリスは加減していて、圧倒的な強さを見せ付けてはいない。
相手に、「なんとなく勝てそうだから、もう一回チャレンジしてみるか」と思わせる演出なのだろう、そして、それは、おそらく、カイルの入れ知恵だろう、と予測がついた。
「俺は、今までの奴等とは、わけが違うぞ! 」
数人目の男が、ずいっと進み出る。
筋肉隆々の自慢の腕を、ぶんぶん振り回し、マリスに襲いかかっていった。 それを、さっとよけた彼女は、男の腹に、一発食い込ませた。
明らかに加減しているのが、見ているケインにはわかったが、男は唸ると、戦闘不能になった。
「なー、ケイン、いつまで見てるんだよー。揚げイモ買ってくれるって言ったじゃないかよー」
やんちゃ坊主の声に、ケインは我に返った。
遠目から見ていたつもりが、つい夢中になってしまい、赤ん坊を背負ったケインは、迷子にならないよう、キエルの手を引きながら、徐々に、見やすい位置へと移動していたことに気付く。
「シッ、揚げイモなら、後で絶対買ってやるから、もうちょっと待ってろ」
そのままケインが見入っていると、カイルが硬貨の入った革袋を持ち上げ、満足そうに笑う。
その向こう、人だかりの隅の方に、黒い人影が見えた。
昨日も、どこかで見かけたようにケインには思えたが、ジュニアだろうと、特に気にも留めないでいた。
「はい、次の方! おおっと、またしても素晴らしい体格の持ち主だー! 」
カイルの声と同時に進み出てきたのは、確かに大柄で、茶褐色の皮膚をした、野盗のような人相の悪い男だった。
「その前に、にいちゃん、この娘に勝った時の賞金、金貨一〇〇枚ってのは、本当に、用意してあるんだろうな? 」
顎の無精ヒゲをいじりながら、疑わしい顔を、カイルとマリスに向ける。
(金貨一〇〇枚なんて、絶対にあの二人が持っているわけはない。それがバレれば、列を作って彼女に挑んだ奴等に、一斉にボコボコにされて……)
ケインの心配をよそに、何の気なしに、マリスが、ジュニアを呼ぶと、魔界の王子が、パッとその場に現れた。
人々はざわめくが、魔道士か何かだと思ったようで、すぐに動揺は収まった。
ジュニアが手にしていた革袋の中身を、マリスが開いて見せる。 彼の術で、中には金貨が入っていた。 その黄金色の光を認めると、野盗のような男は納得したのか、遠慮なくマリスに攻撃を開始するが、案の定、すぐに負けてしまった。
(あれっ? )
ケインは、先程の、観客に混じった黒い影を、もう一度、目で追った。
やはり、それは、まだあった。
ジュニアは、カイルの隣で、腕を組んで惚れ惚れしながら、マリスの戦闘を見守っている。
(……てことは、あの影は、ジュニアじゃなかったのか? )
黒い影は、そのうち、ひゅんと消えた。 周りも騒いではいない。
魔道士に慣れているこの街では、魔道士がいたところで珍しくもないか、とケインは思い直す。
「揚げイモー! 揚げイモー! 」
服を掴んで引っ張り、騒ぎ立てるキエルを連れ、ケインはそこから離れた。
「よう」
昼はクレアが、夕方はマリスが働く食堂に、ケインは夕飯を食べに来ていた。 子守りの家の主人が、この日は珍しく早く帰ったので、早めに上がれたのだ。
ケインはカウンターに腰掛けると、マリスに、ブタのスープ定食と木の実酒を注文した。
マリスは、木の実酒のツボを、ケインの前に置く。
「最近、ストリート・ファイトは、どうだ? 結構、稼いでるみたいだけど」 「見たの? 」 マリスは、目を丸くした。
「俺の方も、荷物運びとか、子守りのバイトでちょこちょこ稼いでるから、少しは貯まってきたよ。そろそろ、宿にも泊まれると思うんだけど、……お前たちも、そろそろ戻って来て、一緒に泊まらないか? クレアも心配してるよ」
「……クレアの剣の方は、どうなの? 」 「ああ、頑張ってはいるが……まだまだかな」
何かを考えているような彼女だったが、厨房で呼ばれて、奥へ行ってしまう。
「おお、ちょうどカウンターが二席空いているぞ」 入って来た二人連れの客が、ケインの隣の席に着く。
「あっ! 貴様は……! 」
その声に、ケインは、隣の客たちと目が合う。
「スープ定食、お待たせ。いらっしゃいませ。……あら? 」 ケインに定食を運んだ、カウンターの中にいるマリスが、手を止めた。
「おっ、お前は、あの時の、小娘……! 」
ケインの隣の客、黒い短髪の男が、動揺したように、マリスを指さす。 ケインの記憶も、徐々に甦る。
「荒野でマリスとトカゲの肉を奪い合い、オアシスでも絡んで来た、ジャグ族の村 でも出会った傭兵の――」
「…………………………………………………………………………………………で、どちらさまでしたっけ? 」
マリスが作り笑顔で、にっこり尋ねる。
「青いジャガーのダイだ! 何度行ったら覚えるのだ! 」
ダイは、黒髪の生え際をピクピクとさせ、マリスを睨みつける。
「やあ、またお遇いしましたね、美しいお嬢さん。その赤い装束、いつ見ても、お似合いですよ」
ダイの隣に座っている美青年傭兵が、金髪をかき上げ、マリスに、朗らかに笑いかけるが、彼女は気が付かなかった。
「まあまあ、ダイさんとやら、落ち着いて。ここは、お店の中なんだし、あたしもお仕事中。お話なら、後でゆっくり聞かせてもら――」 「何を悠長なことを言っている! お前が、俺にした仕打ちを、忘れたとは言わせんぞ! 」
ダイがマリスのセリフを打ち切る。 ケインは、またいつものことかと、構わず、ブタ肉の入ったスープを啜った。
「ねえ、ダイ、そんなことよりもさあ、まずは食べない? 僕、おなか減っちゃったよ」
クリスが、ぽんぽんとダイの肩を叩く。 彼もケイン同様、彼らの争いに興味はないようだ。 そのうち、注文したものが来ると、二人とも、ガツガツと食べ始めた。
ケインは、木の実酒のツボを傾けながら、何気なく、店の中を見回した。
なかなか好印象な食堂だった。
壁にも絵が飾ってあり、テーブルの上にも、一輪ずつ、花が生けてある。
客層も、柄の悪い者などはおらず、どこかの街の商人たちが、寛いでいる様子も見られる。
そのような小綺麗な店であったので、マリスやクレアが仕事をするのに賛成出来たのだ。
ふと、奥の方の席で、彼の視線が止まった。
テーブルに、ひとりで腰掛けて、ツボを傾けている人物だ。
男は、黒いフードを深く下げているので顔は見えないが、その身なりといい、陰湿な雰囲気といい、一見して、魔道士であることがわかる。
(昼間見かけた黒い影は、こいつだ! ) ケインの直感は、そう告げていた。
「貴様、聞いているのか! 」
ケインが、隣からする声に気付いて振り向くと、ダイが真正面から見据えていた。
「なんだ? 何か用か? 」 「用か? ――ではないっ! 」
ダイは、ケインの鼻先に、人差し指を向けた。
「その背中に背負っているものは、世にも珍しい伝説の剣だな? 貴様のような冴えないヤツが、そんなものを持っているとはな。面白いっ! その剣を賭けて、俺と勝負しろ! 」
「はあ? 」
ケインには、面白くもなんともなかった。
「ダイは格闘マニアだからね。きみ、彼は、一度決めたら、とことんやり抜くよ。ほんと、シツコイんだから」
クリスが、ケインにも見えるよう顔を覗かせて、あははと笑った。
「お前は、俺の悪口を言っとるのか!? 」
ダイがクリスを振り向いても、クリスは笑っているだけだった。
「それなら、あたしと勝負しない? 」 カウンターの中から、マリスが人差し指を立てた。
「ほほう、やっと、この俺と勝負する気になったか」 ダイが、笑った。
「あたしのいい練習相手になるもの! もし、この人が、そこそこ強かったら、これからも、あたしの特訓に付き合ってもらうことにしようかしら? 」
「えっ? 」
ケインが目を見開いて、マリスとダイとを見る。
「なんで……? 」
「その方が、ケインだって、クレアにずっと付き合っていられるでしょ? 」
それへは何か言いたげな顔をしただけで、何も言えないでいたケインであった。
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