「お前みたいな不良巫女が、そんなことして大丈夫なのかよ? 」
カイルが、疑り深い目を、マリスに向ける。
「そうねえ。ヴァルから説明してよ。あたしが言うより、皆も安心出来ると思うのよ」
カイルの態度に腹を立てるでもなく、マリスはヴァルに言った。
「マリスでも大丈夫だ。私もゴールダヌス殿から伺ったが、少なくとも、サンダガーのように、ヒトに神を召喚する場合は、神官、巫女などの、白魔術系の素質が必要なのだ。母親は巫女であったため、マリスには、生まれつき高い魔力が備わっていたという。その上、ベアトリクスの神殿で洗礼を受けたからこそ、巫女の中では、 その能力も高い。
サンダガーが彼女に乗り移る時、彼女の身体の周りに白い煙のようなものがたちこめるのを、二人とも知っているだろう? それは、白魔法の呪文によるものなのだ。 神を召喚するには、媒体を神聖化する必要がある。その呪文は、彼女自身によるものなのだ」
感情の、まったくこもっていないヴァルの話は、そこで終わった。 いかにも、自分の勤めは果たしたと言わんばかりに。
「じゃ、じゃあ、それも、……白魔法? 」
俺たちに、マリスが頷いた。
「あたしも、一時期は白魔法を使えたんだけど、『全身浄化』の呪文が使えるようになった引き換えみたいに、それまで使えてた白魔法が、使えなくなっちゃったの」
いまいちピンと来ない俺たちだったが、今の説明で、なんとなくわかった気がした。
ぐるるるるるる……!
俺たちの目の前には、サイの頭に人間の身体をした、ヒトよりも一回り大きい獣人が、数十匹といた。
さっき、俺たちのいた岩山から、さほど遠くはない森の茂みの中だった。
聞こえていた地響きは、いつの間にか止んでいて、動物たちの移動も済んでいるのか。 おそらく、あの地響きは、魔界の王子の復活によるものだったのだろう。
そのように、仰々しく復活した割には、ヤツは、あんまりたいした能力はないみたいだったけど。
ミュミュとカイルは、眠っているジャグやクレアを、村の中心まで、ミュミュの空間移動で何往復もして運んでいたので、ここにはいない。
奴等、モンスターが数十匹、かかってこようと、俺とマリス、それにヴァルがいればラク勝なのは、目に見えていた。
あっけなく、勝負はつき、俺たちの前には、緑色の体液を飛び散らせた、不気味な魔物の死体が、ごろごろと転がっている。
マリスは、俺の貸したマスターソードで、勢いよく奴等をぶった斬っていき、ほとんど、彼女ひとりでやっつけてしまっていた。
俺もヴァルも、一応構えてはいたのだが、最後まで出番はなかった。
マリスは、手をパンパンはたくと、満足そうに、俺たちを見て、笑った。
「それじゃ、あたしは、こいつらを現金に換えてくるわ」 「待て」
ヴァルが引き止めた。
「トアフ・シティーへは、ケインも連れて行け」
俺は、耳を疑った。 が、確かに、ヴァルは、そう言ったのだった。
「ケインを? ……わかったわ」
彼らは、俺の意志も確かめずに、勝手に決めた。
ヴァルが空間から銀色の鎖を引っ張り出し、マリスに渡すと、マリスがジュニアを呼びながら、鎖をたぐり よせた。
「いててて! そんなに引っ張るなよ」
先程出会ったばかりの、魔界の王子が、何もない上空から、鎖のつながった腕を、前に突き出した格好で、 舞い降りてきた。
「げっ! これ、みんな、お前らがやったのか!? 」
正確には、マリスひとりだが。
ジュニアは、魔物たちの死体を目の当たりにすると、左右の色違いの瞳を、思い切り開く。
「ひでえ……! なんてことを! 俺の仲間どもを……」
彼は、しばし茫然と、その光景を見つめていた。
無理もない。 俺たちにとっては、人々を脅かす魔物だが、ヤツにとっては、かわいい僕(しもべ)なのだから。
が――
「ま、いっか。俺の直属の部下じゃねえもんな」 と、開き直ったのだった。
「さすが、魔族。血も涙もないわね」 マリスが半ば感心したように、腕組みをして言った。
きみに言われちゃあ……。
「こいつらと、あたしとケインを連れて、トアフ・シティーまで飛んで欲しいの」 「わかったよ」
彼は、意外と素直に返事をし、パチッと指を鳴らすと、魔物の死体が消えた。
彼らのやり取りの横で、ヴァルが、そっと横にきた。
「いいか、ケイン。奴は、魔力はたいして感じられんが、それは我々を油断させるためかも知れん。どんなに 人間臭くても、相手は魔族だということを、常に忘れるな。怪しいと思ったら、すぐに斬れ」
ヴァルは、俺の耳元で、静かに言い、俺も、静かに頷く。
ちょっとは、俺のこと、頼りにしてるのかな? たいしたことは出来ないらしいと言っていた割に、彼は、ヤツを警戒しているようだ。
「じゃ、行ってくるわね」
ヴァルに手を振るマリスと、俺の肩に、ジュニアが手をかけた時、目の前の視界は、まったく別物になって いた。
きっと、さほど時間は経っていないだろう。
身体に絡み付くような、時空を越える時につきものの、あの独特な違和感は消え、いきなり地に足が着いたので、驚いて、目を開けた。
ジュニアは、ヴァルのように、「もうすぐ着くぞ」などと、親切に予告してはくれなかった。
目の前には、一変して、都会の風景が広がっていた! 甃(いしだたみ)の地面が続き、露店や商人たちの群れ、行き交う町人、馬車、小さな滝のある造られた泉などが、目に飛び込んできていた。
ただ、もう少し、一目に着かないところに、ジュニアが現れてくれれば良かったものを、このような人通りの多い地帯にいきなり現れた三人組を、道行く人々は驚いて目を見開いていた。 だが、それも、一瞬のことで、すぐに、何事もなかったような空気が復活する。
「トアフ・シティー――少しは、魔道に慣れてる国みたいね」 隣で、マリスが静かに言った。
「まずは、人の集まってそうなところにでも行って、換金してくれる場所を探そうか? 」 「そうね」 俺たちは、さっそく、酒場へ向かった。
ビヤ樽の並んだ、ごく普通の、酒場のカウンターにいる、ちょっと無愛想な、太ったオヤジが、じろっと、 俺たちを見て言った。
「注文は? 」 「いいえ、ちょっと、お聞きしたことがあるだけなので」
なにしろ、このところ、ロクな食事をしてこなかったから、本来なら、思いっきり飲んで、食いたいところ なのだが、金もないし、時間もない。
従業員の運ぶ美味(うま)そうな肉の焼いた匂いと、酒の匂いには、ついつられそうになるが、ここは、ぐっと 我慢。
俺は、続けて、オヤジに尋ねた。
「ここの町で、魔物を現金に換えてくれるという噂を聞いたのですが、どちらへ行けばいいのでしょうか? 」
「領主様が魔物に賞金をかけるようになってから、他国からも、賞金稼ぎが、ぞくぞく来るようにはなったが、まさか、おめえたちのようなガキまでが、やってくるとは。お前ら、本当に、魔物を捕らえたのか? 」
オヤジは、「注文もしねえで、まったく、近頃のガキは! 」とでも言いたげな顔で、鼻の下に生えた髭を いじって、余計に、俺たちを、じろじろ見た。
確かに、今、俺たちは、魔物を持ち歩いてはいないが、それは、ジュニアが空間に、しまっておいてくれて いるからなのだ。
「ちょっと人目につかないところに隠してきたの。その領主様のいらっしゃるところを、教えて下さらない? 換金して頂いたら、その帰りには、必ずこちらに寄らせて頂くわ」
マリスの珍しく丁寧な物腰に、俺は首の後ろがくすぐったい気がしたのだが、東方の赤い魅力的な装束に身を包んだ、パッと見、謎の美少女に、にっこり笑いかけられた酒場のオヤジは、気を良くしたみたいで、しかめっ面を、いくらかほころばせたのだった。
こういう時、女はお得だった。どーせ、中身はわかりゃしないんだから。
そのオヤジに教わったとおり、町の中心から離れた森に出た。
夜になりかけているということもあるだろうが、やたら薄暗い森だ。
領主様とやらの館のある敷地は、かなり広いらしく、この森が既に敷地のうちなのだという。
「この森を通る間にも、魔物に出くわしそうね。まさか、賞金稼ぎにやる賞金はない、なんていうつもりなんじゃないでしょうね」
「まさか……な」
マリスと俺は顔を見合わせる。
森に、一足踏み入れた途端だった。 木々一本一本が、森全体が、一斉にざわめいたのだった!
風もないのに、さわさわ、ざわざわと、森に巣くうものたちの、異物の侵入を拒むような、ただならぬ神経質な空気が、俺たちに降り注がれている。
今すぐ、俺たちを襲うでもなく、遠くから、高いところから、俺たちの進んでいくところ、いくところ、 ざわめきが待ち受けていたのだった。
普通の人間では、到底我慢は出来なかったかも知れない。 魔物の姿は見えず、ざわめきだけが先回りしているのだ。 いっそのこと、例え恐ろしい異形の魔物であろうとも、姿を現してくれた方が、何倍もマシだ。
「皆、俺様の復活を喜んでやがるぜ! 」 マリスの隣で、ジュニアが感動していた。
そうか、お前のせいか!?
その時、
『魔だ。強い魔力を感じる』 『あいつだ。あの人間の女だ』 『なぜ、人間なのに、あれほどの魔力を……? 』
姿は見えないが、耳を澄ますと、そのような言葉が聞き取れる。 魔物の声なのだろう。
霊感のほとんどない俺でさえ、奴等の言葉が、こうもはっきりと聞こえるというのは、ジュニアが一緒だからか、それとも、この場所が、それだけ魔物の力が大きいということなのだろうか?
俺が今まで足を踏み入れたことのない領域に、どうやら、入り込んでしまったようだ。
ふと、隣のマリスを見てみる。 彼女などは、俺よりは、その世界に慣れているせいか、全然驚いてもいないようだった。 ただ凛とした表情で、そのまま森を突き進んでいる。
『人間のくせに、以上な魔力だ』 『危険だ。我らには危険だ』 『今のうちに、何とかしなくては……! 』
森のざわめきが一層大きくなった時、マリスは、目だけ俺に向けた。 俺も、黙って見返す。 こんなところで、戦闘が始まろうというのか!?
「えーい、静まれ! 」
いきなり、ジュニアが吠えた。 森の見えない妖魅どもが、一瞬で静かになる。
「さっきから聞いてりゃあ、なんだ、てめえら! せっかく、この俺が復活したってのに、騒いでたのは、俺様の復活を喜んでいたわけじゃなかったってのか!? 」
彼は、地団駄を踏んで、怒っていた。
それは、魔界の王子である彼にしてみれば、非常に心外だったに違いない。
『王子だ! 王子殿下が、ご復活なさった! 』 『我らが王子殿下、ばんざい! 』
妖魅どもは、今初めて気が付いたのか、慌てたように、口々に、ジュニアを讃え始めた。
「ふん! なんでぇ、白々しい! 」
彼は、腕を組んで仁王立ちになり、そっぽを向いた。完全に、機嫌を損ねていた。
「お前ら、隙あらば、この女の生気を吸い取ろうと思ってただろうが、俺の命令だ、この森を抜けるまで、一切こいつらには手を出すなよ。わかったか」
妖魅どもは、次第におとなしくなっていき、あの妙なざわめきは、だんだん薄れていった。
「へー、お前、そんなことができるのか。おかげで、戦闘にならずに済んだぜ」
思わず感心して言うと、彼は手を腰に当てて、えっへんと威張ってみせた。
「魔力は全快してなくても、俺様の威厳は健在さ! どーだ、すごいだろー! 」
「別に、あんな魔物たちが襲いかかってきたところで、痛くも痒くもないけどね」 暴れられなくて、残念そうに、マリスが言った。
その時、近くで女の悲鳴が聞こえた。 俺とマリスは、一気にダッシュしていった。
「きゃあああ! 」 ひとりの女性が、小人くらいのものに衣服を引っ張られている。 そいつは、一見して、明らかに、小人族とは違う。緑色のつるつるした皮膚をして、背中は曲がり、でこぼことしている。
頭には二本の触角が、うねうねと動き、長く尖ったエルフのような耳が、左右に張り出した、魔族の小人だった!
俺は、マスターソードを突き出し、小人と女の間に入る。 すぐにぶった斬ってもよかったのだが、ジュニアの手前、躊躇った。 ヒトにとっては敵でも、ヤツにとっては同じ種族なのだ。
この場では、できれば、彼に、さっきみたいに引っ込めてもらった方がいいだろう。
「ジュニア、あいつを止めて」
同じように思ったのか、マリスが言うと、ジュニアは、片手を小人に翳した。
「げぴっ! 」
小人は、変な音を発して、俺の目の前から消え失せた。
「殺したの? 」 マリスも俺も驚いてヤツを見る。
「ああ。どうせ、またすぐに湧いてくるからな」
ヤツは、何事もなかったかように、平然としていた。 なんだ、だったら、遠慮せず、ズバッといけばよかった。
「大丈夫ですか? 」
俺は、後ろに庇った女の人を振り返った。 よく見ると、彼女の腕には、赤ん坊が抱かれていた。
「ありがとうございます。ああ、なんとお礼を申し上げてよいやら……」
気が抜けたのか、一見して町民のその女の人は、へなへなと、その場に座り込んでしまった。
「なぜ、こんなところを歩いていたの? しかも、子供連れで、さっきの妖魔は、きっとその子を狙ったんだわ。下等な魔物でも、魔物ってのは、赤ん坊の生き血が好きなものよ。いかにも、こんな魔物の巣の中を、 お守りや魔除(まよ)けもなしに通ろうなんて、無茶もいいところだわ」
明らかに、その女性の方が年上であるにもかかわらず、マリスがずけずけと言った。
「しかし、僕がやっつけてしまいましたから、もうご安心下さい。美しい奥さん」
誰かと思ったら、俺の横にジュニアが来て、やさしく彼女の肩に手をかけると、左右の色の違う宝石のような瞳をきらめかせた。
その瞳に魅了されたように、女性はしばらく、ヤツから目を反らすことが出来ないでいるみたいだった。
「やあ、かわいい赤ちゃんだなあ! あれほど、お母さんが大変な目に合っていたってのに、こんなにぐっすり眠っているとは、たいした子だなあ! 」
ジュニアは、にこにこしながら、母親の手から、赤ん坊を抱き上げると、あやし出した。
こいつ、子供好きなんだろうか!?
「ところで、さっきも聞いた通り、どうして、こんなところを歩いていたんです? 」
へたり込んでいる母親に、再度尋ねてみると、彼女は、我に返ったように、俺を見上げた。
「領主様のところへ、年貢を納めに参ったのです。その帰りに、ついうっかりと、いつもの道を通ってしまったのです。いつもは、もっと早い時間で、子供を連れてはいませんでしたから。しかし、この森では、早い時間帯であっても、子供を連れている時は、別の道を通らなくてはならないのです。魔物が子供を狙って現れることは 聞いてはいましたが、まさか、本当に――」
話の途中で、ジュニアが、カプッと、赤ん坊の腕に噛み付いた!
俺も母親もびっくりした。
「こら! 何してんの! 」 マリスが、ごつっ! と、ヤツの頭を殴った。
ヤツは、呻きながら、殴られた頭を押さえてしゃがみ込む。
わんわん泣いている赤ん坊を、俺が引ったくって取り上げ、女性に返した。
「いてえなあ! あんまり美味しそうだったから、つい……。なんだよ、ほんの出来心じゃねえか! 」
ジュニアが涙目になって、マリスを見上げる。
どうやら、『違う意味で』子供好きだったらしい。
「そ、その人は、人間じゃないのですか!? 」
「や、やあね。そんなことないわよ。冗談よ、冗談! 」
マリスが取り繕った笑顔になって、ジュニアの頭を無理矢理押さえ、謝らせた。
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