『こら、起きろ』
(……ん……? )
『起きろってば。ったく、しょうがねーなー。ヤナの技をモロにくらっちまいやがって。油断するからだぜ』
はっきりしない意識の中で、マリスは、以前もこのようなことがあったような感覚を覚える。
(……いつだっけ? その時も、やっぱり、あたしは意識を失ってて……)
その時、何かが唇に触れた。 暖かい光が、身体の中に注ぎ込まれていくように感じる。みるみるそれは、足の先にまでも広がっていく。
次第にはっきりとしていく意識の中で、マリスは、うっすらと目を開けた。
「……!? 」
黄金色の髪をたなびかせた白い顔が、目の前に迫っていた。徐々に、それが何をしているのかも、わかってきたのだった。
「あ、あなた、……サンダガー!? 」
それは、マリスとヴァルドリューズが召喚する時のような、金色の甲冑ずくめではなく、まだベアトリスにいた時の、正確には、マリスの意識の中で、初めてサンダガーと出会った時のように、生身の人のような、白い布を身体に巻き付けた、神がかった姿の彼であった。
緑色の宝石をはめこんだような、美しいがつり上がった、どちらかというと邪悪に見える瞳も、そのままである。
完全に意識の戻ったマリスは、サンダガーの腕に抱えられていることがわかったところであった。
「途中でやめんな」
彼はそういうと、かぷっと、マリスの唇を、食べるように覆った。
「なっ、なにすんのよっ! 」 マリスは暴れて、サンダガーの顔を押しのけた。
「人が寝てる間に、なんてことを……! 卑怯者っ! 」
「こらっ! バタバタ暴れんな! お前に生命エネルギーを注いでやってるんじゃねーか」
「生命エネルギー……? 」 マリスは、とりあえず、手を止めた。
「そうだ。ヤナの攻撃をまともにくらったお前の精神は、大きなダメージを受け、マジで危ないところだったんだぞ。この巫女のねーちゃんの身体ん中で、お前の精神のみが死んじまったら、お前の方こそ、廃人になっちまうんだぜ。知らなかったのかよ? 」
サンダガーの見下ろすマリスの顔面が、蒼白になっていく。
「……し、知らなかった……」 「けっ。まったく、そんなこったろうと思ったぜ」 彼は、呆れた顔で、肩をすくめた。
「待ってろ、もうちょっとで、全快だ」 サンダガーの顔が、近付く。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 」 「ああ? なんだよ」 彼は、怪訝そうに、顔を歪めた。
「生命エネルギーって、……あの、そういうやり方しかできないの? 回復魔法みたいに、てのひらから光線出すとか……」
「なんでだよ」
首を傾げるサンダガーに、マリスの顔は、ボッと赤くなり、キッと、彼を睨みつけた。
「なんでもなにも、あなたねー、この微妙なお年頃の女の子に向かって、もうちょっと気の利いたやり方考えといてくれないわけ? 」
「これが一番手っ取り早いんだよ。生死をさまよってる人間を、じっくり回復して、どーすんだよ。死んじまうじゃねーか」
「そっ、それは、そーだけど……なんか、これじゃあ、まるで……キスしてるみたいじゃないの……」
サンダガーは、じっとマリスを見下ろすと、突然笑い出した。
「神が、そんな俗っぽいことするかよ。はーははは! 」
(だって、あなた、そーとー俗っぽいじゃないのさ) マリスは、呆れた目で、神を見据えた。
「今のお前は本体じゃなく精神なんだから、特に、こうするしかねーんだよ。実際に口づけてるわけじゃねーんだから、なにも、そう意識することはねーだろ」
「そ、それはそうなんだけど、……不本意な男から、そういうことされるのは、どうも気が進まないし、……だいいち、精神に口づけられてるなんて、もっとイヤな響きだわ」
そう言われても、サンダガーは、気にもせず続ける。
「これはな、お前にも使える能力なんだぜ。もし、誰かが死にそうになった時、そいつを助けたければ、お前の生命エネルギーを、そいつに注いでやればいいんだ。自分の生命力を減らしてでも、助けたかったら、使ってみな。そういう風に念じるだけで、相手に伝わるはずだからよ。俺様は、生命力あふれる神様だから、その加護を受けているお前にも、出来ることなんだぜ。どうだ? いいこと知っただろ? 」
「……そんな都合のいいこと、ほんとに……」
「できるさ。だから、お前が、巫女のねーちゃん助けたかったら、その能力を使えばいいんだ。ぐっすり眠れば、お前の減った分の生命エネルギーは、元に戻るんだから、心配することはねえ。ただし、注ぎ過ぎには注意しろよ。自分の生命まで危険になり兼ねないからな」
「でも、クレアが廃人になっちゃったら、生命力を分けても……」
「大丈夫だ。身体のすべての機能が復活するからな。廃人だったとしても、ちゃんと目を覚まして復活するはずだぜ。ただし、今回の場合は、ねーちゃんに巣食ってるヤナを倒さないことには、復活しても、『ヤナとして』復活しちまうけどな」
「そう。わかったわ。じゃあ、さっさと、あいつを倒さなくちゃ」 マリスは、サンダガーの腕の中で、起き上がる。
「だから、回復してやってるんだろ、お前を」
サンダガーは、マリスの肩を押し、彼女の身体を自分の腕の中に押し戻すと、唇を重ねた。
暖かいエネルギーが、彼の唇を通して、彼女の全身に行き渡る。 精神のみではあっても、身体のきかなかった部分が、軽くなっていき、痛みも、けだるさもなくなっていくのがわかる。
「……ねえ、サンダガー」 「黙ってろ」
「……怒ってないの? 」 「なにがだよ」
「……あたしが、ベアトリスの辺境に迷い込んじゃった時、そこの次元の歪みから脱出しようとして、あなたを煽てて騙したことがあったわ。あれ以来、怒って、もう出て来てくれないかと思った。でも、あなたは、こうやって、あたしを助けてくれてるし、クレアのことだって心配してくれてる」
「俺は神なんだぜ。そんな細けえこと、いちいち根に持つかよ」
「……そう……」
「いいから、もう黙ってろ。回復に時間かかるぞ」 「うん……」
マリスは目を閉じ、あとは、獣神に身を任せた。
しばらくして、マリスの精神は復活したのだった。
「じゃ、行くか」 「えっ? 」
マリスは驚いて、サンダガーを見上げた。
「行くか、って……? 」
「もちろん、俺様も、一緒についてってやるに決まってんだろ」
「あなたが? なんで? 」
「なんでえ、その疑り深い目は。お前ひとりじゃ、あのヤナは倒せねえ。だから、俺様が、手伝ってやるのよ」
「手伝うって……わーっ! だめだってば! ここは、クレアの精神の中なのよ! あんたみたいに、山ひとつ刮げとっちゃうような大雑把な技、こんなところで使ったりしたら、それこそ、クレアの精神が、破壊されちゃうじゃないの! 」
「けっ、あの巫女のねーちゃんの精神なんか、前から、ぶっ壊れてんじゃねーかよ」 サンダガーは、腕を組んで、悪態をついた。
「なんてことを……! そりゃあ、クレアは、潔癖で真面目なあまり、時々おかしなことを言うかも知れないけど、精神に異常をきたしてんのは、あんたの方だってば、カミサマ! 」
「とにかく、ついてこい、マリス」 獣神は、いきない走り出した。
「ま、待ってよ! 」 マリスは、慌てて後を追った。
「ヤナ! 」 サンダガーの声に、白い装束の巫女ヤナが、振り返る。
『誰です? お前は』
マリスは、足をすべらせそうになった。
「てめえ、巫女のくせに、神である俺様を知らないのかよ? 」
そういうサンダガーは、たいして気分を害してはいないようで、両腕を組み、仁王立ちになった。
「俺様は、何を隠そう、ゴールド・メタル・ビーストの化身、獣神サンダガー様だ!どーだ、恐れ入ったかー! はーっははは! 」
(はっ、恥ずかしいヤツっ! こんなところに来てまで) マリスは、呆れながら、獣神を見上げている。
『獣神ですって!? 汚らわしい獣の神が、いったい、どうして、こんなところに! 』
「それを言うなら、てめえもだろ? 女神モラこそは、ジャグの作ったまがいものの神、邪神に違いねえっ! 」
『なんですって! なんということをいうのです! 』
ヤナの身体は、また大きく揺れ出した。
サンダガーは、調子づいた。 「お前たちの種族では神だと崇めていてもなあ、俺様は、本家本元のカミサマだぜ! ホンモノは出来が違うのよ、出来が! はーっははは! 」
『うそです! モラ様は、作り物なんかではありません! 』 ヤナの身体が、ぐにゃぐにゃと揺れていく。
「だったら、なんだって、そんなに動揺してるんだよ? おめえが、モラ様の第一の巫女なんだったら、呼んでみろよ、ご主人様をよ。ちゃんと待っててやるからよ」
ヤナの身体は、ますます揺れ、形をとどめるのも難しく、蒸気のようにゆらめくばかりであった。
『おお! モラ様! あなた様を崇拝し、死しても尚、あなた様を信仰している使徒ヤナを、お救いください! そして、どうか、この不届きな邪神に、天罰を! 』
だが、何かが起こる様子はない。
『この邪神は、恐れ多くも、あなた様を、まがいものなどと呼んだのです! モラ様! 』
ヤナが両手を天に向かい、掲げるが、やはり何も起こらない。
「ふん、やはりな。ヤナよ、教えてやろうか、モラの末路を、そして、真実を」
マリスは、サンダガーに注目した。
「モラは、邪神ゆえに、他の女神たちによって、一〇〇年以上前に、倒されてんだよ。女神たちの戒律を守ることが出来れば、神として認めてもらえるかどうかの瀬戸際だったが、所詮は邪神。邪の心を捨て切れなかった。そればかりか、ある女神の座を乗っ取ろうとしたため、返り討ちにされ、滅ぼされた。
それから一〇〇年たった今でも、あの魔界の王子を封印し続けられたのは、王子にたいした魔力が残されていなかったことも大きいが、後は、お前の、モラに対する信念のみだったわけだ。
邪神であるモラ自身は、とっくに滅びてんだよ。それを、お前だって気付いていたはずだ。
とっくに、モラの神託なんかは聞こえなくなってた。だが狂信的に信仰していたお前は、真実を認めたくなくて、自己暗示をかけた。
そんなのは、もはや、信仰心とは言えない。お前の、自分の間違いを認めたくないゆえの、自己満足にしか過ぎない。そんなお前は、巫女とは呼べねえよ」
冷めた瞳を、ヤナに浴びせる。
ヤナは、サンダガーに対して、憎悪を募らせていくのが、マリスから見ても充分わかる。
ヤナが怒りを隠せない目でサンダガーを睨むと、突然、クリスタルの塊を――マリスに放ったものよりも、さらに巨大なものを大量に、サンダガー目がけて、飛ばしたのだった。
サンダガーの受けたダメージは、マリスにも及ぶ。マリスが防御のため、ダメもとで両手を突き出すが、サンダガーが手で制し、クリスタルの塊を一睨みしただけで、その巨大な塊は、ひゅんと空中で消えてしまったのだった。
「さーて、では、本家本元の神の力を見せてやるか! 」
獣神は、片方のてのひらを、ヤナにかざす。
「待って! ここは、クレアの中よ! 」
マリスは、必死にサンダガーの腕にしがみつくが、彼の腕を降ろすことはできず、ぶら下がっているだけであった。
「そんなことはわかってるから、安心しろ」
ピカッ!
サンダガーのてのひらから、金色の光が伸びていき、ヤナの身体を、いとも簡単に突き抜けた。
『ぎゃーっ! 』
煙のように揺れていたヤナの身体は、一瞬で、塵のように舞った。
「まだまだだぜ。完全に消滅させねえと、巫女のねーちゃんに影響出ちまうからな」
そう言うと、サンダガーは、もう一度、今度は大きな金色の丸い球を、同じところに向け、発射させた。
マリスが出したものよりも強く、美しく輝き、大きさも、何倍もあった。
ヤナの断末魔の叫びが響いたが、塵と化した身体も、金色のボールも、一瞬にして場から、なくなっていた。
「これで、ヤナは消滅した。さ、巫女のねーちゃんを探すぜ」 「え、ええ」
消滅――撃退でも、成仏でもなく、消滅であった。
マリスが苦労したヤナを、サンダガーは簡単に倒し、今回は、いつものようにやり過ぎなかったのは、クレアの精神の中だということを、配慮してのことだろうと、マリスは、少しだけ、彼を見直した。
その後、二人は、くまなく探しまわったのだが、クレアの意志らしきものは、なかなか見付けられずにいた。
「どうしよう、クレア、見つかんない……」 「大分、存在が『薄くなっちまった』だろうし、ヤナのヤツによって、随分、深いところまで、沈められちまったのかも知れねえな」
「クレアー! クレアー! 」
マリスが呼びかけながら、うねりの中を歩き回るが、進めば進むほど見つかる様子もない。ぽたぽたと涙が彼女の頬を伝っていく。
「せっかく、ここまできたのに、クレアを助けることが出来ないの? このままじゃ、ヤナは倒しても、クレアが廃人に……! 」
はたはたと、マリスの頬を、涙がとめどなく流れていく。
「おーい、巫女のねーちゃんやーい。どこだー? 」
キッ! と、マリスは、横目で、サンダガーを睨んだ。
(こいつ、邪悪な顔とはいえ美形の神のくせに、なんで、こんなに無神経なのかしら!? ヒトが、感傷的になってるってのに! )
その時だった。
『……マリス……』
微かに、聞き覚えのある声のような思念が、伝わって来る。
「クレア? クレアなの? 」 マリスは、夢中で、声のする方を探した。
「こっちだ」 サンダガーが走る後を、彼女も追う。
急な斜面が現れた。
「こんなところがあったなんて」
うねりの斜面を見上げているマリスに構わず、サンダガーが、崖になっている斜面を、ふわっと舞い降りる。
マリスも、そのように念じて、続いていく。念じるだけで、魔法でなくても、降りていくことができた。
「あそこだ! 」
サンダガーの指差す先には、ほとんど透明の、両手ですくえるくらいでしかない、小さな水溜りがあった。
「クレア……! 」
マリスの心臓が、どくんと大きな音を立てた。
(まさか、もう手遅れなんて……! )
獣神とともに、崖の底へと降り立ち、足元の水溜りを見下ろす。
「間違いねえ。これが、あの巫女のねーちゃんだぜ」 サンダガーの声も、マリスには、心なしか、静かに聞こえる。
「クレア……! 」 マリスは、脱力して、がくっと膝をついた。
「そんな……! 信じられない。こんな僅かな水溜りが……これが、クレアだなんて……! 」
マリスの頬を、また涙が伝う。
「さっき教えた生命エネルギーを注いでみろ」 サンダガーが言う。
「注ぐったって、こんなのにどうやって」 「どこでもいいから、やってみろ」
マリスは、はらはら泣きながら、水溜りの中央に、そうっと口をつけた。
水ではなく、精神の塊であったのは間違いないと、感じられた。冷たくはあっても、 透明ゼリーのような、少し弾力が感じられる。
(生命エネルギーをクレアに……生命エネルギーをクレアに……! ) マリスは、精一杯そう念じていた。
しばらくすると、透明な塊は、大きく、ヒトの形へとなっていき、マリスの口づけているあたりが、ちょうど顔のような輪郭が出来ていく。と同時に、青白く発光していったのだった。
人間らしい形になった塊を、彼女は、両腕に抱え込んだ。
それは、やがて、今の彼女のように半透明のヒトとなり、青白い発光も消えていくと、クレアの姿になっていた。
「クレア! 」
クレアの瞳が、うっすらと開いていく。
「……マリス……? 」
か細いが、微かにそう言ったのがわかり、マリスは感激して声が出せず、代わりに、彼女を抱きしめ、泣いていた。
「良かった、クレア、もとに戻って! 」 「マリス……私……」
まだうつろな瞳の彼女を、再度、マリスは抱きしめた。
「マリス、ありがとう……助けてくれて」
途切れ途切れの言葉に、マリスの頬は乾くことはない。
「ほらほら、そのくらいでやめといてやれ。このねーちゃんは、まだ『病み上がり』なんだからよ。そんなに精神の部分に刺激を与えちゃいけねえぜ」
サンダガーが、マリスの腕からクレアをそうっと抱きかかえると、その崖の斜面をゆっくりと浮かび上がっていった。マリスも続く。
「これで、ねーちゃんも自然に目を覚ますことができるだろう」
ヤナと戦った、マリスが初めに辿り着いた場所まで戻り、半透明のクレアの身体を、そこに寝かせ、サンダガーは言った。
「じゃ、俺たちも、そろそろ戻るぞ」
「クレアは、あのままで本当に大丈夫なの? 」
うねりの地に寝かせている半透明の身体を、心配そうに、マリスが見つめている。
「大丈夫だ」
そこへ、
『……クレア、……クレア……』
マリスが、耳を澄ませる。
「これは、……ケイン!? ケインがクレアを呼んでるんだわ! 」 嬉しそうに、天を見上げる。
「な? ちゃんと、呼びかけているモンもいるようだし、これで、ねーちゃんは、廃人になることなく、目を覚ますだろう。さ、帰るぜ、マリス」
マリスはサンダガーに手を引っ張られ、すうっと浮かんでいった。
身体は、初めは動かなかった。かすんでいた景色も、徐々に、はっきり見えるようになっていく。なんだか騒がしい。なんだろう……?
マリスは、何度も、まばたきをした。
「気が付いたか」
ヴァルドリューズの碧い瞳が、いつもと変わりなく、マリスを見下ろす。
(どことなく、やさしく見えるけど、気のせいかな? )
彼に手伝ってもらったマリスは、ゆっくりと身体を起こし、座ったまま、ヴァルドリューズを見上げた。
「ご苦労だったな。思ったよりも時間がかかったので、心配したぞ」
「ほんとか〜? 」と、疑いたくなるような平坦なセリフではあったが、マリスには、彼なりに心配してくれていたのだろうと、受け取れた。
隣に寝ていたはずのクレアの身体が、そこにないことで、彼女が先に目を覚まし、回復しているのだと、安心した。
「クレアは? 」 「あちらだ」
ヴァルドリューズの指し示す方に、一行の男たちと、マリスの見知らぬ女の子、クレアがいるのが見られた。
「良かった。クレア、ちゃんと立ってる」 マリスが、安堵の笑顔になったところだった。
「きゃーっ! 悪魔ーっ! 」 「うわーっ! 」
近付いていった魔界の王子ジュニアを突き飛ばすと、いきなり、クレアのてのひらから、白い電撃が放たれた!
ジュニアは、ぶすぶす黒焦げになり、ぱたんと、倒れた。
「……なに、あれ……」
マリスの口からは、呆然と、言葉がもれていた。
死ぬ思いで戦ったマリスは復活したが、感動の再会など、そこにはありはしなかった。
エピローグ
「マリスのおかげで、こうして戻ることが出来たの」 クレアが、皆に、精神の中でのマリスの戦いを伝えた。
「そーだよ、すごい戦いだったんだぜ! マリーちゃんだって苦戦して、かなり危なかったんだぜ。あの獣神が出て来なかったら、マリーちゃんこそ、廃人になっちまうとこだったんだ! 」
黒焦げから自然回復したジュニアが、威張るように腕を組んだ。
「そ、そんなに、大変だったのか!? 」
ジュニアに術を解かれ、元通り男に戻ったケインは、今度は、自分の声に、内心驚く。
マリスは、腕を組み、横目でケインを見た。
「だいたいね、ケインたら、どこに行ってたのよ? クレアが大変な時に、側についてもあげずに。もっと仲間思いな人だと思ってたのに、白状なのね! 」
「そ、それは……、どうせ、俺がいても何も手伝えないなら、と思って、トアフ・シティーの領主を倒しに……」
マリスは目を見開いてから、ケインを正面から見据えた。
「あら、あたしたちが大変な思いをしている間に、自分は、そんなおいしいことしてたの? そっちだって、後で、あたしが退治してやろうと思ってたのに、せっかくの暴れられるチャンスを、横取りしてくれちゃったってわけ? 」
「しょうがないだろ。マリスにあんなことした領主を、どうしても許せなかったんだから」
ケインが、少しだけ頬を赤らめ、マリスから目を反らした。
マリスが、目を丸くして、ケインを見直す。
「敵を討ってくれたの? ケインて――」 ケインの頬が、ますます赤らむ。
「やっぱり、仲間思いだったのね? 」 マリスが、嬉しそうに微笑んだ。
「いや、仲間思いって……ああ、まあ、そうかな」 ケインはごにょごにょ口の中で言った。
「でも、正義を貫く勇者が、私情を挟んでいいのかしらねぇ? 仲間の仇を取るためとはいえ、正義のための剣を使うなんて」
マリスは、わざと意地悪く言った。 ケインは、「うっ! 」と、言葉を詰まらせる。
「そうだぞ、ケイン。だいたい、お前は、あの剣の恐ろしさもロクに心得ず、いつも簡単に使おうとしやがって! 魔族の俺様からみても、お前は充分危険人物だぞ! 」
マリスの隣に寄って来たジュニアも、腕を組んで威張る。
「しかも、女になったら、あたしより可愛かったし」 「そ、そんなことないよ」 「あー、それは、俺様の美的センスのおかげだけどな」
ケインが困っているのを充分確認してから、マリスは、ふっと瞳を和ませた。
「でも、……ありがと」
困った顔のまま、頬を赤らめたまま、ケインは、微笑するマリスを前に、何も言えないでいた。
「えっ? マリーちゃん、もう説教終わりかよ!? ちょっと甘いんじゃないの!? またケインばっか依怙贔屓しちゃってんの!? 」
側でごちゃごちゃ言っているジュニアに取り合わず、マリスは、ヴァルドリューズの方に向いた。
「それで、結局は、どうだったの? 」
ヴァルドリューズは、トアフ・シティーでのことを、ざっと皆に伝えた。
怪し気な領主は、実は妖魔であり、それと組んでいた魔道士の塔お尋ね者のヤミ魔道士ジャクスターが、魔物の死体を集め、加工し、売りさばいていたこと。
そして、魔物の肉を食べて、魔物化した人間は多く、謎の変死を遂げたりしていたが、中には、何の症状も現れない者もいた。
その代わり、彼らは、それぞれある特殊な能力を身につけているというのだった。
彼らは、ある闇の集団に引き取られていった。
ヴァルドリューズがその組織のことを詳しく聞こうとすると、ジャクスターが自害してしまったということだった。
「なんて非人道的な、恐ろしいことを……! 」 クレアが、両手を口に当てる。
「まったく、ひでえことするやつらだぜ。で、その領主の城は、どうしたんだ? 」 「焼いた」 カイルの質問に、ヴァルドリューズは、あっさりと答える。
「それじゃあ、きっと、今頃、トアフ・シティーは、大騒ぎになってるだろうな」 カイルは、にやにや笑った。
「それで、マリスの方はどうだったんだ? サンダガーが出て来たって言ってたけど、何で? 」
はっと、マリスが、尋ねたケインを見る。
サンダガーに抱えられ、口づけられた場面が甦る。
(……ま、サンダガーの、生命エネルギーの能力のことは、別に言わなくてもいいか……)
ケインの心配そうな顔を見ているうちに、マリスはそう判断し、巫女ヤナのこと、女神モラの末路、サンダガーの圧倒的パワーによって、ヤナを消滅出来たことを、さらっと説明するに留めた。
「……てことで、今度は、ちょっと街で資金繰りをしてから、次元の穴を探し、魔物を退治していきましょう」
マリスが、皆の顔を見回した。
「この世にはびこる悪を倒し、正義のために、みんなで力を合わせて、頑張りましょう! 」
いつものごとく、クレアもにっこりと続いた。
「ジュニア、まずは、トアフ・シティーへ飛んでちょうだい。あそこがどうなったか見届けてから、どこかの都市で、稼げそうなところを当たるのよ。じゃあ、お願いね」
「ちょっ、ちょっと待ってよ、マリーちゃん! こんな大勢を、俺ひとりで運べっていうの!? 」 ジュニアが慌てる。
「当たり前でしょう? ミュミュはひとりずつしか運べないし、ヴァルの魔力は、なるべく減らしたくないんだから。さあ、やってちょうだい」 「ちぇーっ」
ジュニアは、いやいや結界のような空間で、一行を包み込むと、姿を消した。
彼らには、空間ごと移動しているのが、なんとなくわかったが、それは、すぐに止まってしまった。
「だめだよ、マリーちゃん。マリーちゃんとあの女の子の『白のパワー』が強過ぎるみたいで、これ以上無理だよ」
マリスに睨まれ、魔界の王子が身をすくめる。
「あんたってば、いったいどんな役に立つっていうのかしらね! しょうがないわ。ヴァル、お願い」
ヴァルドリューズが結界を張り直す。
その間、ジュニアは、よいしょっと肘を付き、横になっていた。 それを見る限りでは、皆には、なんだかんだ言ってはサボっているのが見え見えだった。
「ああ、あんたはダメよ。自分で行けるでしょ? ヴァルの結界で行くのは、あたしたちだけよ」
「ええーっ! 」 ジュニアが不平一杯の声を上げた。
「ひどいよー! 俺、マリーちゃんが、ヤナと戦った時に、魔力使って中継してたから、すっげえ疲れてんだぜ。ちょっとくらい休ませてくれたって……」
「いやなら、出て行けばいいじゃないの。これなら、いつでもお返しするわよ」 マリスが、ジュニアの目の前に、黒い宝石ダーク・ストーンをちらつかせる。
「ううっ、なんてこった! どうして、俺様は、こんな悪女に惚れてしまったんだろうか!? 」
(惚れたとは言っても、所詮は魔族だからか、惚れた女に、あまり誠実なようには見えないけど……) ケインは、しょうもなさそうに、魔界の王子を見た。
ジュニアが嘆きながら、ふいっとヴァルドリューズの結界から、出て行く。
ようやく、彼らは、新しい目的地へと向かうことになったのだった。
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