二つの青白い炎のような影が、俺とマリスに向き直っていた。
背の高い痩せた男の姿と、それより少し低いところに、魔界の王子ジュニアの姿がある。
彼の色違いの目は、それぞれの色に光っていた。
俺は、いつでも剣に手がかけられるように構える。
「……これは、これは……! よりによって、なんと珍しい人間どもだ! 」
痩せた背の高い魔族の男が、声を上げた。 魔道士のような平坦な喋り方よりは、多少抑揚がある。
「そちらの娘は、世にも珍しい獣神を背負っている。このようなヒトを見るのは、実に一〇〇〇年ぶりのことだ! 」
王子の第一の家臣だというその魔族は、感嘆にも似た声で言う。
「そして、その隣にいるのは、伝説のバスターブレードとマスターソードを合わせ持つ、非常に稀な人間であるな。その二つを同時に手に入れるなどとは、今まで類を見なかった。これは、神側のいたずらか、単なる偶然か! 」
男の、氷のような冷たい目が、俺に注がれる。 ジュニアの目の光が、一層強まった。
「なっ? どっちも、俺たち魔族にとって、脅威になる存在だと思わねえか? 」 「それは、もう」
二人は顔を見合わせてから、視線を俺たちに戻す。
「それにしても、たかが人間のくせに、なんという魔力だ、あの娘は! あれでは、行く先々で、魔物どもを刺激してしまうだろう。それでこそ、獣神を操れるとも言えるが」
どうやら、奴等のように発光している光が強いほど、それが魔力の象徴となっているらしい。
俺などは、もともと魔力0(ゼロ)なので、やっと身体の輪郭が見えるくらいだが、マリスは黄金色に光り輝いている。
他に魔道士や神官などの魔力の高い人間がいれば見比べられ、彼女の魔力が、どれだけ人離れしているかが、もっとはっきりわかったことだろう。
「あの娘の母親は巫女だと。だから、魔力が高いのは生まれつきなんだろう」 「少なくとも、ここまでの魔力になるまでには、巫女や神官の素質が必要でしょうから。でなければ、獣神などが背後についたり、ましてや、呼び出したりすることはできないでしょう。一〇〇〇年前の人物も、やはり、そうでした」
家臣は、ジュニアに対しては、非常に丁寧な物腰だった。
「そして、伝説の剣の持ち主たちは、例外なく、魔力のあまりないものたちであった」
ゆっくりと、凍るような視線を、男は、俺に注いだ。
「神との戦いは、我々魔族との間では、いわば宿命のようなもの。別段、珍しくもない。だが、ヒトとの戦いは、楽な面もあれば、非常に厄介な面もある。魔力がないというのは、我々にとって、まず探知がしにくく、予測がつかない。おかげで、予定外のところで、仲間を多く失ったこともあった」
「神に守られたその女のことは、ひとまず置いておくとして、……ケイン、やっぱり、お前は、俺たち魔族にとって、邪魔な存在らしいな」
それまでの、ジュニアの少々愛らしく思えていた顔立ちが、にやっと獰猛な笑顔になっていく。
「お前が、俺を倒そうとしたのと同じように、俺にとっても、お前は、今のうちに潰しておいた方がいいような気がするぜ」
そう言い終わらないうちに、ヤツの姿が揺れる。
「うっ! 」
何かに強く突き飛ばされたような衝撃を感じると、俺の身体は、闇の地面を転がっていた。
「ケイン! 」
金色に輝いたマリスが駆け寄り、俺は抱き起こされた。 腹の、突かれたあたりが、痺れ、痛み出した。
俺は片方の目で、前方を睨み据えた。
「どうやら、この魔空間では、家臣の言ったように、俺の力は戻ってきているらしいな」
ジュニアは、さっきの位置から、まったく動いてはいない。 ただ片方の手を、俺に向かって、突き出しただけだった。
「さすが、生身の人間だぜ。他愛もない。この程度の力で、そこまで吹っ飛ぶとはな」 クックックッと、王子は笑い声を漏らした。
そして、ヤツは、マリスの取り付けた、ゴールダヌスの発明だという銀色の首輪と鎖を、簡単に外してみせた。鎖は、てのひらの上で、シュボッと青い炎に焼かれて、粉と化した!
「俺を生かしておいたのを、今さら悔やんでも遅いぜ。ここは魔空間だ。よっぽどでなければ、中等以下の魔族ですら、入っては来られない。魔道士なんかは、なおさらだ。てわけで、泣いても叫んでも、あのヴァルドリューズって兄ちゃんは、助けに来てくれないぜ。ヤツとお前が、俺に与えた何倍もの恐怖を、じっくりと、お前にも味わわせてやるぜ! 」
ジュニアの身体を、ぼおっと、青白い炎が包み始めた! 彼の獰猛な顔は、ますます邪悪さを増していった!
「△◎◆、お前は手を出すな。こいつは、俺の獲物だからな」 「御意にございます」
ジュニアの後ろにいる青白い物体は、彼に深く頭を下げてから、一歩退いた。
途端にジュニアの身体をまとっていた青白い炎が、一気に燃え上がり、ひとつのうねりとなって、俺に襲いかかる!
「ケイン! 」 「危ない! どいてろ、マリス! 」 俺は、彼女を突き飛ばし、俺から離し、マスター・ソードを盾にした!
ぎゅるるるるる……!
剣を通じて、びりびりと衝撃が全身を走る。
思わず手放してしまいそうになるが、ぐっと、柄を掴み直す。
俺にとっては、長い時間だったが、きっと一瞬のことだったのかも知れない。 でかい炎のうねりは消え、俺は、少しだけ乱れた呼吸を整えながら、変わらない立ち位置のジュニアを見据えた。
今までの魔道士や、魔獣の攻撃を吸収した時とは、明らかに、剣から伝わる衝撃の度合いが違う!
だが、ヤツの方は、たいして大技を放ったわけでもない。
これが、魔族の力なのか!? こんな奴等をこれから俺たちは、相手にしていこうとしていたのか!?
「さすが、ドラゴンの巣くう剣。この俺の力でさえも、たいして堪(こた)えてはいない、か」
ジュニアは、余裕の笑みで、腕を降ろした。
「あの剣には、ダーク・ドラゴンが巣くっておるようですな」 ジュニアの背後で、家臣の魔族が言った。
「ダーク・ドラゴンか。魔界でも手を焼く最強のドラゴンがあの中にいるとなると、俺たち魔族の攻撃は、すべてそいつに食われちまうってことか。ふん、ますます厄介だな」
ジュニアが、にやりと笑う。
「しかし、操っているのは、彼の精神によるようです。従って、彼の精神が弱まれば、 ダーク・ドラゴンは使えなくなるでしょう」
「わざわざ精神を弱めることはないぜ。ヤツが死ねば、関係ないんだろ? 」
そう言ったジュニアは、青と緑に光る二つの目を、俺に向け、またしても、獰猛に微笑み、口の周りに舌を這わせた。
「しかも、今のところ、ホワイト・ドラゴンの力は、あの剣からは感じられませぬ」 家臣の男が、付け加えた。
「ほう。なるほどな。ということは、俺たち魔族に致命的な白の技は、まだ使えない、と」
奴等は、なんだか魔道士たちよりは、マスター・ソードに詳しい。それが、俺には 意外だった。
つかつかと、魔界の王子は、俺に近付いてくる。
奴等の攻撃を防ぐことは、なんとか出来たとしても、奴等も言っていたように、致命傷を与えることは、今のマスター・ソードではできない。バスター・ブレードだって、ここまでの高位の魔族ども相手に通じるかどうかわからない。
だが、やってみるしかない。
なんとか奴等が、剣の届く範囲に近付いて来るのを、狙ってやるしかない。 俺のマスター・ソードを握っている手に、汗と力がこもっていく!
「あがいてみるか? 最後まで」
クックックッと、またジュニアが、酷薄な笑いを浮かべる。
「思いっきり、死の恐怖を味わったら、後は、ラクに死なせてやろう」
ヤツが、もうすぐ俺の目の前で立ち止まった時だった!
「そんなことしたら、あたしが許さないから!! 」
マリスが、いきなり立ち上がって、ヤツに殴りかかった!
「うわああああ! マリーちゃん、ごめんなさあい! 」
ジュニアは泣き叫びながら、殴られた頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ!
「……わ、若……? 」
離れたところでは、拍子抜けしてたような、間の抜けた家臣の声がしていた。
マリスの攻撃はなおもやまず、ぼかぼかとジュニアを殴っていた。 ジュニアは、わあわあ泣き叫びながら、マリスの攻撃をその身に浴びていた。
それは、はっきり言って、今まで、俺が受けたジュニアの攻撃なんかよりも、何倍も凄まじかった!
「あんたがケインを殺すですって? よくも、そんなこと、あたしの前で言えたわね! いい度胸してるじゃないの! 誰があんたのこと助けてやったと思ってるのよ? この恩知らず! あたしの命令が聞けずに、そんなことしようものなら、今こそ、あたしが殺してやるわ! 」
ジュニアの背に馬乗りになったマリスは、殴り続けた。
「ごっ、ごめんよ、マリーちゃん! もうしないよ! だから、お願いだから、もう怒らないで! 」
マリスが、頭を抱えながら泣き叫ぶジュニアを殴る手を止めた。
「絶対!? 絶対に、もうケインを、あたしの仲間を殺そうなんてしないわね!? 」
マリスが両手でジュニアの顔を挟むと、無理矢理上に向かせた。
ぐきっと、音が鳴った。
人間だったら、俯せからその体勢は、絶対無理だ。 ヤツの首は完璧ねじれていたが、そこは魔族だから可能なのか、痛みも感じていないのか、むしろ、マリスの顔と近付いたヤツの顔は、ポッと赤く染まったようにも見える。
ジュニアは鼻をグズつかせながら、こくこくと頷き、涙で余計に光っている従順な瞳を彼女に向けていた。
「……若……? 」
家臣の伸ばしかけた手は、途中で止まっていた。
俺も彼も圧倒され、その光景を見ているしかない。
「どうしたのです、若? そんな人間の、しかも、神のついた小娘などに……? 今の若のお力を持ってすれば、そのような小娘ごときを払いのけることなど、造作もないではございませぬか」
と、拍子抜けしたままの声で、家臣は続けていた。
「そうなんだけど、つ、つい、身体が反応しちまって……、俺としたことが……! 」
なんとなく、ジュニアの青白く光る面(おもて)が、カーッと赤面していってるような。
「なんてこった! 俺は、本当に、この女の……身も心も、この女の奴隷になってしまったのか!? 」
ジュニアは、ぶるぶると両手を震わせている。
わけがわからず、俺もマリスも、家臣の男も、呆然と、ヤツを見ていた。
「どうしよう、△◎◆! 俺は、人間の女に……こんな乱暴者の小娘なんぞに、……惚れちまったのかも知れない! 」
ばたっ。
俺もマリスもコケていた!
家臣も、どう反応していいか、すぐには見当が付かないみたいで、動きが止まっていたのだが……
「何をおっしゃるのです! 人間の娘など、それも、神側の娘などに恋心を抱くなど、以(もっ)ての外です! 」
家臣の男は、今までは見せなかったが、ちょっとだけ、怒った顔をした。
マリスも疑り深そうな顔で、コケたついでに、ジュニアからどいていた。
「そうさ! きっと、そうに違いない! 初めてマリーちゃんに殴られた時から、そうだったんだ! まるで、俺の中に、鋭い錐のようなデカいトゲが、ぐさっと刺さったみたいだった! そして、そこから全身を貫くようなおぞましい快感が駆け巡った。きっと、これが、恋に違いない! そうだろ? △◎◆! 」
まったくよくわからない表現で共感しがたく、意味不明だが、両目をぎらぎらと輝かせて立ち上がったジュニアは、家臣である魔族の男に、同意を求めた。
「……確かに、恋とは、そういうものと言いますが……」 ブツブツと呟くように答える家臣だった。
恋の感覚も、人間とは違って、随分と痛そうなものらしい。
「魔族なだけに、マゾ!? 」
隣で、マリスが、くだらないことを呟いていた。
恥ずかしい! 良かった、俺、口に出さなくて。
「とにかく、生まれてこの方一一七〇年、恋などしたことのない俺様だったが、……そうかあ、これが恋かあ! 」
ジュニアが、うっとりと上空を見つめる。
それは、おめでとう……としか、言いようがない。
「というわけで、△◎◆、俺は、マリーちゃんたちと旅を続ける。だから、放っておいてくれ」
今の今まで、俺を殺そうとしていたジュニアは、いきいきとした笑顔を家臣に向けると、しゃあしゃあと、そのようにのたまっていた。
「若っ! 何を言っているのです! またそのような気まぐれを起こして! 魔族が人間どもと共存出来るわけはないのですよ! 」
家臣は、血相を抱えて、ジュニアを説得にかかったが、ヤツは、楽しそうに口笛なんぞを吹いていた。
「あたしは、やーよ! もう、あんたなんか、連れてかないわ。この先も、あたしの知らないところで、いつ、ケインやヴァルが狙われるか、わからないもの」
それは、有り得る話だ。
ジュニアは、心外だとでもいうように、態度を一変して、慌てて、マリスの足元にすがった。
「そんなこと言わないでくれよおー! もうしないって、言ってるじゃないかー! 」
「いやよ! やっぱり、魔族なんか信用できないわ! 」
そう言って、マリスは、非常にも、ジュニアを蹴っぱくった。 ジュニアが、吹っ飛ぶ。
む、酷い……。
さっきまでジュニアに攻撃されてた俺だったが、その様子を見て、ちょっとだけ、ヤツを哀れに思ってしまう。
が、倒れる直前に、ヤツの表情が嬉しそうに変わり、起き上がると同時に、必死な表情に戻った。
「本当だよ! 本当に、もう悪いことはしないよ! 他の人間どもにも、しないからさー! 頼むよ、側に置いてくれよー! 俺が道を外したら、そうやって、時々殴ったり、蹴ったりしてくれればいいからさ! 」
ヤツは、一生懸命マリスに懇願していた。
聞いててちょっと、ぞわっとした。やっぱり、ドMなんだろう。
「だめっ! あんたは、さっきケインのこと本気で殺そうとしたわ! その時から、あたし、あんたを許せなくなっちゃったんだから! あたしが、ヴァルやケインの言うことを聞いていれば、仲間をこんな目に合わせずに済んだのよ。あたしが、あんたを生かしておいたせいで……! だから、もう一緒に連れていくことなんて出来ないわ! 」
それだけ言うと、マリスは腕を組んで、ジュニアに背を向けた。
「もうしないよ! 俺の言葉が信用できないなら……」
ジュニアは、必死な顔で、懐から何かを取り出した。
「若っ! それは――! 」
家臣が慌てて止めるのも聞かず、ジュニアは黒い石、黒曜石のような宝石を、マリスに差し出した。
「ダーク・ストーンだ。人間流に説明すると、これは、俺の魂と同じだ。これを持った者に、その魔族は絶対服従を約束する。闇で行われているヒトと魔族との契約には、欠かせないものだ。これを持っている人間が必要とした時に、その魔族を召喚することができる。これを、きみに預けておく」
「いやよ! そんなものいらないわ! 」
ぷいっと、マリスは腕を組んだまま、横を向いた。
「若っ! 若ほどのお方が、そのような下級魔族の真似事など、してはなりません! 」
家臣を包んでいた青白い炎が、急に燃え上がった!
「お前は黙ってろ! 」
ジュニアが手で制する。
魔族の世界では、上下関係は絶対なのか、それ以上、家臣の魔族は近付こうとはしなかった。
「な、マリー、もらってくれ」
ジュニアは、もう一度、ダーク・ストーンをマリスに差し出した。
マリスは、目を固く閉じて、首を横にぶんぶん振っている。
「マリス」 俺は、彼女の耳元に、口を近付けた。
「魔物のことを詳しく知りたかったんだろ? その方が、対策を立て易いって、言ってたじゃないか。この魔空間にいる間に、俺も、そう思うようになった。奴等は、やっぱり得体が知れない。 貴重な魔族の情報源ともなる魔界の王子が、お前に絶対服従を誓うと言ってるんだ。 さっきのトアフ・シティーの森でのことを思い出してみろ。ヤツがいれば、しょっちゅう湧いてくる下等モンスターどもなんかを無駄にやっつけなくて済むし、空間移動だってできる。それに、俺たちは、これからみんなのところに戻って、クレアを助けなきゃいけないんだ。そこまで戻るには、空間を移動していかなきゃ、間に合わ ない」
マリスが、心配そうに俺を見上げた。
「……だけど、ケイン、もし、またあいつが……」
「俺なら大丈夫だ。もし、ヤツが、お前の知らないところで俺を襲おうとしても、簡単にやられたりしないよ。ヤツは、今のこの空間では魔力はあっても、俺たちの世界ではヒト程度なんだ。それなら、たいしたことも出来ないだろ? 大丈夫だから、あの石を、もらってこいよ」
「たしかに、この場では、こうするしかなさそうだけど……」
俺は、マリスの背を、ぽんと叩いた。 一歩進み出たマリスは、ちらっと俺を振り返り、ぶすっとした顔で、黒い石を受け取った。
ジュニアの顔が、みるみる明るく輝き出した。
「ありがとう! マリーちゃん! これで、俺は、正真正銘きみの奴隷さ! 」
彼は、にこにこと、満面の笑みを浮かべていた。
奴隷になれて、ここまで喜ぶヤツも珍しい。
……が、そもそも、王子だったこいつに、奴隷が勤まるのか?
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