「おう、ケイン、どこ行ってたんだよ」 「別に」 大柄なハッカイの近くに座り、ケインは、ガブッと酒のツボを呷(あお)る。 「毎日ひとりで自主トレとは、お前も真面目だなー」 ハッカイは、ケインの新たにできた顔の痣(あざ)に目をやり、感心した。 ケインは、ぶすっと黙っている。 「さっき伝令が来て、一時待機が、更に十日延びるんだってよ。まったく、どういうことだよなぁ? 」 (あと十日か……よーし、今度こそ――! ) ケインの口の端には、うっすらと笑いが浮かんでいた。 「ねえ、ハッカイ、レオン知らない? 」 女傭兵ミリーが、いつもの甲冑姿ではなく、ギャザーの多い、白く柔らかい生地の服を着て、テントから顔を覗かせた。 大きく胸元の開いた、短く膨らんだ袖、高い位置にウェストがきていて、白い細い紐を結んでいる、膝丈までのワンピース姿だった。 「知らねえな。おい、リョウ、レオンのヤツ、どこ行ったか知らないか? 」 ハッカイが、少し離れたところにいる、細身の傭兵に向かって呼びかけた。 「さあな。またどこかの町にでも行って、昔の恋人の情報でも探してるんじゃねえの? 」 リョウは、皆のところに近付いて行き、どかっと腰を下ろした。 「もう、またあ? ……諦め悪いんだから」 ミリーが、面白くなさそうに、ケインの横に、ぺたんと座った。 「おっ? ミリー、珍しいモン着てるなあ。そういうカッコも、なかなか似合うじゃないか」 リョウにそう言われても、ミリーは、どこか上の空だった。 「レオンは、あれでも結構一途なところがあるからな。将来を誓った相手だったらしいじゃないか。それが、 一年後、必ず戻ってくるって言って、なんとかって剣を捜す旅に出て――ほら、あいつのいつも持ってる、 あのデカい剣だよ。 一年どころか、三年かかっちまい、彼女の待つ村を訪れたら、野盗に潰されてて、村の住民は、皆、どこかの町にバラバラに避難してたって言うんだからなあ」 言い終わると、ハッカイは、ぐいっと酒を呷った。 「案外、その潰された村ってのは実は知らない村で、本当は、どこか別の場所にあるんじゃねえの? ほら、 あいつ、方向オンチじゃん」 リョウが皮肉な笑いを浮かべた。 「そんなことないわよ。いくらレオンだって、自分の出身地を見違えるわけないわ。 確かに、その野盗の犠牲になった村だったらしいじゃない? そりゃあ、剣を手に入れてから、予定よりも 一ヶ月も多くかかって、村に辿り着いたらしいけど」 ミリーが、あまり強くはない口調で返した。 「なんて女(ひと)だったっけ……? 確か、『ユカリ』とか何とか……」 「ユカリィ? どこの人種の女よ、それ? 違うわよ、確か、『リリー』って言ったと思うわ」 ハッカイに、ミリーが返した。 「そうかあ? 俺は『アリス』だと思ってたが? 」 二枚目傭兵のリョウも、首を捻る。 「やっぱ『ユカリ』だよ」と、ハッカイ。 「いいえ、『リリー』よ」と、ミリーも譲らない。 「いや、『アリス』だね」リョウも曲げなかった。 「ねえ、ケインは聞いてない? レオンの恋人の名前」 気を取り直したように、ミリーが隣にいるケインに尋ねた。 「……え? レオンにそんなヤツいたのか? 」 考え事から我に返ったケインは、不思議そうな顔で答える。 「ああ、だめだわ。レオンたら、この子には話してなかったんだわ」 ミリーが、がっかりして、うなだれた。 「だから、『ユカリ』でいいんだよ! 」 「違うって言ってるでしょう!? 『リリー』よ! 」 「『アリス』だってば! 」 大人三人は、再び口論になった。 「何言ってんだ? お前ら……」 彼らの後ろには、いつの間にか、レオンが呆れ顔で立っていた。 途端に、三人は、気まずそうに黙った。 「レ、レオン……! お帰りなさい! どこに行ってたの? 」 ミリーが、取り繕った声を出し、慌てて微笑んでみせる。 「ちょっとウマを散歩させてたら……どこだっていいだろ、そんなこと! 」 言いかけて、突然、彼は仏頂面になった。 (また道に迷ってたな……) 彼らの誰もが、口にこそ出さねど、そう思った。 「ねえ、それよりも、レオン、これどう思う? 」 ミリーが立ち上がり、その場で、くるっと回ってみせた。白いドレスは、ふわりと舞う。 「……どうって? 」 レオンは、表情も変えずに、ミリーを見た。 「もう……! このドレスよ! さっき、町に行ったら、珍しい服を見かけたから、思わず買っちゃったのよ。これね、東方の踊り子が着る服なんですって」 はっとしたようにミリーを見たのは、ケインの方であった。 「今、東方の旅の一座が、この辺に来ているらしいのよ。こっちの遠征はまだみたいだし……ねえ、レオン、 明日にでも、その雑技団、一緒に見に行かない? 」 ミリーは、頬を少し紅潮させて、レオンを見上げる。 「ああ、それなら、ちょうどよかった」 にっこり笑うレオンに、ミリーの瞳は、期待を込めて輝いていく。 「ケインを連れていってやってくれないか? 東方の雑技団の娘が使うという武術――あれは、参考になるからな」 ケインは、今度はレオンを見上げる。 「……わかったわよ」 ふてくされたように頬を幾分膨らませて、女傭兵ミリーは、自分のテントに戻り、戸口をシャッと閉めた。 「あ〜あ、かわいそうに」 ハッカイが、酒のツボを片手に、ミリーのテントを見ながら呟いた。 「お前も人が悪いよなあ。一言くらいホメてやれば良かったのに」 ケインは、わけがわからず、レオンとハッカイとを交互に見る。 レオンは何も言わずに、リョウの横に腰を下ろした。 「お前さあ、ミリーの気持ち、わかってるんだろ? 少しは女として扱ってやれよ」 リョウまで呆れた顔で、レオンを見ている。ケインは、レオンに注目する。 「またお前たちは、そうやって俺と彼女をくっつけようとする。お前らの思い過ごしだって。ミリーは、俺の ことは、年の離れた兄程度にしか思ってねえよ」 レオンは、酒のツボを傾けた。 「お前は、どう思ってるのさ、ミリーのこと」 リョウが、レオンの目をじっと見る。 「……どうって……? 」 「だから、……いい女だとか、思わねえわけ? 」 「……」 じれったそうに問うリョウに、レオンは無言でツボを傾けるだけだった。 「抱いてやんなよ。あいつは、それを望んでる」 リョウが、にやっと笑った。だが、レオンを見る目は真剣だった。 ケインは居心地の悪さを感じて、そわそわし出した。彼には、よくわからなかったが、自分がここにいては いけないような、そんな気がしたのだった。 「ケイン、お前、ミリーの様子見てこい」 ハッカイに耳打ちされ、ケインは不安そうな顔を向けていたが、それでもここにいるよりはましだと判断したのか、立ち上がってミリーのテントへ向かった。 「まったく、呆れたヤツだな! お前にその気がないんだったら、ミリーは俺がもらっちまうぜ」 リョウは、ほとんど睨んでいるといっていい鋭い視線を、レオンに浴びせていた。 それへは、ちらっと目をやっただけで、レオンは黙ったまま酒を呷(あお)った。
「ミリー、……入るよ」 テーブルに俯せていた彼女は、テントの外から聞こえてくる少年の声で、慌てて目を擦(こす)った。 「ああ、ケイン、どうしたの? 」 彼女は、とっさに、彼の前で見せるいつもの元気な笑顔を作ってみせた。 「……泣いていたの? 」 ケインは、ミリーの目の端に光るものを見つけた。 「違うわよ、眠ってたの」 涙の残りを指で拭い取りながら、ミリーは精一杯答えてみせた。 「あ、あの……ハッカイが……、そうだ、ハッカイが、その……、ミリーはどうしてるかって……」 ケインは言葉を詰まらせ、心配そうな顔で、ミリーを見つめている。 「そう……。やあね、何を心配してるのかしら、ハッカイったら……。私は大丈夫よ。 ……あら、そろそろ夕食の時間よね。ケイン、一緒に食事を運ぶの手伝ってくれない? 」 ミリーは、明るい声を出した。ケインが、こくんと頷く。 「……それと、明日、一緒に雑技団観に行こうね」 ケインは少し微笑んで、それへ頷いてみせた。
「あんたのとーちゃんは、ほんとにカタブツねー」 翌日、ケインはミリーと町へ下りていた。 「カタブツって? 」 ケインが首を傾げて、ミリーを見上げる。ミリーも、少し困ったように眉を寄せていたが……。 「……恋人以外は、目に入んないってこと。ひとりの女だけを、ずっと想い続けているんだもんね」 呟くように言う彼女に、ケインは曖昧な表情になった。 「……でも、いいの! 」 何がなんだかわかっていないケインに、ミリーは微笑んでみせた。
東方からやってきた旅芸人の一座の、巨大な円形テントの中で、ケインとミリーは、雑技ショーを観ていた。 途中で武芸のショーもあった。 あまり見かけない、鉄の棒を鎖で繋いだもの、太く長い棒の先に、大きな丸い飾り球のついたもの、二本の細長い赤い棒などを操る男や女たちが、次々に技を披露していく。 客席からは歓声がたびたび起こり、その武術に、誰もが魅了されていた。 そして、テント内の興奮が一気に高まったところで、メインイベントとされる、東方の女傑団による体術が疲労された。 なんでも、それほど力を使わずに、自分以上の重さのものをも操ってしまうのだという。 その女傑団十二人が舞台に登場した時、ケインの目は、あるひとりの少女に釘付けになった。 (あ……! あの子は……! ) 一番幼く、小柄だったその少女は、紛(まぎ)れもなく、毎日ケインが挑んでいっては返り討ちにあってしまう、あの目の吊り上がった無愛想な少女だったのだ! 二つに引っ詰めた髪を、金色の刺繍の入った朱色の布で丸く包み、同じ生地の短いベストに、足首で縛った膨らんだパンツ――十二人とも同じ衣装で現れたのだった。 皆、目の上に、キラキラ輝く粉を付け、吊り目を強調するような黒いラインを目の周りに塗り、唇は朱に、 浅黒い頬には、ピンク色の粉をはたいていた。 東方独特の、舞台用化粧であった。 女傑団の披露した『武遊浮術(ぶゆうじゅつ)』では、華麗に飛び回る娘達が、始めは雑技団の男たちとの武道で、彼女たちの倍以上もある大柄な男たちを、ひとりで五人を一気に振り飛ばしたり、それが終わると、今度は大型動物を、いとも簡単に投げ飛ばし、客席から飛び入り参加の、腕自慢の男たちまでをも、怪我をさせない程度に投げ飛ばしていたのだった。 ケインは、彼女たちの動きに、ずっと目を奪われていた。
「東方の雑技団の子だったんだね」 テント小屋の裏で、いつもの少女に、ケインが声をかけていた。 少女も、いつものへの字口で頷いた。 「頼む! 俺に、あの技、教えてくれないか!? 」 ケインは小柄な少女の肩を、両手で強く掴んだ。 少女は表情を変えずに、ケインを、その吊り上がった目で見つめている。 「お願いだ! 俺は、どうしても強くなりたいんだ! 頼む! お願いだ! 」 ケインは、少女の肩から手を放し、地面に額を擦り付けた。 「……」 少女は、しゃがみ込み、ケインの顔を覗きこんだ。その黒曜石のような黒い瞳は、不思議そうに輝いていた。 「『武遊浮術』むずかしい。かんたんなの、だけ……」 片言の少女の言葉に、思わずケインが頭を上げる。 「ほんとうか!? 」 少女は黙って頷いた。相変わらず目尻は吊り上がり、無愛想な顔つきには違いなかったが。 「ケイーン、どこ行ったのー!? 」 後ろから、ミリーの彼を呼ぶ声がする。 ケインはガバッと立ち上がると、少女に向かって微笑んだ。 「明日、いつものところで! ……ありがとう! 」 そう彼は手を振り、ミリーのもとへと走っていった。 東方の少女は、それを、ぶすっとした顔で見送っていた。
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