「お前の生まれ故郷はルーヴェイス。俺の出身地だ。お前の母の名は、ユリア・フェルミカルヴァ。違うか?」 「ユリア・フェルミ――! かあさんの……かあさんの名前だ! 」 老魔道士に連れられ、空間を移動して戻った二人は、診療所の別室で、リディアを伴っていた。 無論、ひとしきり、彼女との再会を堪能してから後である。 「ユリア――俺の愛した、唯一人の女性だった……」 ケインもリディアも、じっと聞き入っていた。 レオンは、改めてケインの顔を見つめると、再び語り始めた。 「お前には、ユリアの面影がある。彼女もお前と同じ、深い青い色の、ちょっと目の端の上がった、ネコのような瞳に、明るい栗色の、さらりとした髪をしていた。お前が女だったら、さぞかし美しく、ユリアに生き写しだったことだろう」 「昔、かあさんが言ってた俺のとうさん――一流の剣士で武道家だったっていうのは……」 「俺だ。多分な」 レオンが、にやっと笑ってみせた。 「……だって、レオンは……奥手だったんだろ? いつの間に……」 じろっと、レオンがケインを睨むが、ふっと笑う。 「実はな、バスターブレードを取りに出かける前日のことだが、俺が無事戻ってこられたら、式を挙げようと、俺たちは固く将来を誓い合った。だが、俺は半分、もしかしたら、もう生きてこの村に帰って来ることはないのかも知れないとも、思っていた。 そして、その夜……彼女と俺は、ずっと一緒だった。お前は、多分、……その時の子だろう」 ビクッとしたように、ケインとリディアは、お互いの顔を盗み見るようにして、頬を赤らめていった。 「ケインがもうちょっと若かったら、違うやつの子供かも知れんかったのう」 「ああ、そうだな。だけど、彼女も一途な娘だったからなあ」 老魔道士とレオンは、陽気に笑っていた。
「大魔道士様! 大魔道士様! 」 「なんじゃ、騒々しい! 」 小柄な新米魔道士が、その異様な空間に現れた。 そこは、異様なうねりと歪(ゆが)みの生じた空間の狭間とでも言おうか。 天地もなく、壁もない。 だが、一見して魔道士とわかる黒いフード付きマント姿の連中が、ひとつところに黙々とたむろしているのだった。 その中のひとり、特別に威厳のある、青いフードを被った白髪の老人が、眉間に皺を寄せ、転がりこんできた男を見下ろした。 「ザンドロス様が、倒されました! マスターソードを持った少年に! 」 男は跪(ひざまず)き、泣き叫ばんばかりに報告する。 「わかっておる。今し方(いましがた)知った」 白髪の老魔道士は、青いマントを翻(ひるがえ)し、男に背を向けた。 男は、すがりつくように続けた。 「その少年だけではなく、一緒にいた男も、『魔物斬りの剣』を持っておりました! 確か、……バスター ブレードとかなんとか……」 ピクッと老魔道士の眉が動く。 「バスターブレードじゃと……!? 」 白髪の魔道士は、顔だけ振り向いた。 「その男の名は? 」 更に頭を低くして、小柄な男が答える。 「はっ、確か、どちらかがケイン・ランドールで、どちらかがレオン・ランドールだったと思います」 「ちゃんと覚えておかんかーっ! 」 「あううっ! 」 老魔道士が指を鳴らしただけで、小柄な新米魔道士の身体はよじれ、彼は苦しさに悲鳴を上げた。 「すみません! どちらも似たような名前だったので! 」 よじれから解放され、ぜいぜいと呼吸を乱れた呼吸を整えながら、男が懸命に言い訳をする。 「もうよい! ワシは、それどころではなくなった、貴様は、マスターソードの少年の名前を、はっきりと調べよ! それが出来なければ、今度こそ命はないと思え! 」 「は、ははあ! 」 新人魔道士は、床と思われる部分に頭をこすりつけるようにして、伏せた。 「ベアトリクス王国の様子はどうじゃ」 近くにいる背の高い魔道士に、老魔道士は尋ねた。 「は。依然として、例の大魔道士は、姿を現しません」 「ちっ、ゴールダヌスの奴は、まだ見つからんのか! 王子の様子は、どうじゃ? 」 「は。それが、最近、強い結界によって、様子を探るのも難しくなっております」 老魔道士の眼に、怪訝そうな光が浮かんだ。 「結界じゃと? 護衛だった小娘は、魔力は高くとも、魔法は使えないと聞いておったが、違うというのか!? 」 「いいえ、彼女ではないと――。ベアトリクスが、優秀な魔道士を王子の護衛につけたものと思われます」 老魔道士の青いフードの中で、皺深い額には、一層深く皺が刻まれた。 「……まあ、よい。貴様らは、そのまま王子を見張れ」 老魔道士は、青いマントを翻すと、その異様な空間のうねりの中に、消えていった。
「俺、旅に出ようと思うんだ」 村の施設を見下ろせる大木に寄りかかり、ケインが言った。 「いつかは、そう言うんじゃないかって、思ってた」 同じ木を挟んで寄りかかるリディアが返し、ぽつんと付け加えた。 「思っていたのよりも早く、その言葉を聞くことになるとはね……」 「世の中には、魔物や悪いヤツもたくさんいる。ローダンの山なんて、ほんとに魔物の巣だったよ。正直言って、帰りもあの山道を通らなくちゃいけないなんて、ぞっとしたっていうか、うんざりしたよ。だけど、俺が 旅に出る理由は、それだけじゃないんだ」 ケインは、言葉を区切ってから、リディアを振り向いた。 彼女も微笑もうとして、淋し気な笑顔になってしまう。 「今回のあの魔道士だけじゃなく、マスターソードに目を付けるものは、他にもたくさんいるかも知れない。その度に、この村を巻き込みたくないんだ。リディアのいるこの村を。もしかしたら、俺がいることで、村に災いをもたらしちゃうのかも知れない。――それもあって、旅に出ようと思ったんだ」 「あなたは、そういう人よ。前から、ひとつのところに落ち着く人じゃなかったもの。 やすらぎとか、平和な世界よりも、波瀾万丈な冒険の中に、自ら飛び込んでいく人なんだわ」 「厄介な性質だな」 ケインが苦笑いをした。 「でも、……私は、そんなあなたを好きになったわ。だから、止めない。ケインは、冒険を続けて」 潤んだエメラルドの瞳で、彼女は、彼を見つめた。 その瞳を見つめてから、彼は、思い切って、切り出した。 「旅に出ようって思った時から考えてたんだけど、……リディア、一緒に行かないか? 」 「えっ……」 彼は、リディアの手を取った。 「一緒に行こう! 俺と一緒に、旅に出よう! 」 「ケイン……」 彼女は戸惑ったように彼を見ていたが、やがて、首を横に振った。 「……気持ちは嬉しいけど……、私、あなたと一緒には行けない」 ケインの表情に、困惑の色が浮かぶ。 「なんでさ!? 悪い奴等や恐ろしい魔物からも、絶対に守ってみせるから! ……それとも、俺が嫌になったの? 」 リディアは、首を横に振るばかりだった。 「それなら、一緒に行こうよ! 俺が守るから、絶対に守り通してみせるから! 」 彼女は、そう言い続けるケインから拒むように離れると、背を向け、俯いた。 「リディア……? 」 「私は、あなたの運命の女(ひと)ではないの! 」 突然の強い口調に、近付こうとする彼の足は止められた。 「……運命の女(ひと)だよ、俺にとって、リディアは、運命の女なんだよ」 その時、ケインは、リディアの言う『運命の女(ひと)』の意味を、完全に理解してはいなかった。 そのことも、彼女には、わかっていた。 リディアがケインを再び振り返った時、ケインは、はっと息を飲んだ。 彼女の両方の瞳からは、ぽろぽろと涙があふれていたのだった。 「違うの……違うのよ! ……どんなに愛し合っても、私たちは、一緒にはなれない運命なのよ! 」 叫ぶように絞り出す彼女の言葉に、彼の全身に、強い衝撃が走った。 「……リディア、……まさか……未来を――? 」 リディアは両手で顔を覆い、嗚咽していた。 その彼女を、しばらく放心していたように見つめていたケインの腕は、彼女を引き寄せると、そのまま黙って抱いていた。
エピローグ
「レオン、本当に行かないのか? 」 「ああ、俺は、この村が気に入っている。それに、戦士としての自分の限界も、よくわかってるしな」 二年近く住み慣れた家を離れ、村の門では、ウマを連れたケインを、レオンと老魔道士が見送りに出ていた、 「引退するには、まだ早いんじゃないの? 」 「そんなことはねえよ」 レオンはバスターブレードを右手で握る。 剣は、しばらくして彼の手から滑り落ち、それを彼は左手で持ち替えてみせた。 「……いつからだ」 睨むように、ケインがレオンを見た。 「もう一年以上も前からだ。なあに、日常生活には支障はねえから、大丈夫だ」 「なんで黙ってたんだよ! 」 食ってかかりそうなケインを、老魔道士が押さえた。 「とにかく、もう戦場で剣は振れねえ。魔物を倒すのだって、この右手を庇(かば)いながら戦い続けるには、いずれお前の足を引っ張ることにもなるだろう。この辺が、潮時なんじゃねえかって、俺も思っていたところなんだよ」 言い終わると、レオンはバスターブレードをケインに放った。 剣は、ずっしりと、ケインの腕に重みを与える。 彼は、顔を上げ、レオンを見つめた。 「俺にはそれしかない。戦士レオンは、もう死んだものと思って、それを引き継いでくれ。俺の意志はお前の意志だ。多分、巨人族も、剣を取り返しに来たりはしないだろう」 穏やかな笑みを浮かべたレオンは、言った。 「だって、これがなかったら、これからどうやって、レオンは自分の身を守るんだよ! 」 ケインの言葉に、レオンは首を横に振る。 「その剣は、俺には重過ぎる。鍛冶屋で適当な剣を、護身用に作ってもらうさ」 レオンの決心は固いことがわかり、説得を試みるのは無駄だと、ケインは悟った。 「淋しくなったら、いつでも戻ってこい。化け物の巣ん中叩き込んで、発破(はっぱ)かけてやるからさ」 「ひでえな! ほんとに父親の言葉か? 」 二人はじゃれ合い、いつもの様子を装ってみせた。ふと、ケインが診療所の二階、リディアの部屋を見上げる。 窓は、固く閉ざされたままであった。 「あれを許してやってくれんかね、ケイン」 老魔道士が、悲しげな表情で言った。 「ワシが、お前たちのところに行っている間に、リディアのやつ、自分や、特定の人の未来を覗いてはならぬという魔道士の誓いを破り、あの水晶球で、お前の少し先の未来を覗いてしまったようなのじゃ。お前が生きて戻ってこられるかが、よっぽど、心配だったんじゃろう。 すると、お前の隣にいるのが自分ではなく、別の知らない者のようじゃったので、ショックを受けておるのじゃ。お前を想うが故にしてしまったことなんじゃ。あの愚かな娘を、どうか許してやっておくれ」 遣(や)る瀬ない想いを瞳に浮かべていたケインは、ふっと微笑んだ。 「せんせい、俺はリディアを恨んじゃいないよ。自分の好きになった女を、嫌いになんかなれるわけないじゃないか。 俺にとって、彼女が運命の女じゃなかったんなら、彼女にとっても、俺が運命の男(ひと)じゃなかったってことだろ? だったら、いつか迎えに行くとか、そういう約束もしないで、このまま行くことにするよ。リディアの運命のヤツが、これから現れるんだとしたら、それは、それで、祝福してあげたいと……今は、まだちょっと無理だけど、いつかは、そう想えるように、努力するつもりだよ」 ケインは大きく手を振り、ウマを連れ、村を出て行った。 レオンと老魔道士も、彼の姿が見えなくなっても、ずっと見送り続けていた。
(リディアは、魔道士を目指していたから、人一倍、占いや、運命だとかを気にしたのかも知れない……)
(だけど、あの時、未来さえ覗いていなければ、俺と一緒に、村を出て来てくれたんじゃないのか? そして、俺たちは、いつか一緒になったかも知れない)
(旅立たなくては、叶(かな)うものも叶わない。彼女は、そうは思わなかったんだろうか? )
(運命なんかに惑わされずに、……むしろ、運命なんか変えてみせる! って…… それを彼女に言って欲しかったと望むことは、俺のわがままでしかないのか……!? )
冷たくなってきた風に、馬上でマントに包まった彼の心の中で、その想いは、次第に、深いところに沈められていった。
伝説の剣を手に入れることは、大事な何かと引き換えであるのかも知れない―― そんなことを、ケインは考えていた。
バスターブレードを手に入れたレオンは、最愛の恋人を亡くした上に、彼女の死に目にも会えず、ドラゴン・マスターソードを手にした自分にも、父親と恋人との別れが、一遍にやって来た。
運命と言えば、マスターソードを目指して旅立ったあの日、既に、彼の運命は決まってしまっていたのかも知れない。
だが、彼の父親は、知らなかったとはいえ、彼の息子と十年も一緒に過ごしてこられた。
悪いことばかりではない。
ケインは、そう思うようにして、ウマの歩を、一歩ずつ、前へ、前へと進めていった。
二年後に、それこそ、運命的な仲間たちと、出会う日まで――。
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