本来、ドラゴン以外のものが卵を孵化(ふか)させるには、二、三年必要だと言われていたが、マスターから与えられたのは、孵化間近の卵で、それが孵ってから育てることがケインの試練であった。 人間界のトリたちが卵を温めるのと同じで、ドラゴンの卵も温めるが、ヒトの体温では足りないので、暖炉の火を燃やし続け、そこに卵を入れておく。 「ドラゴンたちは、時々卵に炎を吹きかけてるくらいだから、このくらいの火で燃えちゃうことはないんだって」 ケインはしゃがみこみ、暖炉の中の卵を、キラキラとした目で見つめながら言った。 レオンとリディアは、目を丸くしている。 「それはわかったが、ケイン、今は外も暑い季節だぞ。それでも、その暖炉は燃やしてなきゃならんのか? 」 「卵が孵(かえ)るまでの辛抱だよ、レオン。無理だったら、せんせいのところにでも泊まらせてもらってよ」 レオンは咳払いをした。 「い、いや、俺も付き合おう」 レオンの心配には及ばず、それから数日後に、卵に亀裂が入る。 ケインは、物置小屋からハンマーを持って来ると、亀裂に向かって叩き始めた。 「おいおい、ケイン! そんなことしたら、ドラゴンのヒナが……! 」 「大丈夫だよ、これくらい。これでも、殻が壊れるわけじゃないから。ヒナが自力で出て来られるように、 殻を破れやすくしておくんだよ」 弱い亀裂目がけてハンマーを数回打ち下ろし、殻のあちこちを観察するケインを、レオンが見守る。 「俺がマスターに教わったのは、ここまで。後は、ドラゴンが生まれてみないとな」 ケインは、卵を見つめ、呟いた。
「レオン! 起きろよ、とうとうドラゴンが生まれたよ! 」 朝早く、ケインに起こされたレオンは、眠い目をこすりながら、ベッドから起き上がった。 「……!? 」 ケインの両手に抱えているものに目をやると、もう一度目をこする。 「なっ? 意外とカワイイだろー? ミニドラゴンて感じでさー」 ケインははしゃぎ、頬を紅潮させた。 その日の午後、施設の手伝いを終えたリディアが、やってきた。 「な? リディアもカワイイと思うだろ? 」 リディアは、声も出せず、立ち尽くしていた。 「こいつ、何の種類かなぁ? コウモリみたいな翼があるから、飛べるんだろうな。 そのうち、飛ぶのかなぁ。……おいおい、そっちに回るなよ、くすぐったいだろ」 首の後ろを押さえて、ケインが笑う。 レオンとリディアは、無言で目を凝らしていた。
「……なあ、リディア、あのドラゴン、……見えたか? 」 リディアを送るついでに家を出たレオンが尋ねた。その前を、ケインがドラゴンを肩や腕に止まらせて、 楽し気に語りかけながら歩いている。 「レオンも、見えてなかったの? 」 「……やっぱり、そうか。俺がおかしいのかと思ったが……」 だが、行く先々で、ケインがドラゴンを連れ歩くも、その姿を見ることが出来たものはいなかったのだった。 「ねえねえ、ちょっとちょっとレオン」 肉屋のおかみが、レオンの腕を引った。 「一体、どうしちゃったんだい、ケインは? ドラゴンがなんとかって言ってるけど、あたしにゃあ、ムシの 一匹も見えやしないよ」 「あ、ああ、やっぱり、そうかい? 」 「あんたにも見えないのかい? 」 おかみは、小声になった。 「こう言っちゃあなんだけど……、ケインは、頭がおかしくなっちまったんじゃないだろうねぇ? 」 「いやあ、そんなことはねえと思うけど……」 このようなやり取りは、その後もしばらく続いた。
「お前は、こんなにカワイイのに、どうやらみんなには見えないみたいなんだ。残念だよな」 窓辺で、ミニドラゴンの相手をしながら、ケインは話しかける。 彼にしか見えないドラゴンは、大きな瞳をくりくりと動かして、一声鳴いた。 「この可愛い声も、皆には聞こえてないんだろうな」 ケインは溜め息をつき、ドラゴンの頭の上の、まだ生えたての、丸みのある角二本に触れ、そのまま頭、背から尾にかけて連なる背びれのような三角のとげを、指でなぞっていき、鏃(やじり)のような尾を、やさしく撫でた。 そこで、ドラゴンが、もう一声鳴いた時だった。 ケインとドラゴンの周りだけが、突然暗くなったのだった。驚いたケインは立ち上がり、辺りを見回した。 家の中も外もなく、上も下も横もなく、明らかに、広いことだけがわかる。 暗い中にも、ところどころ、点のような灯りも見えてきた。 宙に浮いているのか、そうでないのかもわからず、まるで、星空の中に、ぽつんとひとりでいるようだった。 その、星だと思っていたものの一つが、徐々に近付いてくる。形が露(あらわ)になった時、それが、翼を広げたトリのような姿であることがわかる。 「ギガロス!? 」 ギガロスのように、黒くも白くも、透明でもない。 羽毛のない、茶褐色の皮膚をしたものだった。 トリのような嘴(くちばし)の、ギガロスそっくりなものは、二本の足を揃え、地面があるかのように止まると、コウモリのような羽をたたむ。 「ギガロス……じゃないのか? でも、よく似てる。翼竜とか飛竜とか、言うのかな? 」 ケインは、おそるおそる、巨大なトリに近付いた。 「……始祖鳥……そうか、ギガロスは始祖鳥っていう種類だったんだな!? 」 ケインは、すぐ後ろに飛んで来たミニドラゴンを振り返った。 ミニドラゴンが、教えてくれたと思ったのだ。 「そうか、ドラゴンの先祖かも知れないんだな」 ケインは、「触れてもいいか? 」と様子を伺いながら、始祖鳥の足、腹、翼に触れる。ケインのすぐ横では、ミニドラゴンが肩の高さで浮かんでいる。 始祖鳥が消えると、次に別の方向から現れたものがあった。 翼に爪のある、大きなカギ爪の二本足で、尾が長い。ヒトの世界で言われている西洋竜に近い。 「ワイバーン。随分デカくて、気の荒いドラゴンか」 ケインは、返事のつもりで、ミニドラゴンに頷いた。 「カオはコワいけど……でも、カッコいいな! 」 触れているうちに、なんだか徐々に、ドラゴンと気持ちが通じ合っているような気になってくる。
その後も、家の中でケインが一人きりの時に、窓辺に座り、ミニドラゴンをあやしていると、度々、星空の中になり、そうして、数種類のドラゴンが出て来るのだった。 時には、ドラゴンの姿そのものではなく、登場することもある。 掌に乗る程度の水球に思えるような、丸くても、ぷるぷると形が定まっていないような、まるで水を閉じ込めたかのようなものが、ケインの掌で浮き、その中には、水色の鱗(うろこ)のドラゴンがいたのだった。 「これは、この間見たリヴァイアサンみたいに、海にいるアクア・ドラゴンか。 サーペントタイプかな? でも、よく見ると、小さい翼があるな。飛べるのかな? 」 また別の機会に現れたものも、尖った氷のような結晶の下半分が炎が揺らめいたように原形を留めず、掌に浮かんでも温度を感じない、そのようなものの中にいるドラゴンを見ることもあった。 「これは、地中に眠る生命の力――みたいなものを感じるな。クリスタルっぽいところも綺麗だし、この赤い炎もキラキラしてて、これも石なのかな? 綺麗だなぁ」 赤い炎のような部分の中にいるドラゴンは、じっとしている。 「この炎の中にいるのは、レッド・ドラゴン? その更に上が、フレア・ドラゴンか。ほとんど炎で出来てるみたいに見えるな。 それで、こっちのクリスタルのところにいるのが、アイス・ドラゴンか。雪とか氷で出来てるみたいに、綺麗だなぁ! クリスタルと炎の間にいる、これは? ……ふうん、グランド・ドラゴンとか、アース・ドラゴンとかいうんだぁ? 」 そして、剣に魔石の力を解放した時に感じた、ダーク・ドラゴン、ホワイト・ドラゴンはもちろん、西洋竜の仲間で色違いのドラゴンたちを見ることもあったのだった。
一〇ヶ月が経ったある日、ケインがテーブルで羊皮紙に書き物をしているところへ、リディアが訪ねてきた。 「ごめん、リディア、これ、もうすぐ仕上げないといけないんだ。そこに座っててくれる? 」 今度は何を始めたのかと、リディアが覗き込むが、何も書かれていない。 「何を書いているの? そのペン、ちゃんとインク付けてるの? 」 「えっ? これも見えないのか? 」 ケインが顔を上げる。 「ああ、そういえば、マスターが言ってたんだった。このインクは、俺とマスターにしか見えないんだって。時々ミニドラゴンの見せるいろんなドラゴンを観察して、どれがどんなドラゴンか、どんな性質か、どう感じ取ったかとかを、書いて渡せば 終了さ」 「そう、やっとその試練が終わるのね!? もう他に課題はないの? 」 リディアの表情が明るくなる。 「うん。もうないはずだよ」 ケインも、晴れ晴れとした笑顔で答えた。 「どうやって、渡すの? 」 「ミニドラゴンが巣立つと同時に、運んでいくんだ」 少し淋しそうな顔になって、ケインは答えるが、リディアの方は、内心ホッとしていた。 「いろんなドラゴンを見たけど、結局、お前は何の種類なのか、全然わかんなかったな。お前は、幻のドラゴン……なのかな? 」 ペンを置き、テーブルの上をひょこひょこ歩いていたミニドラゴンを、ケインが持ち上げる。一声鳴いたのも、相変わらず、リディアにはわからない。 「ねえ、それを書き終えてからでいいんだけど、ピクニックに行かない? トリの薫製で作ったスモークサンド持ってきたの」 リディアがバスケットを手にしていることに、ケインは今気が付いた。
二人で出かけるのは、ドラゴンの卵が孵って、数ヶ月ぶりであった。 「なんだか、久しぶりね。こうして、二人で出かけたの」 「ああ、そうだな」 ケインの家から近い、見晴らしの良い丘に、二人は来ていた。 リディアの持って来た敷物の上で、ケインは足を投げ出して座った。リディアは、長いスカートで足を隠すように、ふわりと座っている。 「ドラゴンの研究は、どう? 」 「ああ、いろんなタイプがいて面白いよ」 「怖くはないの? 」 『怖くなんかないよ。そりゃあ、カオはちょっと怖いけど、見慣れれば、可愛いのだっていたぜ。時々ベビーの見せる幻影みたいなものを見てるうちに、ドラゴンの壮絶な生き方を知ったよ。絶滅したものなんかもいたりして、当然、俺の知らないことばかりだった。 人間からは悪者扱いされるドラゴンだけど、東洋とか、地域によっては神のように扱われることもわかった。人間界にもいるって言われてるけど、ドラゴンの種族の世界だってあるのかも知れない。 その壮大さに、俺は、ただただ圧倒されるばかりだった。 ドラゴンの歴史に比べたら、人間界で起きていることなんか、小さなことに思えて。 わかってはいたけど、俺なんて、まだまだだよなぁ」 リディアは、ふと淋しそうな表情になった。 「なんだか、ケインが、私の知らないところに行ってしまったみたい……」 ケインは、意外そうに、リディアを見つめた。 「ドラゴンのヒナだって、私たちには見えないし、もちろん、いろんなドラゴンだって見れないし……。 伝説の剣を手に入れたということは、やっぱりすごいことなんだ、って実感していくと同時に、あなただけが、どんどん特別になっていってしまうように思えてならなかったの。 もちろん、その特別なことも、マスターソードを持つために必要なことなんだって、割り切ってるけど…… なんていうか……一緒に共有出来ないのが悔しいっていうのかしら。私にも、せめてミニドラゴンだけでも見えたらいいのに、そうしたら、ケインと一緒に、喜びを分かち合うことも出来たのになぁ、って思って……」 「リディア……」 ケインは座り直すと、リディアの肩を抱いた。 リディアが伏せ目がちにケインを向く。 二人の瞳が閉じられ、どちらともなく顔を近付けていった時、
バリバリバリッ!
突如、敷物の上にあったバスケットが、勝手に壊れていく。 リディアが悲鳴を上げ、ケインの後ろに隠れた。 「あっ! こら、ベビー! 」 ケインは慌ててバスケットを取り上げると、中にあった食べ物は食い散らかされていた。 「お前、いつの間に来たんだ!? あーあ、せっかくのスモークサンドが! まだ一口も食ってなかったのにー」 怯えていたリディアが、呆然とその光景を見る。目を凝らしても、やはり、ミニドラゴンの姿は見えないままだ。 「ごっ、ごめん、リディア。ベビーのヤツが、全部食っちゃったみたいで……」 ケインがドギマギしながら謝ると、リディアは、引き攣った笑顔で言った。 「い、いいのよ、今度また作って来るから」 「ホントにごめん! バスケットも、後で買って届けるから」 「いいのよ、気にしないで」 リディアは、さっさと敷物をたたむと、一言、言った。 「やっぱり、ちゃんと課題が終わるまでは、会わない方がいいみたいね。私、ケインの邪魔してたみたい」 ちらっとケインの顔を盗み見ると、ケインが少しホッとした表情になったのを見逃さなかった。 「そ、そう? リディア、ごめんな。俺も、なるべく早く課題終わらせるようにするからさ。全部終わったら、またデートしような! 」 慌ててリディアの頬に口付けると、見えないドラゴンを脇に抱え込み、ケインは丘を駆け下りていった。 (……そう、あなたにとっては、デートの方が後回しなのね? ) 引き止める気もないのか? 課題の合間にも、自分と会う気はないのか? と、思いをぶつけるよう、ケインの後ろ姿を睨んでいたリディアであったが、そのうち、仕方のなさそうに、溜め息をついた。 「……だから、コドモだっつうの」 溜め息と同時に、そんな言葉がもれていた。
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