「水の匂いがするよ」 羽を勢いよく羽ばたかせて、ミュミュが言う。 「今度こそ、本当なんだろうな? 」 カイルが、ダグラの上で、疑わしい目を彼女に向けた。 「ウソじゃないもん! さっき、ミュミュ、見て来たもん! 」 ミュミュは、ぷーっと頬を膨らませた。 マリスが、はっとしたように前方を見据えた。 「……何か見えるわ! 」 皆で目を凝らしてみると、地平線の彼方の、ゆらゆらと景色がぼやけている辺りに、白い、建物のようなものが横に並んでいるのが見える。 「どうせまた蜃気楼なんじゃないの? 俺たち、あれに何回騙されてんだよ」 溜め息混じりに、カイルが言った。 「だから、オアシスだってばー! さっきから、言ってるでしょー! 」 ミュミュが、カイルの金髪の一束を引っ張りながら、わめいた。 「ああ、ああ、わかった、わかった」 なかなか信じようとしないカイルは、いい加減な返事をした。
「オアシス……! 」 思わず、カイルが言葉を漏らす。 何もなかった砂山を下ったところに、小さな村が見え、その奥には、空と同じく、青く澄んだ湖のようなものが広がっていたのだった。 泉の周辺や、離れたところにまで、濃い緑色の草が生えていた。まさに、命の泉である。 「とうとう着いたのね……! 」 クレアが、目尻をそっと拭(ぬぐ)う。 それが最終目的地ではなかったが、そのセリフはふさわしかった。 「ほーらね! ミュミュの言った通りだったでしょ? 」 ミュミュは、得意気に手を腰に当ててみせた。 一斉にダグラをオアシス目掛けて走らせる。 湖の手前には、白い石でできた四角く低い建物やテントが並ぶ。以前、目にした、布を被った行商人(キャラバン)の姿だけでなく、旅人の姿も多い。 「水だー! 水だー! 」 一行の中で、一番に泉に辿り着いたのは、カイルだった。今まで萎(しお)れていたわりに、どこにそんな元気があったのかと皆が思うくらい一目散に泉の中へ、ばしゃばしゃ入って行くと、がぼがぼ水を飲み始めたのだった。 続いてマリスとケインが水に飛び込んだ。 ひやーっと冷たい感触を想像していた彼らであったが、予想に反して、温水であった。炎天下では、当たり前かと思い直し、もっと深いところへ行けば冷たいであろうとわかっていながらも、我慢し切れずに、ぬるい水を飲む。 遠目から見れば、青く見えた水も、実は濁っていて、とても綺麗とは言えなかったが、この時ほど、彼らは、水がこんなにも美味しいと思ったことはなかった。空腹でもあったが、まずは、この水だけで充分だった。 一通り、全身を水に浸かり、満足いくほど温水を飲みまくると、後は、それぞれ好き勝手にする。 カイルはぷかぷか仰向けに浮かんでいて、気持ち良さそうであったし、マリスは甲冑を脱いで、少年服のまま泳ぎ回っている。 いつの間にか泳いでいたミュミュは、カイルの腹の上に乗っかり、一休みする。 他の旅人たちも、大勢ではないが、一泳ぎしている人、服を洗っている人などもいた。 少し離れたところでは、ダグラを洗っている人もいた。 (……てことは、俺たちは、そんな水をがぶがぶと飲んでいたってことか……!? ) と、ケインは思ったが、この暑さの中、あまり細かいことは考えるのはやめた。 岸辺では、クレアは両手で水を掬って飲み、顔を洗ったらしく、水を滴らせていた。 ヴァルドリューズが水を飲むところをケインは見なかったが、彼もおそらく飲んだのだろう。今は、木陰で座っていた。 水を浴び、飲んで、ひとまず息を吹き返した一行は、さっそく食堂を探し、駆け込んでいった。
ガツガツガツガツ……! 一行は、夢中で食べていた。 「お客さん、よっぽど飢えてたか? そんなに慌ててかっこんでると、喉に詰まる。 お茶飲みながら食べるよろし」 「お茶ぁ? お茶なんかより、水持って来いよ! 」 彼らの餓鬼(がき)のような食いっぷりに呆れながらも、心配している現地人の店員に向かって、そちらを見もせずに、食べながら、カイルが命令する。 皆、一心不乱で食べている。聞こえてくるのは、フォークが器に接触する音と、食べ物を飲み込む音くらいであった。 何かの肉を煮込んだものと、カリカリに焼いたもの、野菜のぶつ切りと、動物の骨の入ったスープ、固いパンのようなもの、木の実――などを、次々と胃袋に詰め込んでいく。 味は、彼らにはいまいち馴染みのないものばかりだったが、飢えていたせいか、非常に美味しく感じられたのだった。 「おう、あんちゃん、どんどん頼むわ! 」 カイルがスープを飛び散らせながら飲み、通りすがりの店員に催促する。 店員は、「まだ食うか!? 」と言わんばかりに目を見開いていたが、一行は構うことなく、ただただ目の前に並んだものをかっ込んでいくのみであった。 ヴァルドリューズも、普段よりも速いペースで食べていた。ミュミュも、普段のように選(え)り好(ごの)みしている暇はないようで、彼らの中で、一番、食の速度の遅いクレアの皿から、パクパク食べていた。 一行が、デザートに大きな木の実を割り、なかなかに、あっさりとした果汁と一緒に、果実をスプーンで削り取って、食べているところだった。 「なんだ、この店は。ほとんど品切れじゃないか。それなら一体何ならあるというんだ? 」 傭兵の成りをした黒い短髪の若い男が、眉間に皺を寄せている。同じテーブルには、連れである、金髪で色白の、同じく若い傭兵もいる。 その二人に向かって、店員がペコペコと頭を下げていた。 「今は、木の実と果実だけで……。さっきまでは、まだたくさん残っていたんですがね……」 白い長い布に身を包んだ、色黒で痩せた店員が、ちらっと、『白い騎士団』のいるテーブルを見た。 「またお前たちか」 文句を言っていた黒髪の傭兵が、眉間に皺を寄せたまま、一行のテーブルに近付いた。 皆は、その男の顔には、見覚えがあった。 「きみは、確か――」 「誰よ、あんた」 ケインが思い出しかけた時に、マリスが、スプーンで果実を口に運びながら、遮った。 「忘れたとは言わせないぞ! 貴様ら、トカゲどころか、他の食い物まで、俺たちから取り上げる気か!? 」 男は、まだ若いはずであるのに、額には、皺が刻まれていた。 「……ああ! 思い出したわ! あのガラガラオオトカゲを奪い合った、確か……」 マリスは、ぽんと手を打っておきながら、その続きがなかなか出て来ない。 「だからさ、あいつだよ。えっと……あれ? 何てったっけ? 」 ケインも、名前までは思い出せないようだ。 「『青い豹(ジャガー)のダイ』だ! 」イライラしながら、彼は名乗った。 「あら、そんな名前だったかしら? 」マリスが首を傾げる。 「本人がそうだと言っているのだ! 」 「そう? その、ジャガーのダイさんが、あたしたちに、何の用なのかしら? 」 けろっとしてマリスが問うと、ダイが拳をわなわな震わせた。 「とぼけるな! 俺たちの食事を、一度ならず、二度までも邪魔しやがって! 今度という今度は、絶対に――! 」 「あら、そう言えば、お連れの方がいらしたのね」 ダイの後ろに立っている、金髪の背の高い青年に、マリスが気付く。 「人の話の腰を折るなー! 」 ダイは、こめかみに青筋を立てて叫んだ。 「初めまして。僕、クリスと言います。先日は、ダイが大変お世話になったそうで」 クリスと名乗ったハンサムな青年は、一行に対し、にこにこと人の好い笑みを送り、馬鹿丁寧にお辞儀をした。悪気はなくとも、男たちにとっては、鼻につく行為だった。 「バカ野郎! お礼言ってどうする!? こいつらは、俺がせっかく捕まえたトカゲを食っちまい、今だって、こいつらのせいで、俺たちの食事がなくなっちまったんだろうが! 」 「ええっ!? そうだったの!? 」 状況が、あまりわかってなさそうなクリスに、ダイがイライラしたまま、きつい口調で言い放った。 「ちょっとタイミング悪かったみたいね。同情するわ」 「貴様に言われても、真実味がないわ! 女のくせに乱暴だわ、よく食うわ――まったく、品性のかけらも感じられんな」 マリスをじろじろ睨みながら、ダイが憎々し気に言う。それは、なかなかに当たっていると、マリス以外は心の中で頷いたことだろう。 「でも、もう食べちゃったものはしょうがないし……よかったら、夕飯奢(おご)るけど、それで許してくれる?」 マリスは、両手を合わせて、小首をかしげ、にっこり笑ってみせた。 「今さら、かわいこぶってもだめだと言っただろう! 金で解決しようというその魂胆は、ますます気にいらん! 」 余計に、彼は腹を立てた。 「だって、他にどうしろっていうのよ」マリスが肩をすくめた。 「食い物の恨みは拳でつける。貴様、正式に、俺と勝負しろ! 」 ピシッと、ダイがマリスに指先を向けた。 「ダイ、いくらなんでも、女性にそれは乱暴なんじゃないの? そんな、食べ物のことくらいで」 横から、クリスが口を挟んだ。 「うるせー! だいたい、貴様が大事な食料を、砂漠で落としたりするから、こんなことになるんだ! 」 彼の怒りは、その連れにまで及んだ。 「まあ、食料を……」 クレアが、手を口に当てる。 そのクレアに向かって、クリスが、にっこり微笑んでみせた。 「そうなんですよ。僕たち、前のいくさの時から一緒に行動してるんですが、負けいくさだったんで、お金がもらえずで。賞金稼ぎの話を聞いて、魔物を捜して、こんなところにまで来ちゃったんですけど、生憎、ガイドにお金を取られて逃げられてしまって、たまたま身に着けていた、なけなしのお金しか手元になくて……しかも、布袋に穴が開いていて、そこから、知らない間に食料がポロポロ落ちてたみたいなんですよ。ひどい話でしょう? 」 クリスは、困ったように笑った。 (笑ってる場合なんだろうか? ) ケイン、カイル、クレアは、目を見開いて二人の傭兵を見ていた。 「人事(ひとごと)のように言うなー! お前が、マヌケだから、俺がトカゲを捕まえることになり、それが、この小娘に蹴り倒されるハメになったんじゃねーか! 」 ダイは、額のあちこちに血管を浮き上がらせ、切れそうになっている。 それとは対照的に、クリスの方は、にこやかに微笑んでいた。 「ああ、そうか。ダイは、このお嬢さんに負けたことが気に入らなかったのか」 「うるせー! 負けたわけじゃねえ! あの時は、腹が減ってて、普段の実力が出せなかっただけだ! 」 ダイは、またじろっとマリスを見下ろした。 「というわけだ。わかったか、貴様! 表へ出て、俺と勝負しろ! 」 「いやよ」 あっさりとマリスが拒絶したので、ダイは拍子抜けした。 それは、ケインたちにとっても、意外であった。今まで空腹で暴れられなかった分、これをいいことに一暴れするものと思っていたのだが。 「今日は、遊ぶって決めたのよ。今まで死の瀬戸際を歩んできたのよ。やっとオアシスに辿り着けたんですもの。久しぶりに、のんびりしたいわ」 マリスが両手を伸ばして、伸びをしながら言った。 「だったら、貴様、勝負しろ! 」 「は!? 」 ダイの指先は、ケインに移動していた。 「なんで俺が? 」 「貴様に掴まれたところが、しばらく痣(あざ)になっていた。かなりの武道の使い手と見込んで、言ってやっているのだ。有り難く思え! 」 「はあ……それは、どうも」 ケインは、面食らったまま続ける。 「でも、生憎だけど、俺もパスするよ。理由は、彼女と同じだ。今日くらいは、ゆっくりしたいからな」 ケインも、わくわくを隠せない様子であった。 「ふん、怖じ気付いたか」 ダイは、その後もしつこくマリスとケインを挑発していたが、二人とも、それどころではなく、オアシスで 遊ぶことで、頭がいっぱいであった。 「ねえ、ダイ、そんなことよりもさあ、僕、おなか減っちゃったよ。別の店に行かない? 」 クリスの一言で、いざこざは、収まったのだった。
食後、一行は、また大きな湖に戻り、乗っていたダグラを洗っていた。 ダグラを水の中へ連れていくと、脚を折り畳み、水の中に座る。 借りた手桶で、カイルが背中に水をかけてやり、ケインが、布で、毛並みに沿ってこすり洗いをする。ダグラは、気持ち良さそうに、目を閉じた。 もう一頭の方は、マリス、クレア、ヴァルドリューズが手入れをしている。 クレアが水をかけてやり、マリスが、布でダグラの身体を拭いてやっているのだが、力が入り過ぎて痛いのか、ダグラが嫌がって鳴いている。ヴァルドリューズが代わると、気持ちよさそうに目をつぶったのだった。 その後、宿を取り、そこでダグラを預けると、彼らも水浴することにした。 宿屋の主人の話では、男女別に水浴場があるという。 着ていた服は、ボロボロとまではいかなくとも、砂だらけで、色褪(あ)せていて、ところどころ変色もしていたり、大分ほころびも目立っていた。 行商人(キャラバン)の屋根のない店が、ずらっと並んでいる中、男性、女性に別れた一行は、まずは着替えを 買い、それから、水浴びをしようということになった。 「あんまり種類ねえなあ」 カイルが、眉をひそめる。 キャラバンと同じような、上から下までを白い布で覆い、腰にサッシュを巻いたものや、東方の民族らしい 商人の話では、それこそ魔道士チョウが履いていたような膨らんで足首のところが、すぼまっているパンツと、短いベストなどが主流だといい、 ケインやカイルが着ているような傭兵用の服などは、あまり見当たらない。 皆、各国から出稼ぎに来ている商人たちの、それぞれ出身国の特徴がでていたが、当然のことながら、暑さに強い国のものが圧倒的に多かった。 「この先も砂漠が続くんだし、通気性のいい生地のものがいいかものな」 「そうだな」 ケインとカイルは、お互い頷き合い、ヴァルドリューズは、いつものように、特に反応はない。 動き易さも考慮すると、結局は、あまり柔らかくはないが通気性の良さそうな生地で出来た、膨らんだ白い パンツとベストにターバンというスタイルに落ち着いた。 三着一遍に買うから安くしろと、カイルが値切ったため、安く手に入ったので、カイルもケインも満足だった。 男三人は、さっそく購入した服を持って、水浴び場へ向かう。 そこの番人には、始めに見た大きな湖のようなところとは違い、岩場で固められた方へと案内される。 岩の壁は高く、外からは見えない造りになっていた。そのおかげで、そこの水は、冷たかった。 彼らは、貴重品や剣を、近くの岩の上に置き、早々に水に浸かった。 「はー、気持ちいいー! 」 カイルが、ばしゃばしゃ水で顔を洗い始めた。 水場は、彼らが思ったよりも広い。 カイルとケインは、ヴァルドリューズに荷物を任せ、泳ぐことにした。 「向こう側まで競争だ! 」 「よーし! 」 他にもぽつりぽつりと人はいたが、スペースを探して、二人は、わざわざ、ばしゃばしゃと、水飛沫(みずしぶき)を上げて、泳ぎまくった。 水浴び場では、中心へ行くほど深くなっていき、彼らでも足が届かないほどであった。自然に湧き出ている泉のようで、水は澄んでいる。 あれほど容赦なく照りつけ、恨めしく思っていた太陽も、その泉の中からは、心地よく感じられた。 「ああ! 生きててよかった! 」 仰向けになって、ぷかぷか浮いているカイルは、しみじみ感動を噛み締めていた。 ケインも同じ気持ちだった。 死にかけたこともあったが、ここへきて、一気に緊張の糸が切れたようであった。
水から上がると、彼らは、購入した服を手に取る。 「どうやって着るんだ、これ? 」 「さあ……? 」 ケインもカイルも、このような民族衣装は着方がわからなかった。 「もう五年くらいになるかな。俺に『武浮遊術(ぶゆうじゅつ)』を教えてくれた、東方の女の子が、似たような 服を着ていた気がするけど、服の着方なんかは教わらなかったし……」 ケインたちが、どうしたものかと手を付けられないでいる横では、ヴァルドリューズが、一番サイズの大きい服を手に取り、身に着け始めた。 「そっか、ヴァルは東方の出身だったもんな」 二人は、ヴァルドリューズに教わりながら、なんとか服を着る。 「お前の国でも、こういう服装だったのか? 」 カイルが尋ねる。 「少し違うが、チョウの出身であるタイラでは、砂漠もあるため、主にこのような服装だった。国が近い故、 私の国でも、このような服も出回ってはいた」 腰にサッシュを巻きながら、ヴァルドリューズは淡々と答える。 「宮廷では、どんな服だったんだ? 」 見よう見まねでサッシュを巻きながら、今度はケインが尋ねる。 「白い詰め襟の、裾の長い服だ」 やはり、淡々とした口調で、答えが返る。 二人は、普段の黒いマントに身を包んだ彼を見慣れてしまっていたが、ヴァルドリューズは西洋系の整った顔ではあるものの、本来は東洋人であり、肌も浅黒いので、今着ている白い色は映えていた。 その様子からは、彼の出身であるラータン・マオの宮廷魔道士の衣装という白い詰め襟服とは、黒いマント姿とは違う印象で、しかも似合っていただろうと思わせる。 「俺たち、結構似合ってない? 」と、カイルが得意気に言った。 仕上げに白いターバンを巻いた彼らは、西洋の衣装を見慣れたカイル、ケインからすると、まるで、謎の外国人三兄弟のように思えてしまい、爆笑していた。 もちろん、ヴァルドリューズは、笑ってはいなかったが。
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