「なあ、今日で何日経つ? 」 カイルが誰にともなく尋ねた。 ベアトリクスの追手のひとり、タイラ国の魔道士が消えてから、三日が経つ。荒野の次は砂漠かと、代わり映えのしない景色の中を進むのに、ほとほとうんざりしているのは、皆も同じだった。 「本当に、こっちでいいんだろうな? 」 カイルは、今度はヴァルドリューズを振り返り、疑い深気な目を向ける。ヴァルドリューズは、ダグラの上で、ゆっくり頷いた。 「けっ! あの変な魔道士野郎のおかげで、とんだ道草食っちまったぜ! 」 カイルはぶつぶつ言うが、例のガイドの振りをした魔道士チョウは、実際は、半日ほどしか同行しなかったので、遠回りさせられたとしても、その分は、もう取り返していた。 「大分、日が高くなってきたな」 「そうね」 真っ青な広がる空を、眩しそうに見上げて言ったケインに、マリスが相槌を打つ。 このところ、早朝のまだ薄暗いうちに出発するようになっていた。 白い、大きな布を被り、金色の環で頭に固定したスタイルも、定着してきている。 ミュミュが、ぱたぱた飛んで、マリスに近寄るが、話しかけるでもなく、ただマリスの目につくところを、ずっとぐるぐる飛び回っている。 「ミュミュ、おなか空いたの? 」 マリスが言うと、ミュミュは、さっとケインの影に隠れ、彼の肩越しから、そうっと顔を覗かせた。 「いいわ、ゴハンにしましょう」 マリスが合図し、ダグラから降りた一行は、敷物用の絨毯を敷き、その上に座る。 砂漠に入る前に購入した食料も、いよいよ底をついてきていた。 それは、一行の誰もが経験したのことのない気温であった。これから、真昼になれば、息も付けないほどの暑さにまで上昇する。衣服等は、脱ぎ捨てたくなるが、砂漠での日を、長時間、直接肌に浴びれば、皮膚が焦げ、そこから病気が発生することも あるというので、日除けの布で全身を覆うようになるのだった。 「食い物らしいもんは、これで終わりか。あ〜あ」 嘆きながら、カイルは、干した肉や果実を名残惜しそうに、いつまでもしゃぶっていた。 マリスも、ちょっと残念そうな顔をしている。
そこには、今まで進んで来た砂漠と違い、奇妙なものたちがいた。 刺々しい葉を持つ、木全体が緑色そして、その先に毒々しい真っ赤な大輪の花をつけたものが、てんてんと砂地から突き出ている。町中で見かけるより大きめのムシが、花の前を通り過ぎようとすると、その赤い花弁(はなびら)がパクつき、瞬時にして、くしゅっと窄(つぼ)まった。 もごもごとまるで咀嚼(そしゃく)しているのように、しばらく動いていたかと思うと、そのうち、ゆっくりと、また花弁がひらいていく。 ムシは、跡形もなくなっている。 (どうやら、食虫植物らしいな) ケインが、ふと見ると、少し離れたところの岩の上を、指ほどの太さの、長いムシが、身体を縮めたり、伸ばしたりして、這って行くのが見えた。枯れた木のように茶色く、ぼしょぼしょと毛を生やしている。 ミュミュが、ぱたぱたと、それに寄って行く。 「トーガだわ。ミュミュ、そいつに、あんまり近付かない方がいいわよ」 マリスが、首だけミュミュを振り返って、言った。 「放っておけば危害は加えないわ。敵だと思われると、攻撃されちゃうわよ」 マリスの声に、ミュミュがそこからパッと飛び退(の)く。 「お前って、変なことに詳しいな」 マリスは、ケインを振り返り、微笑した。 「じいちゃんのところでみたことがあるの。現地で実物を見たのは初めてよ」 大魔道士ゴールダヌスを、マリスはそう呼ぶ。魔道士連中を警戒するため、結界を張っていないところでは、マリスもヴァルドリューズも、その名をあまり口にしない。 ミュミュは好奇心に目を輝かせ、先程の食虫植物の葉のトゲのない部分を持つと、ぶつっと引っこ抜いた。 それを、そうっと運び、トーガというムシの上に、ぼたっと落としたのだった。 途端に、茶色く曲がった紐のようなそのムシは跳ね上がって、反っくり返ると、身体を覆っている毛を逆立てて、硬質化させ、落ちて来た葉に向かって、それらを発射させたのだった! 針のように鋭く尖った毛は、ぶすぶすと葉に刺さった。 その様子を見届けると、ミュミュは満足して、ヴァルドリューズのところへと戻って行った。ムシが攻撃するところを、どうしても見たかったようだ。 「うわあっ! なんだ、ありゃあ!? 」 「きゃああ! 」 カイルとクレアの叫び声だった。大きな、黒い半透明の物が、ぶにょぶにょと、ゆっくり地面を這っているのが、マリスとケインにも見えた。 「ああ、それはイグウィナだわ。おとなしい生き物だから、大丈夫よ」 マリスが立ち上がって近付き、両手で持ち上げるようにして抱えてみせた。 丸いのか、四角いのか――イグウィナは、軟体動物で、マリスに抱えられると、ぐにゃ〜っと、地面に伸びて、垂れた。黒くても、半透明の身体を通して、向こう側のマリスの脚が透けて見えている。 「きゃああ! やめてー! 」 クレアが、両手を顔に当て、悲鳴を上げた。 「大丈夫よ、何もしないから」 「いやあー! 」 マリスがイグウィナを持って近付くと、クレアは一層怖がり、カイルの方へよろめいた。 カイルが目一杯優し気な表情で、両手を開き、彼女を受け入れる体勢になっていたのだが、クレアは、カイルを突き飛ばして、その場から逃げた。そこに、彼がいたことすら、気付いていなかった。 「こっちにもいたよー」 別のところから、ミュミュが小さめのイグウィナを抱えて、飛んでくる。 「きゃーっ! 」 クレアはその場にへなへなと崩れて座り込み、顔を覆ってしまった。 「わーい! おもしろーい! 」 ミュミュは、マリスの持っていたイグウィナの上でぼんぼんバウンドし、大喜びだった。ミュミュの持って来た小さい方のイグウィナは、マリスがてのひらの上で、弾ませて遊んでいる。
ダグラに乗り、出発すると、透明の花弁のようなものが、ひらひらと飛んできていた。よく見ると、それは一定の形に留まらず、常に変形しながら、飛び続けていた! イグウィナと同じく基本形はないようだ。 「これは? 」 「ジェイド。夜になると、綺麗な翡翠(ひすい)色に光るの。害はないけど、触るとベタベタするから、気を付けた方がいいかも」 ケインにマリスが答える。 「ああ〜ん! 」 言われた側から、ミュミュが悲鳴を上げる。ミュミュは、顔にへばりついたジェイドを取っ払おうと、必死にもがく。 クレアも、彼女の美しい黒髪の先に引っ付かれ、やはり悲鳴を上げながら追い払っている。 ミュミュが、やっとのことで剥がしたジェイドを、丸めて放り投げた。それが、カイルとクレアの乗っているダグラの尾にペトッとくっつき、ダグラが驚き、勢いよく尾を振って暴れたため、クレアが悲鳴を上げてダグラの首に捕まり、危うくカイルが振り落とされそうになった。 ダグラたちにも、ジェイドは鬱陶(うっとう)しいらしく、なんとなく、しかめっ面をしているように見える。 「ジェイドは火を恐れるのよ。松明(たいまつ)でも掲げてれば大丈夫」 「……早く言ってくれよ」と、マリスに言うカイル。 さっそくクレアが炎の術を唱えた。てのひらほどの炎を、掬(すく)うように浮かび上がらせた途端に、周りから、その透明な生き物は消え去った。 ケインとマリス、ヴァルドリューズのダグラの周りにも、彼が小さな炎を飛ばし、それが飛びながらついてくるので、ジェイドは寄り付かなかった。 まだ昼間ではあったが、火を焚いて砂漠を進むことになったのだった。 「今までは、こんな生き物には遭わなかったわ。それなのに、どうして急に現れるようになったのかしら? 」 クレアが不安そうに呟く。 「生き物がいるってことは……そうか! 」カイルの瞳が輝き出す。 「そう。大分、砂漠の内部に入って来たってことと、『水が近い』ってことよ」 マリスが皆を見回して、微笑みかけた。 「そうか、オアシスがあるのか! 」 一行は、急に元気が漲(みなぎ)ってきた。 気の遠くなるような暑い日差しを受け、三日間歩み続けてきたが、とうとう目印であるオアシスが、もう目の前に迫っているのだ! オアシスに付けば水を追加でき、浴びることも出来るだろう。 「よーし、みんな、後もうちょっとだ! 頑張ろーぜー! 」 カイルが、元気よく拳を掲げた。皆も、その気になり、笑顔になった。
「なあ、まだオアシスは見えて来ないのか? 」 辺りは日が沈みかけ、夕方であった。カイルがうなだれてマリスに尋ねた。 「……そうねえ」 マリスも、珍しく自信がなさそうだ。 ミュミュが疲れて、だらだらと飛んできた。マリスの周りを、またうろうろし始める。 「どうしたの、ミュミュ? おなか空いたの? 」 そう言いながらマリスが休憩の合図を送り、一行はダグラの足を止める。大分、日が陰っていて、敷物がなくても砂の上は、それほど熱くはなくなっていた。 だが、砂だらけになるのを避けるため、皆は敷物の上に座る。 仕入れた食料は、昼間のうちになくなっていたので、再びバヤジッドの飴の袋を、マリスは取り出した。 「……! 」 珍しく、マリスが固まっていた。 「どうした? 」 ケインが、袋を覗き込もうとすると、マリスは茫然として呟いた。 「……飴が溶けてる……」 「へっ!? 」 ヴァルドリューズ以外、彼らは皆一斉に皮の小袋の中を覗く。 飴は、袋の中で、どろどろの違う個体になっていた! 食料を購入してからは、一度も袋を開けなかったので、一体いつ溶けたのかはわからなかったが、尋常でない暑さの中では、当然であった。 「うわ〜ん! 」 ミュミュは、火がついたように泣き出した! それに触発されたように、カイルもクレアも取り乱していた。 「食料もなく、どうやって、この先進んで行くんだよー! ここに巣くってる変な物を食べて生き延びろっていうのか!? そんなこと、このデリケートな俺に、できるわけないだろー! 」 カイルが頭を抱えて、誰にともなく叫ぶ。 「ああ! 私たちは、こんなところで尽き果てなくちゃならないのかしら! 何という運命のいたずらかしら! おお、神様! 」 クレアも、膝を付き、祈るように、天に向かっている。マリスも、放心したように、ぺたんと座り込んだ。 「そ、そうだ! みんな、安心しろ! なくなったら、いつでもくれるって、バヤジッドさんが言ってたじゃないか! 」 ケインが立ち上がって、バヤジッドと交信出来る木のペンダントをポケットから取り出した。 皆の顔は、一瞬で輝く。 ケインが、さっそくロケットを開けると、そこには、茶色い木の幹に、赤く光る小さな二つの目の付いた、黒いフードを被った、見覚えのある懐かしい姿が描かれていた。 以前、開けた時と同じく、中の肖像画が、みるみるうちに、実写のバヤジッドへと移り変わっていった! 「皆さん、どうもこんにちは! 結構、頻繁に開けて下さって、私は嬉しいですよ! 」 彼の、何重にも一緒に喋っている、ヒト離れした声が、懐かしく響く。 「ああ、バヤジッド! 助けてくれよぉ! 」 カイルが泣きそうな、甘えた声を出した。 「はいはい、どうなさいました? 」 ペンダントの中から、弾んだ声が返ってくる。 「あなたが作った、栄養分の詰まった飴ですけど、よかったら、あれをまた頂けないでしょうか? 」 ケインは、丁寧に切り出してみた。満腹感が得られないなどとは、とても言ってはいられない。 「……ああ! あの赤い飴のことですね!? 気に入って頂けましたか!? そうですか、そうですか! 」 表情は読み取れないが、声の感じから、彼は、喜んでいるようだった。 「あの飴は、製造に、ちょっと時間がかかるんですが、たまたま余ってるのが倉庫にあると思うんですよ。それでもよろしいですか? 」 ヴァルドリューズ以外は一斉に身を乗り出してペンダントを見つめ、こくこく頷いた。 「わかりました。ちょっと探してみますね……」 肖像画を見ている限りでは、ジーッとしているだけにしか、皆には思えないのだが、それでも、どうやら、彼は、倉庫の中を探しているようだった。 「ああ……! 」 突然、歓喜に近い声が、ペンダントから起こった。 「どうした!? 見付かったか!? 」 カイルが、ペンダントを持つケインの手に飛びつき、覗き込み、皆も、またしても身を乗り出す。 「いいえ、まだなんですけど、ちょっと思い出したことがあるんで、教えて差し上げようかと。この間、紅通りのドゥグにばったり遭っちゃったんですよ! あのカエル魔道士の! ヤツは、私の後をずっとついてきて、それはもう、鬱陶(うっとう)しいったら、ありゃあしなかったものですから、オオネズミを召喚してやりましたらね、これが、喜んで追っかけていったんですよ! ほほほほほ! ああ、おかしい! 」 ケインたちは、へなへなと地面に崩れ落ち、ペンダントの中から聞こえる笑い声だ けが、そのまま続いていた。 「……あのさあ、そんなことはいいから、……まだ飴は見付からないのか? 」 力の入らない声で、ケインが尋ねると、 「ああ、ありました」呆気ないほどの平然とした声が、即座に返る。 「なにっ!? 本当か!? 」 皆、一斉に顔を見合わせた。 「二〇粒くらいあるようですが、いいですか? 」 木の魔道士の声に、皆の瞳は期待に輝く。 「助かったぜ! じゃあ、それをこっちに送ってくれないか? 」 「よろしいですよ。皆さん、今どちらにいらっしゃるのですか? 」 「アストーレから西方面にある砂漠なんだ」 ケインの言葉を聞いた彼の表情が、一瞬曇ったように映った。 「具体的な位置がわからないと、転送は難しいですねえ……伝書バトでもいいですか? 」 ハトというトリを召喚して、それに飴を届けさせようというのだった。 (おいおい、そんなんで大丈夫なのか? ) いやな予感が、ケインの脳裏をよぎる。 「……他に方法がないのなら、しょうがないけど……それだと、どれくらいで着くんだ? 」 ケインの質問で、彼は、斜め上を見る。首を捻っているつもりなのだろうが、首が真っ直ぐなため、そのようになってしまうのだろう。 「そうですねえ……ここフェルディナンドから計算しますと……ざっと一週間くらいですかねえ……」
……パチッ
ケインの手は、ペンダントを閉じていた。 一行が、シ〜ンと静まりかえっている中、 「あらら? どうしました? もしもしー? もしもしー? ……変ですねえ。急に通信が途絶えて……」 バヤジッドの声だけが、フェイドアウトしていったのだった。 「うわあああ〜ん!! 」 ミュミュが、天を仰いで泣き叫ぶ。 それをきっかけに、カイルとクレアも再び取り乱す。 一行は、空腹と、心が折れて、この日はそれ以上進むことは出来なかった。
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