(マリス……! 間に合ってくれ! ) ダグラを駆り立てながら、逸(はや)る鼓動が音を立てる。 マリスとヴァルドリューズは一年旅を続け、魔物と戦っている。戦闘の時に発動させる召喚魔法のコンビネーションは最高ではあるが、普段の信頼関係がそれほどでもないように、ケインには思えていた。 マリスの方はヴァルドリューズの実力を認めており、信頼もしているように見えるが、ケイン自身、魔道士というものを、どこか得体の知れない人種だと思っていることもあってか、どうも、ヴァルドリューズが彼女を信頼しているのかどうかを、疑問に思ってしまう時がある。 それは、砂漠の前に滞在していたアストーレ王国の山の上で、彼と二人だけで話をした時から抱き始めているものだった。 『ゴールダヌス派というわけではない』と、『サンダガーを暴走させた時は、マリスを斬ることもある』―― それらの言葉を、ヴァルドリューズの口から聞いてからであった。 以来、ケインは、彼に対しての見方が、少し変わってしまっていた。『もしかしたら、真の敵は彼だった!』ということになったとしても驚かないほど、彼に対して不信感を抱いていたのかも知れなかった。 (こんな砂漠に、しかも、何か異様な事態が潜んでいるとわかって、囮(おとり)として、ほっぽり出すなんて、 彼女を守る役のヤツのすることじゃない! ) ケインには、彼がミュミュやクレアには、あまり感情を面に出さない彼なりにも、心から思い遣っているように見て取れたのだが、マリスに対してそのような場面は、見たことがなかった。 彼が常に敵を意識し、結界を張ることを怠らなかったのは、義務であるように見えたのだった。 (こうは考えたくはないけど、……ヴァルが、ゴールダヌス派ではないんだったら、わざとマリスを危険なところへ追いやって、……魔獣を倒している間の事故死に見せかけることだって、しないとは限らない……! マリスが死んでしまえば、ゴールダヌスの計画とやらも達成されないわけだし、……できれば、こんなことは 考えたくなかったけど、その可能性がないとは限らない! ) (性格的にも行動的にも、かなり問題のある彼女ではあるけど、本来なら、王太子妃となって、戦いとは無縁な、華やかで優美な人生――ホントかよ? ――を、送っていたかも知れないんだ。それが、信頼しているパートナーであり、上級魔道士であるヴァルが、いつ敵に回るかわからないこんな状態で、魔物やベアトリクスの 追手、敵の魔道士たちを蹴散らしながら、仕舞いには……魔王にあてがわれてしまう!? そんな理不尽なこと、俺には、黙って見過ごすことは出来ない! ) そして、彼は、こうも考えた。 いつか、何もかもが終わって無事だったら、マリスは帰らないとは言っていたが、ベアトリクスまで、彼女を送り届けるつもりでいる。ベアトリクスでの陰謀もすべて 片付けてから、である。 (セルフィス王子がどんな人物かは皆目見当が付かないし、当然面識もなければ義理もないけど、あの常軌を 逸したマリスが好きになった相手なんだったら、彼に、これ以上彼女を野放しにさせないよう言い聞かせて――じゃなかった、彼こそが、彼女を最も幸せにしてあげられるような気がする) それが、彼の、ヴァルドリューズに対しての不信感とともに、ケインの中に沸き出してきた思いつきであった。
「ケイン? どうしたの? 」 マリスがダグラの上で、目を見開いている。ケインが考え事をしている間に、彼女に追いついていた。 ほっと安堵した彼は、すぐに顔を引き締める。 「心配するなよ、マリス。魔物が現れても、絶対に俺が守るからな」 頼りになる男の決め台詞のように言ったつもりであったが、それに反して、彼女の顔は不機嫌になっていった。 「あたしを守るですって? そんなことは、どこかのお姫様にでも言うことね」 拍子抜けした彼は、すぐに思い出した。 (そうだった。こいつは普通じゃなかったんだった。俺なんかに、そんなことを言われるのは、プライドが許さないらしい……) 「そうは言うけどさ、マリス、お前、素手で魔物に刃向かうつもりか? それは、いくらなんでも無謀過ぎないか? 」 「だったら、ケインの剣、貸して」 「へっ!? 」 「また前みたいに、マスターソード貸してくれない? それとも、今度は、そっちのバスターブレードも使ってみたいわね。よく斬れるんでしょう? 」 マリスの不機嫌な顔は消え去り、今では瞳を輝かせている。 武人気質であるからか、武器のこととなると、わくわくしているようだった。 「確かに、どっちかの剣をお前に貸せば、魔物が出て来ても、戦闘はラクだけど……」 「だけど……なに? 」 一呼吸置いて、ケインは続けた。 「どっちも、俺にしか使えない剣なんだ」 「あら、でも、前は、マスターソード貸してくれたじゃない? 」 「あのー、それは、きみが勝手に抜き取ったから。それに、マスターソードは、今はあの時とは状況が違ってて……」 黒の魔石(ダーク・メテオ)の力を吸収したマスターソードは、以前と違い、黒魔法が強化したが、同時に、敵の魔力を吸収し、使うことが出来る。剣の持ち主でない限り、魔力を吸収することは出来ないのだった。 「ふ〜ん、なんだか事情があるみたいね。……だったら、バスターブレードでもいいわ」 「それこそ、人には、使えない剣なんだ」 「あら、ちょっとくらい重くたって、あたしは平気よ」 「そうじゃないんだ。バスターブレードは、前の持ち主の意志を引き継いだ者にしか使えないんだ」 「えーっ、そうなの? じいちゃんとこで見てから、あたし、バスターブレード使ってみたかったのに。 ……あ、見たことあるっていうのは、もちろん、魔術であって、本物じゃないけどね」 (ゴールダヌスか。さすがに、何でも知ってるらしいな) 「でも、何でその、『じいちゃん』は、そんなに性格に伝説の剣の姿形を知ってなんだ? 魔道士の力を持ってしても、この剣は――特に、マスターソードは知られてなかったはずなんだよ」 マリスは、少し驚いて、ケインを見る。 「そうだったの? でも、じいちゃんは、どっちの剣も、見たことがあるって言ってたわ」 ケインは思わず、ダグラの足を止めた。マリスも、揃って、手綱を引き、彼の隣で立ち止まる。 「……そんなことは、有り得ない。だって、バスターブレードも、マスターソードも、前の持ち主は、何百年も前の人物だったはずだ」 「じいちゃんは、千年以上も前から生きているのよ。だから、きっと、その間に、両方の剣を見たんだわ」 「せ、千年だって!? 」 驚いたケインは、マリスの顔を見つめながら、クレアの言葉を思い出した。 『半ば魔神と化した魔道士』だと。 (千年も生きているということは、やっぱり、そういうことなのか) ついでに、ふと思い出す。 フェルディナンドで出会ったカエル魔道士のドゥグは七〇〇年、木の魔道士バヤジッドは六〇〇年以上生きていると言っていた。既に、ヒトとはほど遠い外見の彼らであったが、それ以上も前から生きているゴールダヌスとは、どのような外見だったのだろうか? (ゲテモノ食いだと言うし、殆どバケモノだったんじゃ……!? ) そう思い付いて、ケインは、ぶるっと身体を震わせた。 「詳しい話はよく覚えてないんだけど、バスターブレードのことは、なんでも北の果ての巨人族の剣で、この世で最強の剣だってことくらいは、なんとなく覚えているわ。 マスターソードのことは、あの剣は詳しいことは持ち主にしか伝授されないからって、あまり教えてもらえなかったけど。いくら優秀な魔道士たちが力を合わせて探ろうとしても、ダメだったみたいよ。 五〇〇年前に魔道士の塔が設立されて以降も、マスターソードの秘密は、どうしても探れなかったみたいだわ」 マリスは一旦区切ってから、続ける。 「それでも、じいちゃんや、『蒼いじじい』、ヴァルなんかは、もうちょっとは詳しく知ってるみたいだけどね」 『蒼いじじい』とは、ゴールダヌスと敵対する蒼い大魔道士のことであった。 あまりにも強力な魔力を持つ魔道士には、その名を口にしただけでも探知されてしまうおそれがあるため、 悪口ではなく、マリスはそのような言い回しをしたのだった。 「ねえ、ほんとに、剣貸してくれないの? 」 マリスは、好奇心を隠せない目を隠し切れずに、媚びた表情を作っている。 「貸したいのは、やまやまなんだけど……」 ケインは、少しの間、考えていた。 (バスターブレードは、本来の持ち主の意志を受け継がないと……だし、マスターソードは、ダーク・ドラゴンの力が吹き込まれ、剣を使えば使うほど、俺に馴染んでくるもの。マリスに貸したところで、その力が逃げて いくわけでもないし、操れるわけでもないけど、その間は、剣の成長が止まってしまう。 この先訪れる町や村に、いい剣がなければ、マリスに貸している期間も延びることになるわけで、それだと、ちょっと――大分、もったいない気がする。かと言って、バスターブレードは……! マスターソードは……! ) 彼の思考はぐるぐると巡り続け、一向に答えが出る気配はない。 「しょうがないわねえ。あたしが決めたげる。よしっ! バスターブレードにしましょう! 」 マリスが、ぽんと手を打った。 「こらこら、勝手に決めるなってば。それこそ、お前の持てるモンじゃないんだよ」 「ケインが前の持ち主から意志を受け継いで使えてるんだとしたら、あたしも、その意志を受け継げばいいんでしょ? 」 「……それが、マリスに出来るようなことなら、俺だって、さっさとバスターブレードを貸してるんだけど」 溜め息を吐いたケインを、きょとんとした顔で、マリスは見ていた。 「いいか、これを手に入れた人間の意志と、違う者が使えば、巨人族が剣を取り戻しに来ちゃうんだぞ」 「……そうなの? 」 「そう」 「……で、その持ち主の意志って、何だったの? 」 マリスの瞳は輝いていた。 「俺が使えてるってことで、わからないか? その持ち主の意志は、すなわち正義だ」 「……」 マリスは、黙っていた。 少しの沈黙を経て、再び彼女は口を開いた。 「マスターソードは? 」 (……おい、なぜ、そんなに簡単に諦める? ) ケインは、横目で見てから答えた。 「マスターソードは、まだ成長段階なんだ。俺が使わない間は、成長が止まっちゃうんだよ」 「じゃあ、どっちもあたしには使えないっていうの? ひどーい! 」 「行いを正せば? そしたら、バスターブレードだって、使えるかも知れないぞ」 悠々と、ケインはマリスを見て言った。 「……バスターブレードもマスターソードも正義の剣……」 マリスはダグラの上で腕を組み、ぶつぶつ言っていた。 「よしよし、考えてる、考えてる。これを機に、行いを改め――」 「やっぱ、パス! どう考えても、どっちもあたしには無理みたい。お手上げだわ」 彼女は、肩を竦めてにっこり笑った。拍子抜けしたケインは、危うくダグラから落ちそうになった。 「な、なんで、そんな簡単に諦めるんだよ。悪いことに使わなければ、いいだけなんだから、簡単だろ? 」 「それが、なかなか難しいのよねー。だって、野盗とか苛めちゃだめなんでしょ? 」 彼女は、ころころと笑っていた。 (このムスメは……! やっぱり、根性が曲がってる! ) 「……本当に、剣はいらないのか? 」 「うん。ケインに守ってもらうから、いい」 またまた彼は、ダグラから落ちそうになった。 「だって、どこの魔道士や魔物が狙ってるかわからないのよ? あたしが武器を持てないんなら、ケインが四六時中守るしかないじゃない? あたしと常に一緒なのよ? 大変ねぇ、頑張って! 」 「し、四六時中……」 マリスのにっこり笑顔を見て、ドキッと心臓が鳴り、ほわっとした気持ちがケインの脳裏を掠めたのは、 ほんの一瞬であった。 (いやいや、呑気に喜んでる場合じゃない! 俺が根を上げて、剣を貸すって言い出すまで、きっと何かやらかすつもりなんだ……! この顔は、絶対そうに違いない! ) 両者の睨み合いが続く。 ふと、マリスが視線を反らせた。といって、睨み合いに負けたのとは、様子が違い、真剣な表情だ。 「……魔物だわ……! 」 空が、ようやく薄暗くなりかけていたその時、久しぶりに対面しようとしている魔獣の、おどろおどろしい気配が、ケインにも、徐々に感じ取れた。
ごごごごごごごご……!
砂漠の地面の底から、地鳴りのような音がする。 「大きいわ! ……まさか、近くに次元の穴が!? 」 ますます大きくなる地鳴りに、二頭のダグラは、悲鳴のような嘶(いなな)きを上げ、暴れ出した。なだめても 静まらなかったため、二人はダグラから下りる。二頭とも、別々の方向へ駆け出していってしまった。
どごごごごごご……!
二人の前方の砂地が盛り上がる。頂点の砂が流れ落ちていくのと同時に現れたものは―― 太い四本の手足を生やし、頭が既にヒトひとり分はあろうかという、黒光りした大きな岩で出来た八頭身の ヒトに似せた形のもの――ゴーレムだった。 「ふはははは! 」 そのゴーレムの肩には、小柄な人影があった。 黒いフードを被った、見るからに魔道士のような者であったが、フードの中は、三〇代後半くらいで、あまり特徴のない、魔道士にしては普通の青年らしさが感じられる顔だった。 「ふっふっふっ、久しぶりだな、ケイン・ランドール! 」 「なにっ!? 俺の敵だったのか!? 」 「忘れたとは言わせんぞ」 男はそういうが、ケインには、まったく覚えがない。 「誰だ、お前は!? 」 魔道士の男は、足をすべらせかけたが、すぐに体勢を立て直した。 「ほら、私だ」 「……ほら、と言われても……? 」 「お前とは、ローダンの山で初めて会った……ほら、あの時の……」 なんとか思い出させようと努めているようであったが、といって、友人ではなさそうだ。 「お前なんか知らない」 ケインが真面目な顔でそう言うと、ちょっとがっかりしたように、彼の口からは思わず溜め息が漏れた。 「じゃあ、ザンドロス様のことは……? 」 自信をなくした小さな声で、男はまたしても尋ねる。 「ザンドロスだと!? そいつは、マスターソードを奪おうと企んだ、上級のヤミ魔道士じゃないか! なんで、お前は、そんなヤツのことを知っている!? ……そうか、それだけ、ヤツが有名人だったということだな! 」 し〜んと、冷めた空気が流れていた。マリスも、謎のゴーレムでさえも、止まっていた。 「……マヌケ加減も相変わらずのようだな、小僧。我が名は――まだ名は許されておらぬが、ザンドロス様と 共に、お前を捕えようとした、お付きの新人魔道士様だ! 」 ゴーレムの肩の上で、魔道士がそういうと、タイミングよく、風が一吹きし、ふわっと砂を巻き上げていった。 ケインは顔をしかめ、腕を組み、はたまた首を傾げ、一生懸命思い出そうと試みた。「……………………………………………………………………………………………………………………ああっ! そう言えば、いたな、そんなヤツ! 」 ケインは、ぽんと手を打ち鳴らした。 「ふっ、やっと思い出しおったか」 魔道士の方も、ちょっと嬉しそうである。 「ねえ、誰なの? 」 マリスが、つつつとケインに寄る。 「二年前に、ちょっと出会ってな。ザンドロスってヤミ魔道士は倒したんだが、その時お付きだったこいつには、逃げられちゃったんだよ。別に倒すほどのヤツでもなかったから、後を追わなかっただけで」 「なあ〜んだ、そうだったの」 あはははは……と、その場は、笑いに包まれていた。 「ちがーう! そうではないっ!」 一緒に笑っていた魔道士であったが、ゴーレムの肩の上で足を踏み鳴らし、和やかな空気を遮った。 「私は大魔道士様のご命令で、二年と三ヶ月もの間、この砂漠で貴様を張っていたのだ! 今度こそ、逃しは しないぞ、ケイン・ランドール! 」 彼は、ピシッと指をケインに向けた。 「だから、逃げたのは俺じゃなくて、お前の方だってば」 「そうではないっ! 私は、あくまでも大魔道士様に報告をしに行ったのだ! それは、新人魔道士の務めなのだ! 従って、決して、お前が怖くて逃げたのではないのだ! 」 いかにも言い訳じみた言い方に、二人には聞こえた。 「それで、あんた――ああ、名前がないんじゃ呼びようがないわね。とりあえず、『名無しのプー』でいいわね? 」 マリスのセリフに、彼は、ゴーレムの上で転げ落ちそうになっていた。 「プーさん、あんたの言うその大魔道士って、もしかして、蒼い大魔道士のこと? 」 ケインは、はっとしてマリスを見た。 「大魔道士なんて、そうそういるもんじゃないわ。それに、彼は、マスターソードのことを知っていたものね」 「さすがに、我が大魔道士様は著名であられる。小娘、貴様の言う通り、我が主人は、蒼い大魔道士ビシャム・アジズ様であらせられる! 」 既に、勝ち誇ったような笑い声が、ゴーレムの肩の上という高いところから、こぼれてきていた。 「そうだったのか! てことは、あの蒼い大魔道士が、マスターソードや俺のことを知ってたのは……!? 」 「そうだ。私が報告したからなのだ! 」 またしても、嬉しそうな声であった。 「ああ、そうそう、お前に聞きたいことがあったのだった」 魔道士プーは、普通に、近所の住民のように、親し気な口調になった。 「バスターブレードのレオン・ランドールはどうしたのだ? お前の父親の。なぜ、一緒ではないのだ? 今、どこにいる? 」 「……そうか、俺のことを覚えていたんだから、当然、彼のことも覚えていたか」 ケインは、ぎゅっと拳を握りしめた。 「父親って……」 マリスは呟いてから、ケインを気遣うように見る。 ケインは、顔を上げ、ゴーレムの肩に乗った魔道士をキッと見据え、言い放った。 「……レオンは死んだ。彼が息を引き取る前に、俺がバスターブレードを引き継いだんだ」 ケインは、背中に背負い、突き出している剣の柄に、左手で触れていた。
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