「ここからは、今までと少し様子が違う。魔道士の結界が、特に厳重なところだ。はぐれれば、再び合流するのは難しい。心してついてくるのだ」 大通りの脇にあるいくつ目かの路地を曲がったところで、ダミアスが一行に言い聞かせた。 ダミアスのすぐ後ろにはクレアが、次にケイン、カイル、マリスと続く。 カイルがまたふらふらどこかに行ってしまわないように、ケインとマリスとで挟んだのだった。 いくつか角を曲がり、煉瓦作りの建物の階段を上ったところで、ダミアスが足を止めた。 「おっ? ここか? ヴァルのいるところってのは」 それまでおとなしく付いて来たカイルが、嬉しそうに顔を上げた。 「……ダミアスさん……? 」 クレアが、ダミアスの様子を伺う。 「……おかしい。……彼の結界が、解かれている……」 「えっ!? どういうことだよ? 」 カイルが皆を見回し、皆も、顔を見合わせる。 「とにかく、中へ……」 ダミアスが、少し錆び付いた扉の把手(とって)をゆっくりと引く……。
ギイィィィ……!
扉は、重々しい音を立てて開く。 部屋の中は、特に大きな家具らしいものはなく、薄汚れた赤い絨毯が敷き詰められた、何の変哲もない部屋だ。 「つい先程まで、おられたようなのだが……」 ダミアスが辺りをゆっくりと見回す。 「ここで待っていれば、お会い出来るのでは……? 」 「……だといいが……」 クレアに応えるダミアスの、予想外な真剣な面持ちを見て、カイルがぶるっと身震いした。 「おいおい、まさか、ヴァルのヤツ、ほんとに危険にさらされてるんじゃ……」 「縁起でもないこと言わないで! 」 クレアが、キッと睨む。 「今日は、西地区の様子を見るとおっしゃっていたが……何か、気になることでもあったのだろうか……」 ダミアスが、考えながら言う。 「日が完全に暮れていない今のうちならば、まだ間に合う。万が一、彼に何か起きたのだとしても、助けることは出来るだろう」 クレアもカイルも、心配そうな顔になった。 「その西地区って、ここから結構あるの? 」 それまで黙っていたマリスが、口を開く。 「歩いて十数分のところだ」 皆は、マリスを見つめ、言葉を待った。 「あいつに限っては大丈夫だと思うけど……。ここは、魔道士だからって安全とは限らないみたいね。ダミアスさんだけ行かせるのも、誰かをここに残すのも危険な気がするわ。だから、みんなで行きましょう」 一行はお互いの顔を見合い、頷いた。
西地区に着くが、あまり見映えは変わっておらず、相変わらず、赤煉瓦の建物が並んでいた。 「……む……! 」 ダミアスが、ぴたりと足を止めた。 「どうしたんだ? ヴァルか!? 」 「いや……」 カイルの問いに、ダミアスは首を振る。 「何かの声が聞こえる……」 一行は、顔を見合わせた。 「この感覚は……どこかで……」 気配を探っているダミアスの横で、カイルが「けっ」と言った。 「おい、ヴァルが危ないかも知れないってのに、呑気に、昔の友達にでも会いに行こうってんじゃねーだろーなー? 寄り道なんかしてる時間は、俺たちにはないんだぜ? 」 「今まで散々道草食ってたヤツが、よく言うよ」例のごとく、ケインがカイルに呆れる。 クレアも耳を澄ませた。 「……これは、……ミュミュだわ! 」 一行は、ダミアスを先頭に、声のする方へ向かった。 「この中からだ」 そこから幾許(いくばく)もなく、赤煉瓦の小さな小屋の前に辿り着くが、扉は錆び付いていて開きそうもない。 「仕方がない。一刻も無駄には出来ない。危険だが、結界の中に入るぞ」 ケインたちは、ダミアスに身体を寄せた。途端に、空間を移動する際の、身体に絡み付く違和感が訪れ、次の瞬間、目の前の景色は一変した。
「な、なんだここは……!? 」 その小屋の中とは見当も付かないくらい、『そこ』は異様だった。 薄暗い空間の中を、あちこちに見えるいくつかの蝋燭(ろうそく)の灯りに、ぼうっと照らされた辺りが赤黒いことで、壁や床が赤い色をしていることがわかる。 だが、どこまでが壁で、どこからが床なのか、部屋は四角いのか丸いのか、おかしなことに、全然わからないのである。 一行は、ダミアスの作った結界の中にいることで、なんとか平衡感覚を保っていた。 「……うわ〜ん! ……! ……! うわ〜ん!……!」 遠くなったり、近くなったりしているが、それは間違いなくミュミュの声だった。 「ミュミュ! どこだ! 」 ケインが呼びかけ、皆も見回す。 すると、少し離れた下の方に、小さめの丸いテーブルが浮かび上がった。 その上には、薄汚れた銀色の食器、燭台、白いナプキンやナイフとフォークまでが、ぽんぽんと現れた。 「今日は、いろんなもの、やってくる」 潰れた声が突然聞こえたかと思うと、緑色の人の形をしたものが、そこに出現した! 正確には、人といっても身の丈は子供くらいしかなく、横は子供にしてはがっしりとしていて、頭が不釣り合いに大きく丸い。 といって、小人とも違っていた。 まるで、もともとは人間だったのが、手や足が退化して短くなってしまったのか、途中まで溶けてしまい、そこから指が生えてきたのか――というような、人の形をしてはいても、とても人間離れしているものだった! 全身が緑色で、髪の毛のようなものは生えておらず、ボロ布に穴を開けただけのものに袖を通して、突っ立っている。更に、両手両足の指が四本ずつしかなく、指先は、丸くなっていた。 大きな目は、どろ〜んとして生気がなく、鼻は潰れ、大きく裂けた割れ目のような口からは、平たく赤い生き物のような舌が、ベロベロと口の周りを舐め回していた! 「なんだ、ありゃあ!? カエルじゃねーか!? 」 正直なカイルは、『彼』が気を悪くし、下手したら怒り出し兼ねないことを、思わず口走っていた。 「わたし、ここに住む魔道士ドゥグ。お前たち、わたしの食事、待つ」 『カエル』は、また潰れた声を発した。 「ああ? 何言ってんだ? お前」 「シッ! ヤツを刺激するな! 」ケインは、怪訝そうなカイルの首を抱え込む。 魔道士だというカエルのようなものは、浮かんでいるテーブルに着くと、白いナプキンを首に巻き、ナイフとフォークを手にした。 すると、銀の器の中に、何かがボーッと浮かぶ。 それと同時に、泣き声もはっきり聞こえて来たのだった。 「うぎゃーっ! 何すんのよー! バケモノー! 」 器の上に暴れながら現れたのは、ミュミュであった。 「ミュミュ! 」 「ミュミュ! 」 口々に、ミュミュを呼ぶ。 「あっ、みんな、助けてー! このカエル野郎、ミュミュのこと、食べようとすんのよー! 早くやっつけてー! 」 ミュミュは、草のツルのようなもので縛られていて、飛ぶことも出来なかった。本来であれば、妖精ならば難なくすり抜けられるはずが、いくらもがいても捕われたままということは、特殊な魔法のかけられたツルだというのがわかる。 「魔道士ドゥグ殿、勝手にお邪魔しておいて申し訳ないが、その妖精は、私どもの仲間なのだ。どうか、我々に返してはもらえないだろうか」 ダミアスが、丁寧な口調で語りかけた。 「ここ縄張り。お前、わたしの食事、取る、だめ! 」 魔道士は、言いながら、首を振る。 「誰がそんなもん食うかー! 」 「そんなもんとは、なにさー! 」 カイルの返答に、ミュミュが腹を立てる。 「私たちは妖精は食べない。そのニンフは、こちらでのしきたりがまだ充分わかっていなかったのだ。悪意があってそちらの結界に現れたのではない。だから、見逃してくれないだろうか? 」 ダミアスがもう一度交渉を試みる。 通じているのかいないのか、緑の魔道士は、ナイフとフォークを持つ手をピタッと止め、どうしたものかというように首をかしげて、器の中のミュミュを眺めた。 ミュミュの方も、うんうん頷きながら、虫も殺さぬ顔を作って、ドゥグを見上げている。 『彼』は、思い直したようにナイフとフォークを器の横に置くと、空中から小瓶を取り出し、その中身をミュミュに向かって振りかけた。 「妖精食うの、五〇年ぶり。楽しみ」 「うぎゃーっ! このバカー! ヒトデナシーッ! 」 どうやら振りかけたのはスパイスだったらしく、ミュミュは目からボロボロ涙を流し、くしゃみもしていたが、そうなりながらも魔道士に罵り言葉を浴びせることを忘れてはいなかった。そんなところは、なかなか根性があると言ってよかった。 「ダミアスさん、俺を結界から降ろしてくれ」 高い位置からその光景を見下ろしていたため、ケインはそのような言い方で、結界から出して欲しいことを頼む。 「あたしのことも、お願い」 マリスが、静かに言った。 「なんで、マリスまで……? 」 ケインが、眉をひそめると、 「決まってんじゃない。あいつをぶった斬るためよ! 」 例のごとく、そんな答えだった。 ケインとクレアが慌てる。 「何も、いきなり斬らなくたって……! 」 「そうよ、マリス! それに、二人とも、今『ここ』から出るのは危険よ! あの魔道士の結界の中じゃ、こっちの分が悪いのは明らかだわ! 」 「ダミアスさんは、魔道士の誓約があって、あいつと戦うわけにはいかないんだろうし、……かと言って、魔道士でもない俺たちが結界から出るのは自殺行為に等しいのかも知れない。だけど、早く、なんとかしないと、ミュミュが……! 」 そうケインが言っているうちにも……、 「きゃーっ! さわんないでーっ! 」 はっと皆見下ろすと、ドゥグが器具を使うのをやめたのか、わしっと片手でミュミュを掴んだのだった! その先にある『彼』の大きく開いた口が、彼女を待ち受ける! 「頼む! 」 ケインの必死の頼みで、ダミアスが結界の外に押し出そうと両手を構えて、はっとした! 魔道士ドゥグの後ろの空間に罅(ひび)が入ったように見えたかと思うと――
どぐあっ!!
「げこーっ!! 」 「きゃああああっ!! 」
ドゥグの後ろの空間が、まるで壁が爆発したように砕け散り、ドゥグとミュミュは悲鳴を上げて、食器と共に舞い上がり、ドゥグの身体だけが、勢いよく床に叩き付けられた。 「な、なんだ……!? 」 「いったい、なにが起こって……? 」 皆は、目を凝らした。 石の壁を砕いたかのように砂塵がもくもくと巻き上げられ、そこへ現れたひとつの黒い人影が、一同の目に映った。 「けほっ、けほっ……」 黒い影の掌は、噎(む)せている妖精を乗せ、縛っていたツルは、ひとりでに、プチッと切れた。 ミュミュが目を擦りながら、見上げる。 黒いマントに包まれた、長身の男の、浅黒く整った顔が、そこにあった。 「あ、あ……! ヴァルのお兄ちゃん! 」 「ヴァル!」 ミュミュと、皆の叫びは、ほとんど同時だった。
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