「なんて素晴らしい詩なのかしら! ねえ、ケイン様もお読みになってみて! 」 翌日、ケインは、寝不足の目を一生懸命見開いて、王女の護衛に励んでいたのだが、このごろは何か事件が起こるわけでもなく、すっかり平和だったので、ほとんど王女の話し相手となっていた。 パルストゥール神殿は、野盗が暴れたせいで、今は修理中であり、王女の巫女の洗礼は引き延ばされていた。 洗礼を受けた後は、また祝賀会が催される。 (貴族って、お祭りごとが好きだよなー) ケインは欠伸を噛み殺し、王女から、分厚い詩集を受け取り、勧められるままに目を通してみるが、寝不足で目がしょぼしょぼしているせいもあれば、そのような恋歌には、始めから何の興味も持っていなかったので、余計に頭に入らなかった。 ただ、『愛』だの『◯◯の花のよう』だの『美しい』……といった文字が、やたら目につくなー、と思っただけだった。 それにしても、貴族のお姫様方には、こういうものがウケるのか、とまたまたカルチャーショックである。 平民や傭兵たちの間で流行っていたのは、吟遊詩人の唄う、ある英雄の勇ましい武勇伝などであって、恋歌にしても、そのような表現はあまり出て来ない感じだったと、思い起こす。 「いかがでした? 」 アイリスが、期待を込めた目で見上げる。 彼は、適当な言葉で逃げた。 この頃、ケインは、つくづく感じる。 王女は自分のことを『気のいいお兄さん』としか思っていないらしい、と。 実は、当初からそうだったのか、白い騎士の登場によってなのか。 少なくとも、自分はヒーローに位置していたと思っていたのが、すっかりその座を白い騎士に奪われているような気がする。 (それって、男の俺よりも、女のマリスの方が『強くてカッコよかった』って、ことだろ? ) それは、いくらなんでも、惨め過ぎた。 しかも、アイリスは、無邪気に『あのお方のお住まいは見付かりまして? 』などと、毎日聞いてくる始末だ。 「この詩に出て来る『美少年の剣士』って、あの方に似ていると思いません? 」 またもや、『マリユス』の話だった。 王女は、うっとりとした表情で、ケインの返事も待たずに続ける。 「この物語のように、あの方も、実はどこかの王子様で、お城をこっそり抜け出して、庶民のために戦っていて、そうしているうちに、すべての人を守るための旅に出てしまったのではないかしら? あのお方には、何か高貴な感じが致しましたもの。きっと、そうに違いありませんわ! ねっねっ? ケイン様もそうお思いになるでしょう? 」 「は、はあ、そうですね……」 いくぶん、引き攣った笑顔で、ケインは答えてしまった。 そこへ、クレアが、装飾品のついたケースを持ってくる。 「アイリス様、マリー・カルザス様から、髪飾りがお届きになりました」 「まあ! さっそく着けてみたいわ! 」 豪華なドレッサーの前に王女が座り、クレアが、王女の髪を梳かし始めた。 「……素敵……! 」 「とてもよくお似合いですよ」 鏡の中を、二人の少女は覗き込む。 王女の髪には、小さな丸い宝石がいくつもついたレースのリボンが編み込まれていた。 「クレアも着けてみて」 「ええっ? そのようなことは、わたくしにはもったいないですわ! 」 「あなたが着けているのを、見てみたいのよ」 「まあ……! 」 今度は、クレアが椅子に座り、アイリスがクレアの髪を梳かす。 二人は、仲が良かった。 アイリスは、クレアを侍女代行というより、友達のように接し、クレアの方も、侍女と白魔法教師というだけでなく、時には姉のようにアイリスをやさしく見守っているように、ケインには映っていた。 さすがに野郎二人とは違うなと、自分とカイルのやり取りとを比べて、彼は心の中で苦笑していた。 そのような微笑ましい光景を眺めていると、誰もが暖かい気持ちになっていたことだろう。 コツン 窓に何か当たったのを見に、ケインが窓際へいく。 (どうせ、またカイルのヤツだろう) だが、彼が交替するには、まだ早い時間だ。 (さては、あいつ、サボったな?) そう思いながら、窓の下を覗いてみると―― 「やっほー、ケイン。お勤め、ご苦労様! 」 「……! 」 そこには、白い甲冑姿のマリスが、ミュミュを肩に止まらせていたのだった。 例によって、ミュミュが運んだとわかる。 「ケイン様? どうかなさって? 」 アイリスが、顔だけ窓の方に向けている。 「い、いいえ。……ちょっと、庭にネズミがいたものですから、今、追っ払ってきます」 「ええっ!? ネズミですって!? ……あの、早く追い払ってきて下さいね」 アイリスは慌てて、クレアとともに、部屋の奥へ引っ込んだ。
ケインが窓から地面に降り立つ。 「ネズミとは、随分な言い草じゃないの」 腕を組んで壁に寄りかかっていたマリスは、苦笑いをしていた。 「どうしたんだよ、マリス」 「あら、ケインの言う通り、お姫様に会いに来たんじゃないの」 「……気が進まなかったんじゃないのかよ? 」 「昨日はね。でも、気が変わったわ。会ってあげてもいいかな〜って。ケインこそ、何を警戒してるのよ? ……あ、そっか、あたしが『愛技』で、王女をメロメロにしちゃうんじゃないかって、心配してるのね? 大丈夫よ、そんなことしないから安心してよ。あははははは……」 「誰が、そんな異常な心配するか! 」 ミュミュが面白がって、彼の頭に乗っかった。 またマリスにからかわれたと思った彼は、すぐに平常を取り戻すと、にやっと笑ってみせた。 「セルフィスって誰だ? 」 マリスの顔色が変わった。 「なっ! なんで、ケインがそんなこと……!? 」 途端に、彼女がうろたえ出し、思ったよりも効果があったことで、ケインは、ちょっとからかってやろうと思った。 「昨日、お前、『セルフィス、ごめんなさい』って、何度も言って泣いてたぞ」 マリスは、キッと彼を見据えると、わなわなと振るわせた拳を、固く握りしめた。 「な、なんだよ、そんなに怒んなくても……! 」 とっさに、受け身の態勢を取るケインの頭から、ミュミュが飛び上がって、空間に逃げ込んだ。 だが、マリスは、そのまま動かなかった。 ただし、彼を睨んでいる瞳は、今にも泣き出しそうなくらい潤んでいる。 (……もしかして、当たりだったのか!? ) しばらくすると、マリスは、ケインから視線を反らし、ふっと、諦めたように、力なく笑った。 「……そう、あたしが、そんなことを……。でも、今はもう、どうだっていいことよ。何で今さら……。昨日、昔のことを思い出して、ちょっと懐かしくなっちゃったからかしらね。……でも、あたしったら、ケインに、そんなことまで……」 適当に言ってみただけだとは、言い出し辛くなったケインだったが。 マリスは珍しく感情をさらけ出してしまったのを、急に後悔したのか、慌てて何でもないような顔を作った。 「……マリス……? 」 話しかけられるのを避けるように、彼女がにっこりと笑顔を作ったと同時に、 「ケイン様、ネズミはもう……? 」 アイリスとクレアが、窓の下を覗きに来たのだった。 「……白い騎士……!? 」 アイリスは、その場で硬直していた。 「……マリ……! 」 「マリユスです。ご機嫌麗しゅう、アイリス王女殿下」 クレアの声を打ち消して、マリスが一瞬にして、青年騎士を装う。 「……ま、まあ! わたくしの名前をご存知で……? 」 「もちろんです。今日は、殿下に御会いするためにやって参りました。よろしかったら、お部屋にあげて頂けませんか? 」 「は、はい……! ど、どうぞ! 」 『彼』は、窓枠に手をかけ、ひらりと室内に入った。 身のこなし方も、王女に向かってする微笑も、自信に満ち、美しいことを充分に踏まえているものだった。 アイリスは、ポーッと、『マリユス』に見とれていた。 「そ、そうだわ! クレア、お茶を」 「は、はい。ただ今……」 クレアが引っ込むと、アイリスは、ケインににこにこ微笑む。 「やっぱり、ケイン様は、探してきて下さったのね! マリユス様、ケイン様は、常にわたくしに忠実で、わたくしのお願いを、何でも叶えて下さるの! 」 アイリスは、はしゃいでいた。 「ふ〜ん、あんた、このお姫様に、随分とナメられたものね」 「……おまえに言われたくないけど? 」 マリユスとケインは、アイリスに聞こえないように、こそこそ喋る。 その後、ケインは、部屋の隅に立ち、アイリスとマリユスがソファに腰掛けたところで、クレアが紅茶を運んできた。 「あの……わたくしに、ご用というのは……? 」 幾分、震える手で、アイリスが紅茶を口に運ぶ。 「実は、姫様にお願いがあって、参りました」 「ま、まあ、わたくしに……? 」 マリユスは、キリッとした目で、アイリスを見つめる。アイリスは、ポッと頬を赤らめ、慌てて目を反らした。 「先日のパルストゥール神殿の件もそうですが、最近アトレ・シティーでは盗賊どもが増えてまいりました。町民によりますと、以前はそうでもなく、ごく最近のことだといいます。 それについて、私が思うには、おそらく、北の山に巣くっていた山賊どもが、なだれこんで来ているのではないかと……」 「なんだって!? 」 思わずケインが叫んだので、一斉に彼の方を向いた。 マリユスは続けた。 「私も調べてみましたが、あの山の向こうの街道の、その向こうにも山がいくつかあり、お隣のガストー公国の国境までは、あまり大きな町は存在しておりませんでした。 その街道で、旅人を襲っていた盗賊団や、他の山を陣取っていたならず者どもが、物資も豊かで栄えているこちらの城下町に目を付け、まだ国境警備隊の準備もままならない北の山からの侵入を試みたものと思われます。あの山も、大分、見通しがよくなりましたからね」 マリスは、いけしゃあしゃあと、そう言いのけ、悠長な仕草で、お茶を啜った。 ヤミ魔道士グスタフを一撃で倒し、その時、山の頂上に生えていたものを一気に削り取ったのは、他ならぬ、マリスとヴァルドリューズの操る『獣神サンダガー』の仕業なのだから。 ケインは、ふと思い付いた。 マリスが白い騎士を名乗って盗賊団を倒して回っているのは、自分のしたことの後始末なのかも知れない、と。 話を聞いていた王女は、おろおろして両手を揉み出した。 「……そ、そんな……! では、今、町の人たちは……」 「今のところは、私が民たちをお守りしていますから、大事には至っておりませんが、早く手を打たれた方がよろしいでしょうね」 マリユスは、平然と紅茶を啜る。 「……あの、……どうすれば……? 」 王女が両手を組み合わせ、おそるおそるマリユスを見上げている。 それには、眉をひそめてから、『彼』は答えた。 「出来るだけ早く、北の山に国境警備隊を設置なされた方がよろしいのではないですか? 町の警備隊も、今までより人員を増やし、ここで奴等を撃退しておかねば、いずれ、もっと被害が出ることになりますよ。……アストーレの貴族たちは、ご自分たちが平和だと、平民のことになど気が回らなくなってしまうのですか? 」 マリユスは、にこりともせずに、冷たく言い放っていた。 王女が、ビクッと怯えたように、白い騎士を見ている。 「……少し言葉が過ぎるぞ」 「それは、失礼致しました」 マリユスは、ケインの方を振り向き、何の感情もこもっていない声で返す。 「……知らなかったとはいえ、そこまで町の人が迷惑していたなんて……。すぐに、父王に知らせます。あの、父王にも、今のお話をして下さいませんか? 」 王女は、クレアを連れて、急いで部屋を出て行った。 「……なんなの!? あれでも、未来の国王妃なの? あれくらいの対策、自分で思い付いて欲しいわね。情けない! 」 マリスが――もういつもの彼女の口調に戻っていた――イライラしている。 その時、ケインは、自分が王女に抱いていた、今一歩踏み切れないでいる原因が、わかった気がした。 (そうだったんだ。アイリス王女のことは、かわいいとは思っていたけど、庶民のことを考えているかとか、未来のアストーレを背負う王妃となる人材であるのに、その自覚が見えないというか……、俺は、そういうことが引っかかっていたんだ! ) 平民の生まれで傭兵の彼は、諸国を渡り歩いていた。 貧富の差の激しい国もあった。 よろず屋として庶民と触れているうちに、彼らが国に不満を持っていることや、暮らしに満足していないことも、見てきた。 なのに、王女がかわいいままであることが、彼には現実離れ、浮世離れして思え、どこかで、そういうものではないはずだと、思っていたのが、マリスの言葉ではっきりと形になったのだった。 ケインは、感心するように言った。 「お前の言うことは、最もだよ。王族や貴族が町の人の声に鈍感だと、庶民の暮らしは、ちっともよくならない。俺も、そう思うよ。 アストーレは、俺が今まで見て来た国でも、治安もいいし、庶民もそれほど貧乏してないから良い方だけど、王様が、王女が政治と関わらないようにしてるのか、彼女は、民のことをあんまり知らないみたいなんだ。 そういう問題は、アイリス王女のところに直接来るもんじゃないみたいだったし、ましてや、憧れてたお前に、いきなりそんな話をされて、驚いたんだろう」 「あたしのいたベアトリクスは、あんなんじゃ勤まらないわ。王女だからって、王に政治の話を任せっぱなしなんてことはなかったわ。男でも女でも、上に立つものは、常に『やり手』だったもの」 「そう言えば、あそこは、今、女王が治めてるんだっけ? 過去にも何度か、女王が政権を執っていたりしてたよな? 確かに、ベアトリクスでは、やり手じゃないと勤まらなそうだなぁ。 ここアストーレでは、王様も穏やかでいい人だし、政治的なことだって、優秀な参謀が付いてるから、それでも上手くいってるみたいだよな。 だから、ちょっとくらい王族や貴族がおっとりしているようでも、それは、その国それぞれの持ち味だって、俺は思うんだ」 やんわり言う彼を、マリスは、少し見直したように見つめた。 「……ケインて、思ったよりも大人なのね」 彼の方が年上にもかかわらず、彼女は、そう給(のたま)った。 「……そうよね、国は、それぞれよね。ベアトリクスが住み易かったかっていうと、そうでもなかったから、あたしは逃げてきたんだものね……。ああ、あんな国に未練なんかなかったんだけどなー」 マリスは、勝手にポットから紅茶を注ぎ足した。 「……マリス、昨日言ってた友達のダンてヤツは、どうしたんだ? 置いてきちゃったのか? 」 ケインは、マリスのソファに手をかけて、覗き込む。 「……彼が、あたしを置いてったのよ……」 少し、沈んだ声で返す。 「どうして? ああ、話したくなかったら、いいんだけど……」 マリスは紅茶の入っていた器をテーブルに置いてから、言葉を慎重に選ぶように、ゆっくり答えた。 「……運命を受け入れられなくて……かしらね……」 ケインは、黙って、その様子を見つめた。 「その時のあたしには、あんまりわからなかったけど、やっぱり、彼の存在は大きかったのかもって、後になってだんだんわかってきたの。……だから、あたしは、あなたを雇ったのかも知れないわね。少なくとも、契約しているうちは、あたしと一緒に戦ってくれるでしょう? 」 「それは、当然だけど……」 自分が雇われたのは、剣の腕さえあれば、誰でも良かったのだとばかり思っていたケインには、少し意外であった。 「ずっと旅してると、なんか人恋しくなっちゃうのかな。ほら、ヴァルのヤツは、いっつも冷静で、ヒト離れしてるじゃない? あいつ、からかっても、ちっともノッてこないんだもん。もう、一年以上あいつと旅してるけど、ずーっとあんな感じよ。 頼りにはなるヤツだけど、……なんか、淋しかったような……。 カイルに出会って、ケインとクレアが加わって、ダンと一緒に暴れてた、あの士官学校時代がまた甦ってきたみたいだったわ。やっぱり仲間っていいな、って思って」 「その仲間と、ほとんど一緒にいないじゃないか。俺はまた、マリスって単独行動が好きなのかと思ってたよ。ヴァルなら、そんなお前を放っておけるから、お前たちは旅を続けられているんだって。 ……あれ? だけど、あいつって、なんとかっていう魔道士から、お前を守るよう言われてるんだろ? その割には、全然一緒にいないよな? 今だって、ダミアスさんと外国なんか行っちゃってるし……いいのか? 職務怠慢で、あのカシスルビーの大魔道士に怒られないのか? 」 マリスが、くすくす笑った。 「放っておいても大丈夫って判断してるのよ。今のところは、まだ、ね……」 「マリス、お前、何に狙われてるんだ? どうして……? 」 心配そうなケインの瞳から、目を反らしてから、マリスは、ふっと笑った。 「いろいろとね。『サンダガー』を守護神に持つものの運命(さだめ)……って、ヤツかしらね」 ケインの頭の中では、『運命なんか、この手で変えてみせる!』と、湖で、そう言った彼女の言葉が、思い出されていた。
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