「私がモンスコール第一王子タペスだとわかったのなら、キミ、アイリス殿を離したまえ。私は、彼女の婚約者候補なのだぞ? 私の未来の花嫁となる姫の身体に、たかが警備兵ごときが触れるなど、無礼じゃないかね!?」 ケインは、アイリスから離れようとするが、彼女は余計にしがみつく。 タペスを受け入れる気がないのは、誰から見ても一目瞭然である。タペス自身は、気が付かないようであったが。 ケインは、震えているアイリスに視線を落としてから、顔を上げた。 「殿下は、お身体の調子が、このところ万全ではないとお聞きします。差し出がましいようですが、少しお休みになられてから、またお話の続きをされる方がよいかと思いますが」 タペスは、じろじろとケインを見ていたが、そこへ、いつの間にか現れたマスカーナのサンスエラ王子が口を挟んできた。 「お加減が、あまりよくないことは、わたくしも聞いておりました。タペス殿、アイリス様を独り占めなさりたいお気持ちはわかりますが、少し休ませて差し上げては如 何(いかが)ですか? 」 王女を気遣うついでに、タペスにも穏やかな笑顔で微笑みかけ、彼の機嫌を損ねないように心がけているのが、彼の気持ちのやさしいところである。 「タペス殿は細剣(レイピア)の名手だとお聞き致しました。私も武道には少々心得があるので、いつかお手合わせ願えませんか? 」 武人らしい、いかついデロスのカール王子も、後ろ手から現れる。 「いつまでご滞在なさるのですか? タペス殿、滞在期間中に、一度くらいどうです? 」 デロスの王子に肩をぽんと叩かれ、モンスコール王子は顔をこわばらせた。 「さ、ケイン殿。今のうちに、姫をお連れして」 マスカーナ王子はケインに近寄り、小声で言った。
姫の自室に戻り、ケインは、王女に紅茶を注いだ。 アイリスは、ソファに座り、紅茶を啜る。 「宮廷医師には診てもらったのですか? 」 「……別に異常はないそうです」 王女は、小さい声で答えた。 「……では、何か悩み事でも、おありなのですか? クレアも心配していましたよ」 アイリスは、ちらっとケインを見るが、沈んだ顔で、すぐにうつむいてしまった。 「失礼ですが、今回、花婿に立候補なさったというあの方とのことが、気になっていらっしゃるのでは……?」 アイリスは、微かに頷く。 「……わたくし、……あの方、苦手です」 (……だよな……) ケインも、心の中で、同情していた。 「では、少しお休みになったら、サロンに戻りましょう。私があの王子殿下をガードしておきますから、アイリス様は、ご安心して、マリユスとお踊り下さい」 やさしく微笑んでみせるケインを尻目に、アイリスは、ずっと俯いたままだ。 「……なぜ、皆、わたくしを放っておいて下さらないの? お父様だって『いそいで結婚しなくていい』って言われる割には、あのように王子殿下方を招いてしまうし、マリユス様にはその気はないのに、アストーレの騎士にならないかと勧めてみたり……」 王女は、顔を手で覆った。 「サンスエラ様もカール様も、いつもわたくしのことを気に掛けて下さるけど、わたくしは、今はどなたともお話したくないのです。今は、とても舞踏会でダンスをする気分ではないのに……! 」 一体、何をそれほどまでに悩んでいるのか、ケインにはまったく見当もつかない。 「皆は、殿下のことを心配しておられるのですよ。殿下に早く今までのように、お元気になって頂きたいから、どうすれば気が晴れるのかと、あれこれ考えておいでなのです。少々うっとおしくても、それだけは、わかっておあげにならないと……」 「ケイン様には、わたくしの気持ちなんかわからないわ! 」 突然の、アイリスの強い口調に、ケインは驚いて彼女を見た。 王女の瞳からは、大粒の涙が零れ落ちた。 「わたくしの知らない間に、勝手にお姉様の国に行ってしまうし、わたくしには冷たいし……どうせ、わたくしは、あなたから見れば、世間知らずの、甘やかされた、わがままな王女なんだわ! 」 「何を言われるんです? 私がフェルディナンドへ行ったのは、仕事でして……」 「わたくしの護衛は、違うのですか!? 」 アイリスは顔を上げて、睨むように彼を見ていた。 ちょっとムッと来たケインは、それを隠せるほど、大人にはなり切れなかった。 「今回のことは、私の連れの一大事だと聞かされて、やむを得ず、直ちにフェルディナンドへ向かったのです。それが、お気に召さなかったというのですか? 」 アイリスは、いやいやをするように、首を振った。 「わかっています! ……どのような事情であれ、あなたがお姉様の国に行って、お姉様がどれだけ助かったのかも、わかっています。……でも、わたくしは、どうなるのです? クレアも行ってしまって、わたくしは、ずっと、ひとりで淋しかった……」 たかが二週間ほどで、いちいち淋しがられても、自分にはどうすることも出来ない、とケインは思った。 「外でお待ちしておりますから、お加減がよくなられたら、サロンに戻りましょう」 あまり感情のこもっていない言い方で伝えると、ケインは、扉へ向かった。 これ以上、王女の、わけのわからないわがままには、付き合いきれなかった。 突然、か細い腕が、後ろから巻き付く。 彼の足は、ピタッとその場に止まった。 「……いかないで……」 確かに、そうケインには聞こえた。 「いかないで。……もう、わたくしをひとりにしないで」 ケインは、その場に固まっていた。 王女は、ぎゅっと彼の身体を締め付けた。 「あなたがわからない……。わたくしのことを嫌いではないとおっしゃって、あんなにやさしく微笑んで下さったかと思えば、……わたくしが白い騎士に憧れても何も動じず、彼とダンスまでお勧めになるわ。わたくしの結婚の話が出ても、常に冷静に振る舞っておられる……。 何も言わずにフェルディナンドに行ってしまった時は、あなたが、なんだか、もうここには帰ってこない気がして、……ずっと、ずっと気が気でなかった……」 王女の鼓動が、彼の背から伝わってくるような気がする。 「……あなたのお気持ちだけを……それだけを知りたくて……わたくしは、いつも眠れなかった。クレアが、あなたと旅を続けていたのを知って、あのような綺麗な人が、ずっと側にいるのだったら、もしかしたら、あなたは彼女を好きなのではないかと、勝手に気を揉んだり……。 ……あなたが、せめて貴族だったら……それか、わたくしが平凡な町娘ででもあったならと……いいえ、それよりも、私がもっと美人で、しっかりとしていて、物怖じしない性格だったら……身分など気にせず、……あなたに……」 アイリスは、ケインの背に顔を埋めたまま、啜り泣いていた。 「ごめんなさい……わたくしは……」 それ以上は、声にならなかった。 ケインは振り向き、アイリスを、そっと抱きしめた。 (……いつの間にか大変な展開に……? ……どうしよ? でも、俺は……) ケインの青い瞳は、一瞬、過去に飛ぶ。 王女には、どう声をかけていいかわからず、黙ったままであった。 「……ずっと、こうしていたい……。もう、舞踏会など、どうでもいい……」 アイリスは、今まで凭れかけていた頭を起こし、涙にぬれたその大きな栗色の瞳に、ケインを映した。 「殿下……。俺は……」 「今夜だけは……! 」 ケインが何かを告げるのを恐れるかのように、アイリスは打ち消した。 「……今夜だけは、わたくしの身分を、お忘れください。……どうか、お願い……」 アイリスは、涙にぬれた瞳を、静かに閉じていった。 ピンク色に彩られた唇は引き結び、上を向く。 ケインの頬に、カッと赤みが差した。 部屋には、他に誰もいない。例え、ここで一瞬触れ合ったとしても、誰にも気付かれないだろう。ましてや、王女は、それを望んでいる。 誰にもわかりはしない。 なのに、ケインの心は、何かに引っかかっている。 それは、刑罰を恐れてのことなのか、過去の恋愛を思い起こさせるせいであるのか、今後の戦いを予測して、うつつを抜かしている場合ではないと、自分に警告を発しているのか、……はたまた別の何かであるのか、今の彼には、わからなかった。 「……アイリス様、……俺は……」 その時、ケインの耳は、扉の外の、近付いてくる足音をとらえた。 「アイリスや、具合はどうかね? 」 扉が開くと、アトレキア国王が護衛を連れて現れたのだった。 「ま、まあ、お父様! ど、どうかなさったの? 」 王女は、声をうわずらせて、父親に駆け寄った。 気配を察していたケインは、素早く離れたところに移動し、何食わぬ顔で、紅茶のカップを片付けていた。 (……よかった……! 見られてない! 聞かれてない……! ) 王女に迫られた時よりも、よほど動揺していて、心臓がバクバク鳴っている。 「そなた、具合の方はどうなのかね? まだ一度もダンスをしておらんだろう? タペス殿もマリユス殿も、皆お待ちじゃぞ」 「えっ? そ、そうですか? ……でも、わたくし……」 王女がもじもじして、ケインの方をちらっと見る。ケインは、何気ない顔で、そのまま食器を片付けに、奥の部屋へ引っ込んでいった。 「おお、なんだか顔色も良くなったようじゃな。やはり、少し休んでおいたのが良かったと見える。さあさあ、舞踏会の主役がいなくてどうする。いよいよ、これからがメインイベントじゃ。はっはっはっ」 王は笑いながら、王女の背中を押して、部屋から連れ出した。 王女は、父親に強く出られずに、後ろ髪を引かれながらも、連れていかれてしまった。 『身分を忘れて……』とは言われても、結局は、身分をわきまえさせられてしまった気のしたケインであった。
ケインも後から舞踏会場へ戻ると、王女は、中央でタペス王子と踊っていた。 王女は、彼から顔を背けているのだが、王子の方は気付かずに、ベラベラと話しかけている。 そこへ、デロス国のカール王子が割り込み、王女は、今度は彼と踊る。 マリユスは、相変わらず、他の姫君と和やかに踊っていて、王女にまでは手が回らないようだった。 「先程は、どうも」 ケインの横には、マスカーナ王国王子サンスエラが、やってきていた。ケインが、慌てて挨拶をする。 「殿下は、アイリス様と踊られないのですか? 」 王子は力なく笑って答えた。 「あの押しの強いお二人がお相手では、僕など入り込むスキはありませんよ。しかも、どこかの国の騎士もいらっしゃるようで、アイリス殿下のお気に入りだとか。随分、美しい方ですね。あの方も、アイリス様が神殿で襲われた時に、悪者を倒したそうではありませんか。そんな方まで来られたら、一層、僕の居場所なんてありはしませんよ」 王子は、少し淋しそうに微笑んだ。 「デロス王国とは隣国ということもあり、彼とも気は合うのですが、いざという時は、いつも彼に譲ってしまって……押しが弱いんですよ。それに、僕は武術はあまり得意ではありませんが、タペス殿にしろ、マリユス殿にしろ、皆さん、武道を極めていらっしゃる。アイリス殿下も、どうやら武道の出来る逞しいお方がお好きのようだというお話ですしね……」 王子は言葉を区切り、微笑みながらではあったが、慎重に切り出した。 「ここだけの話ですが……、アイリス殿下は……あなたのことが、お好きなのではないですか? 」 サンスエラ王子は、ケインの瞳をじっと覗き込んだ。 ケインは、思わずたじろいだが、トボケてみせた。 「そんな……、殿下、おからかいにならないでくださいよ」 王子は、ふっと笑った。 「あなたも姫のことは、可愛いと思われている……そうなのでしょう? 」 「……そ、それは……」 どう答えていいものか困惑しているケインに、助け舟を出すかのように、マスカーナ王子は続けた。 「もちろん、僕の想像です。誰かに……アトレキア陛下になど仄(ほの)めかしたりはしませんから、安心して下さい」 王子は、視線を広間の中央へ映した。 フロアでは、またタペスとアイリスが踊っている。 「ケイン殿も姫と踊ってくればいいのに」 「またまた! からかわないでくださいよ。だいたい、私はこのような宮廷のダンスなどは、したことがありませんし……」 「じゃあ、僕が教えてあげるよ」 「は!? 」 王子は、イヤミでもなんでもなく、本当に親切で言っているらしかった。 「おっと、勘違いしないでくれよ。僕がきみにダンスを教えるって言ったのは、姫のためだよ」 彼は、にこにこと続けた。 「気を悪くしないで欲しいんだけど、きみたちが一緒になるのは非常に難しいと思うよ。もちろん、アイリス様が、きみとのことを陛下に頼めば、陛下は許してくださるかも知れない。だけど、周りは、きみをどう見るだろうか。 よその国から現れたダミアス殿が参謀になられた時、かなりの反対があり、この間、僕たちが訪問した時だって、それを利用されて、濡れ衣を着せられたりしていたくらいだし。 きみの場合は、きっとそれ以上に風当たりが強くなることだろうね。旅の傭兵がみるみる出世し、将軍ならまだしも、王女の婿になることを――後に、一国の王となる地位を、この宮廷の誰もが簡単に約束させてくれるだろうか」 それは、ケインも同感であった。 「城では、常に陰謀がつきまとう。このような舞踏会など、華やかな場はほんの一部分に過ぎない。誰が王に認めてもらい、出世するか……そのために、水面下では、誰かを蹴落とすための、時には王でさえその対象になってしまうような、おぞましい陰謀が企てられることだってある世界なんだ。 それは、ここアストーレだって例外ではなかっただろう。ダミアス殿が、それを王の耳には入れないように、なんとか対処していたのだと思うよ。 ……そのような陰険な場所に、きみのような健全な傭兵が入り込めるだろうか。そのような排他的な人々の中で、一生、明るく元気に過ごすことなど、よその者に出来ることなのだろうか」 王子は、何とも言えない瞳を、ケインに向けていた。 ケインに対して意地悪をいっているのではい、と彼はわかっていた。 サンスエラ王子自身も、そのような世界で生きなくてはならないことに、遣る瀬なさを感じているように、ケインには、そう取れた。 王子は、ふっと力が抜けたように、息をついた。 「僕は、多分、彼女とは結婚出来ないだろう。花婿は彼らのうちの誰かに決まるだろうね。当の彼女の想うところではない誰かに……。だけど、それなら、ささやかだけど、僕の出来ることは、彼女がもっとも踊りたい相手――つまり、きみと、せめて踊れるように協力することなんだと思ったのさ。……どうかな? 」 身を引き、静かに見守る愛もあるということだった。 この男(ひと)は、自分のことよりも相手のことを思い遣れる男なんだと、顔はまあまあ整っているが、ちょっと頼りなさそうに見えたマスカーナ王子サンスエラは、ただの優男(やさおとこ)ではなく、根っからの気持ちのやさしい人なのだと、ケインにはわかったのだった。
「貴様、決闘だ! 」 「おお、望むところだ! 」 サンスエラとケインが再びサロンに顔を出すと、モンスコールとデロスの王子が、今にも剣を抜かんばかりの剣幕で、怒鳴り合っていた。貴婦人たちが悲鳴を上げている。 「勝った方が姫の婚約者だ! 」 「おお、上等だ! 」 王女がおろおろしながら、二人の王子の前に行く。 「やめてください……! わたくし、そのようなことは、困ります! 」 さすがの王女も、今までになく、強い口調である。 「負けた方は、今後、一切、姫に近付くことはまかりならんと思え! 」 タペス王子が、カール王子に人差し指を突き立てた。 「その言葉に、偽りはないでしょうね」 そう返したのは、カール王子ではなかった。 誰もが驚いて、声のする方を探す。 つかつかと二人に歩み寄っていったのは、……マリユスだった! 「マリユス様……? 」 不適な笑みを浮かべたマリユスは、両手を揉み絞って驚いたように見ている王女を、庇うように、自分の後ろに下がらせた。 「なんだ、おぬしは!? 」 タペスが、マリユスを、うさん臭そうにじろじろ見る。 「白い騎士マリユス・ミラーと申します。モンスコール王子タペス殿下、ただ今の『負けた方は、姫との婚約権を放棄する』というお約束、本当でしょうか? 」 「当たり前だ! 」 タペスは、忌々しそうに、カールを見る。カールも、タペスを睨み返す。 「その決闘に、私も入れてもらえないでしょうか? 」 「なんだと!? 」 場内にも、来賓の悲鳴や、驚きの声が湧いた。 「貴様……! 流れ者の騎士のくせに、我々と対等に勝負するだけでなく、その上、アイリス殿下までも手に入れようというのか!? 」 タペスは牙を剥くような形相であった。 そうしていると、一層ブタみたいだ、とケインは密かに思った。 「滅相もございません。私はただの流浪の騎士。そのような恐れ多いことは望んでおりません。その代わり、私に負けた方は、姫との婚約権を放棄して頂きたい、と」 「なっ、なんだとう!? 」 ギャラリーの叫び声と、二人の王子の声は同時であった。 「姫の婚約者の地位を望んでいないのならば、なぜそのような約束をするのだ!? 」 タペスが、一層興奮して叫ぶ。 「私が参加しなくても、負けた者は婚約権を放棄するのでしたら、同じことでしょう」 白い騎士は、横目で見ながら、冷たく言い放った。それに、余計に腹を立てたタペスが何か言い出す前に、少し冷静になったカール王子が割り込んだ。 「……して、決闘のやり方は? 三人では、組み合わせや順番を決めなくてはなるまい」 「その必要はございません。三人同時、または、お二人対私ということで、いかがです? 」 またしても、場内全体がどよめく。 「なんと!? 私とタペス殿二人を同時に、しかも、勝つおつもりか!? 」 カール王子が驚いてマリユスを見つめる。それへ、『彼』は、不適にもにっこり頷いてみせた。 「ナメおって……! いいだろう! チャラチャラと女たちを周りにハベらし、いい気になっている貴様は、もともと気に食わなかった! まずは貴様を倒し、その後でデロス王子と改めて決闘し直してやるわ! 」 タペスはいきり立っていた。 「明日の正午に北の山で決闘だ。貴様ら、遅れるなよ! 」 彼はそう言うと、すたすたと室内から出て行った。 途端に、「きゃー! 」と黄色い声が上がり、マリユスの周りに姫君たちが駆け寄っていく。 「マリユス様、素敵! 」 「あのお二人を同時にお相手なさるなんて! 明日の決闘は、是非拝見したいものですわ! 」 マリユスは、その貴婦人たちに惜しみない笑みを送っていた。 「……いやあ、まさかこんな展開になるなんて……。せっかくダンスを教えて差し上げたけど、なんだか無駄になっちゃったみたいで……」 マスカーナ王子は、自分のせいではないのに、悪そうにケインに謝る。 (マリスのヤツ、決闘なんかして何になるというんだ……? ) ケインには、その方が不可解で、気がかりであった。
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